「うつ病」医学部生が12年かかって卒業した道のり 最初は1行のメールが打てなくなり...

「うつ病」医学部生が12年かかって卒業した道のり 最初は1行のメールが打てなくなり...

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  • 更新日:2021/06/10
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※写真はイメージです(写真/Getty Images)

日本人の約15人に1人が罹患するといわれるうつ病。特徴的な症状は、個人差はありますが、例えば気分の落ち込みやほとんど全ての活動へのやる気の喪失などです。小川亮さん(37)は、大学医学部生のときにうつ病を発症し、大学に行けなくなりました。その後、病気と付き合いながら12年かかって大学を卒業。現在は心の健康を扱う研究所で研究員をしています。

「一口に精神疾患やうつ病と言っても体験は人それぞれ。うつ病からの回復とその後の道のりを歩みながら社会で暮らす当事者の話の一例として役に立つなら。そして、この記事をきっかけに、私以外の多様な当事者の生の声にもふれていただけたら」と、経験を話してくれました。前編・後編の2回に分けてお届けします。

*  *  *

――うつ病を発症したのは、大学4年生のときだったそうですね。

はい。医師を目指して医学部で学んでいた4年生の11月でした。授業や実習で忙しかっただけでなく、朝は6時ごろから深夜1時か2時くらいまで勉強する日々が続き、疲れがたまってふとんから起き上がれなくなりました。立ち上がって家の中を歩く気力すらわかず、大学に行くことができなくなってしまったんですね。

大学へ行くことはおろか、頭がうまく働かなくてほんの1行の短いメールを打つことができなかったり、おかずができあがって冷蔵庫に入っているのにそれを食器に移す気力がなくてごはんが食べられなかったりと、今まで当たり前のようにできていたほんの小さなことを実行することすら難しくなってしまいました。それだけに、家族が食事や身の回りのことを助けてくれたのはとてもありがたかったです。

思えば、その2年くらい前からだんだん無理を重ねるようになって、土日や夏休みなどの長い休みは朝起きることができなかったり、目が覚めたら一日が終わっていたりということが増えてきていました。それでも休み明けはなんとか頑張って大学に行っていたのですが、だんだんと月曜日の授業に遅刻してしまったり、月曜は休んで火曜から行くようになったりといったことが増えてきて、ついにまったく行けなくなってしまったんですね。

――うつ病だという自覚はあったのでしょうか?

いえ、まったく。当時は心の病気はおろか体の病気だとも思っていなくて、休めばなんとかなるだろうと考えていました。翌年の春まで家で休養して大学に戻りましたが、また疲れきって動けなくなるという繰り返しで、結局留年することになってしまった。そうなってもまだ病気だとは思わなかったんです。

体がだるいとか休みの日は朝起きられないとか、そういうことって病気ではなくても疲れていればよくありますよね。熱があるわけでもおなかが痛いわけでもなく、疲れの延長線上の症状だったから、病気という感覚はなかったんですね。

「気力の低下」や「気分の落ち込み」といった心の不調は「体温」や「血圧」のように数字で測れるわけではないので、どこからが病気かの判断が難しいという面もあったのではないかな、と思います。

あるいはまた、例えば腹痛や発熱などであれば、子どものころから繰り返し経験する中で、「どれくらいだと病気なのか」「どの程度なら自分で対処できて、どれほどひどくなったらお医者さんに行く必要があるか」を自然に判断できるようになるものですが、心の不調についてはそうした「経験的な学び」がなかなかない、という要因もあったかもしれません。

結局、うつ病とは気づきませんでした。いくら疲れていたとしても普通は起きて学校に行くのが当たり前なのに、それができない。自分は怠け者というか、意志が不足しただめな人間になってしまったと、自分を責めていました。

もしおなかがものすごく痛いために起きられなかったなら、「人間としてだめ」とは感じなかったと思うのですが……。そのあたりもうつ病に気づく難しさの一因だったのかもしれないですね。

――異変に気づいたのは、同居しているご家族だったそうですね。

はい。留年した年の7月に家族がいろいろ調べて信頼できる精神科を探し、受診を勧めてくれました。医療者ではないので精神疾患に詳しかったわけではないと思いますが、マスメディアを通して「過労でうつになる」みたいなことはさかんに言われていましたから、精神科で診てもらったほうがいいと考えたのかもしれません。精神科に対する偏見みたいなものもなかったんじゃないかな。

仮に自分が精神科に行こうと思ったとしても、うつ病の影響で、調べたり情報収集したりする気力はまったく湧かない状態だったので、そうして信頼できる病院を探してくれたことはありがたかったですね。

――ご自身は「精神科」にどのようなイメージを抱いていましたか?

医学の勉強を始めてまだ日が浅く、精神科の講義も始まる前だったので、恥ずかしながら精神疾患については一般の方々よりすこし詳しい程度で、知識は十分ではなかったと思います。

そして、こちらも医学生としては反省すべきなのですが、精神疾患の方に会ったこともないのに、精神科に行くことにも漠然と不安を抱いていました。「行くところを人に見られたらどうしよう」と思ったりもして、受診する途中で「やっぱりやめて帰ろうか……」と、とても悩んだことを覚えています。ただ思い切って行ってみたら、自分の印象では、雰囲気もそこにいるひとたちも内科などの普通のクリニックと変わらなくて、「自分は何に不安を感じていたんだろう」と思いました。

精神科の先生は「小川さんはだめな人間になってしまったわけではなく、うつ病という治療可能な病気です。一人で抱え込まなくても一緒に治していきますよ」と言ってくださった。自分のことをずっと責めていたので、ふっと気持ちが楽になったし、うっすらと希望とか未来が開けたような気がしました。

通院を始めて症状はよくなってきましたが、大学に行くと「遅れを取り戻さなくては」と頑張りすぎて疲れきってしまったりもして、なかなか1年間継続的に通学できるまでには体調が安定しませんでした。

結局、休み休み実習や講義をこなしていき、4年生を4回、5年生を2回、6年生を3回やることに。在籍できる期間は最長12年なのですが、ギリギリ12年かかってようやく大学を卒業しました。

――大学には病気のことをどう伝えていましたか?

実は大学の先生や職員の方にはずっと伝えることができなかったんです。医学部にはチューターといって、学生5~6人ほどの班に1人ずつ面倒を見てくれる教員が配置されていて、定期的に面談をしてくださっていましたし、なにかあれば相談できる体制は用意されていました。チューターの先生も、休みがちで留年を重ねる僕を心配してくださっていたと思いますし、面談でも親身に助言してくださったことにとても感謝しています。

でも病気のことを話したら弱い人間だと思われるんじゃないかとか、「お医者さんはハードな仕事だから、なるのはあきらめたほうがいい」と諭されるのではないかと思い込んで、打ち明けることができなかった。実際にそのように言われたわけではないのですが、自分で勝手に不安を膨らませてしまっていました。

ようやく伝えることができたのは、卒業の1年ほど前。きっかけは、学内の学生相談所のカウンセラーの先生でした。カウンセラーの先生には、留年を重ねるようになってから進路などの相談に乗っていただいていたのですが、やはり病気のことは話せていなかったんですね。だから何年か経って、思いがけず告白することになったときに「ずっと内緒にしていたから、なぜ言ってくれなかったんですかと責められるだろう……」と思った。

ところが「話しにくいことなのに勇気を出して話してくれてありがとう。小川さんが病気と付き合いながら学業を続けていくために力になりたいので、大変なことがあったら遠慮なく話してくださいね」と言ってくださいました。この言葉を聞いたとき、ありがたくて涙が出るような気持ちになり、ああ、病気のことを話してもいいんだと、ハードルがぐっと下がったように感じたことを今でも覚えています。

そしてそのカウンセラーの先生が、大学側に伝えるか伝えないか、伝えるとしたらどんなふうに伝えるといいか、親身になって一緒に考えてくださったんですね。その結果、スムーズにチューターの先生や教務係の職員に打ち明けることができ、思っていた以上にいろいろ助けていただきました。

特に、医学部の実習ではさまざまな診療科をまわるのですが、チューターの先生が各科の責任者の先生方に事情を伝えてくださったことが大変ありがたかったです。うつ病でエネルギーが低下していたため、自分から何かを申し出たり、助けを求めたりするのは本当に難しい状況だったので。そうした温かい支援があったからこそ、何度もあきらめかけた医学部の卒業を何とか実現できたのだとつくづく感じ、感謝が尽きない気持ちです。

――カウンセラーがきっかけだったのですね。

はい。学生相談所は入学時のオリエンテーションで配られた冊子に紹介があったのが印象に残っていて、ある日、大学内の掲示か何かを見て自分から行きました。気軽に相談できる場が身近にあったことは救いになりました。

――病気のことは、大学の友だちにも伝えづらかったですか?

そうですね。留年するたびに下の学年のみなさんと同級生になるのですが、在学中は誰にもうつ病だと伝えることはできず、授業を休んだときも「原因不明の体調不良が続いていて病院で診てもらっている」などと説明していました。僕自身、打ち明けられる準備ができていなかったのだと思います。

ただ、友人も先生も、それ以上踏み込んであれこれ詮索(せんさく)したり、休んでいることを責めたりすることはけっしてなく、適度な距離を保ってくれていました。自分自身は本当のことを伝えられていないので申し訳ない気持ちや後ろめたさも感じていたのですが、そんな中でも友人は心配してくれて。久しぶりに大学に行けたら喜んでくれたり、体調を気遣ってくれたりしたことに、今でもとても感謝しています。

※続きは、後編【医学医学部時代に「うつ病」 14年かけて医師になった男性が語る「習慣を立て直す」課題】へ

(文・熊谷わこ)

熊谷わこ

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