「実はスーパーの食材で誰でも作れる」「野菜はタネもヘタも使う」 精進料理のレシピを禅寺の高僧が伝授!

「実はスーパーの食材で誰でも作れる」「野菜はタネもヘタも使う」 精進料理のレシピを禅寺の高僧が伝授!

  • デイリー新潮
  • 更新日:2023/09/19

誰もが知っていて、健康に良さそうなイメージを持っている精進料理。しかし、その由来や成り立ち、レシピなどを詳しく把握している人は多くないはずである。そこで、歴史を振り返りながら、スーパーなどに並んでいる食材で簡単に作れる調理法をご紹介する。

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意外に簡単

【写真を見る】精進料理の研究家でもある柿沼忍昭住職

昔から、命は食べた物でできているといわれてきたが、医療の取材をしていると、そのことを痛感することがよくある。やはり間違った食べ物、間違った食べ方が病を作っているのではないか。病気を予防するには間違いのない食べ物を選ぶことが大切だと確信したが、実は間違いのない食べ物は、病んだ体を快復させてくれることもあると、最近になって知った。

昨年公開された沢田研二主演の映画「土を喰らう十二ヵ月」は好評だったが、これは水上勉のエッセイ『土を喰う日々―わが精進十二カ月―』(新潮文庫)を原案にしたドラマである。

水上は9歳で京都の臨済宗の禅寺に入寺し、14ごろから等持院で老師の「隠侍(いんじ)」を務めた。隠侍というのは住職の食事や寝所の世話をする役目で、炊事役(典座〈てんぞ〉)は本来別なのだが、当時の等持院は貧乏寺だったせいか、禅宗の調理も教えられた。禅宗では食事をするのも料理を作るのも修行で、この期間に精進料理をたたきこまれた水上は、大人になってからも自ら精進料理を作っていたようだ。仕事場があった軽井沢で畑を耕しながら、収穫した野菜で自ら作った精進料理について書いたのが先のエッセイである。

病院の食事、大量の薬に疑問を抱き…

この本が最初に出版されてから10年ほどたった70歳の年、水上は心筋梗塞により39日間も集中治療室で治療を受けた。さいわい奇跡的に生還できたが、心臓の3分の2は壊死し、これ以降、約3年間は病院で闘病生活を送る。

病院の食事は時間がきっちり守られ、献立も栄養士によって計算されていたが、禅寺育ちの水上には豪華すぎてとても箸をつけられなかったようだ。だんだんと食事が重くなり、半分も食べきれなくなったことや、水上の体調も考慮せずに食事のあとで二十数錠もの薬を飲まされることに疑問を抱き始めた。

病院の豪華な食事も大量の薬も3分の1の心臓で生きている病人には必要ないのではないか。やがて野菜ばかりの食事で暮らした南宋の詩人にあこがれ〈蔬食三昧の暮しはいまの日本で可能だろうか〉と考え、病院を「脱走」する気分を強くしていく。

水上は寒暖差の激しい軽井沢の山荘を処分し、長野県北御牧村(現・東御市)に土地を得て、そこに「勘六山房」というアトリエを建てて移り住んだ。ここで畑仕事をしながら、収穫した旬の野菜や近くの山で採れた山菜で気の向くままに精進料理を作ったり、竹紙をすき、草の煮汁で絵を描いたりと、新しい生活を始めたのである。

そのことを書いたのが『精進百撰』(岩波書店)である。前著と比較すると同じ精進料理ながら違いもいろいろあって興味深い。精進料理だからどちらも肉や魚は使っていないが、北御牧村では揚げ物など胡麻油を使った精進料理が意外に多い。おそらく病をかかえていた水上の体が欲したのだろう。

思いのほか長生きできた理由

ここの生活がよほど良かったのか、あるいは精進料理が体に合ったのか、蔬食を楽しみながら余生を送るつもりが、水上の体力はみるみる回復し、〈七十七になって、頭髪が黒々してきた〉とつづっている。心臓の3分の2が壊死したままだから、それほど長く生きるとは思わなかったに違いないが、結局、当時の平均寿命(2004年の男性は78歳)を超えて85歳まで生きた。

思いのほか長生きできたのは、山間部の〈暮し自体が坂を登り降りする〉生活も理由にあったと、運動の効果にも触れているが、それ以上に、身の丈に合った精進料理を日常的に食したことが大きかったのは、水上の文章から伝わってくる。

精進料理にはなんとなく健康に良さそうなイメージはあるが、水上が健康を取り戻したという精進料理とはどういうものなのか。静岡県函南町の曹洞宗長光寺の柿沼忍昭住職(66)に解説していただきながら、『精進百撰』で紹介されているメニューの一部を再現していただいた。柿沼住職は精進料理の研究家でもあり、『食禅 心と体をととのえる「ごはん」の食べ方』(三笠書房)という著書もある。

体調に合わせて変える

本来の精進料理は禅宗の修行僧を育む料理であって、食べることそのものが修行だと柿沼住職は言う。

「精進料理の元祖は道元禅師(鎌倉時代初期の禅僧で曹洞宗の開祖)です。文献はありませんが、当時は珍しかった献立を修行僧に発表しているから間違いないでしょう」

道元禅師は南宋で学んで帰朝すると京の建仁寺に戻ったが、おそらくそこで見た修行僧の食のあり方が南宋の僧にくらべてずいぶんひどかったのだろう。「食」を重視するようになっていた道元禅師は、禅寺の「食」を司る典座職の心がまえなどを「典座教訓」として著した。この時、献立も書いたとすれば、南宋から料理方法なども持ち帰ったはずだから、基本は中華料理と考えてもいいだろう。『精進百撰』で意外に油を使う料理が多いのはそのせいかもしれない。

食事の前に唱える「五観(ごかん)の偈(げ)」に、食事の心得と共に〈食事とはまさに良薬のようなものであり、それは肉体を養うために食べるものだと心得なさい〉(『食禅』)とあり、医食同源を意識していたことは間違いない。

「献立を考えるのは典座和尚さんですが、思いつきで作るのではなく、今日はこういう作務があって汗をかくから塩気のある献立にしようとか、あるいは冬ならちょっと甘いものがいいだろうとか、食べる人がどういう状態なのかを知ったうえで、その時期の気温や湿度を考慮しながら味付けを変えたりします」

水上も小僧時代に隠侍をしていた頃、老師に来客の人となりを逐一聞いてから畑と相談して献立を決めたと書いている。柿沼住職も、自分の体調に合わせて食事を変えるという。

「例えば内臓が疲れていると感じた時は、おかゆを食べます。おかゆとゴマ塩と梅干しが一番です。玄米の時もありますが、もうちょっと体調が良くない時は酵素玄米にします。玄米を3日ほど寝かせて発酵させるのですが、今はネットでもレトルトで売っています。体調を整えるには腸内環境を整えることが大切ですが、それにはやっぱり発酵食品のみそ汁がいいですね」

秘伝豆の豆ごはん

病人だった当時の水上には、栄養価やカロリーなどが計算された病院食よりも、精進料理の方が体に合ったのだろう。それに徹することで、死んで当然の状態から生還できたうえ、寿命をまっとうできたのだから、実に皮肉で痛快だ。

『精進百撰』には、水上が作った四季折々の精進料理が紹介されているが、料理本でないせいか、作り方の説明はあっさりしていて素人には難しいものも少なくない。そこで柿沼住職に、この中から「ピーマンと油揚げ」と「こんにゃくのいりだし」、そしてオリジナルの「秘伝豆の豆ごはん」を作っていただいた。秘伝豆とは東北地方の青大豆のことだ。一人暮らしの人や高齢者でも作れるように「スーパーでも買える食材で」とお願いした。

住職は厨房に入ると「般若心経」を唱え始める。命を捧げてくれた食べ物の葬式なのだという。

厨房では、実際には3種類の精進料理が同時進行で作られるのだが、ここでは手順がわかりやすいように「ピーマンと油揚げ」から紹介する。

「調味料だけはケチってはだめ」

柿沼住職は「精進料理は準備に時間がかかっても、調理は短時間ですからあっという間にできます」と言いながら、ピーマンをタテ4等分に切り始めた。タネをとり小皿に集める。タネは焼くと跳ねるので、スパイスとしてみそ汁に入れるという。食べ物の命をいただくという考え方だから、「基本的に食べないところはない」という。

切ったピーマンは弱火で網焼きし、焦げ目がついたら火からおろす。

となりで適当に4等分にした油揚げも、やはり網焼きにした。これも焦げ目がつくまで焼く。この二つを皿に盛り合わせ、そこへ醤油にみりんを少々加えたひたし汁をかければ出来上がりである。なんとも簡単で、焼く時間を入れても15分ほど。あまりにも手際がいいので驚いていると、「料理人はせっかちです。トロトロしていると、(大本山の)永平寺では包丁が飛んできます」と住職は笑った。

『精進百撰』では酒とみりんに砂糖を少々加えているが、今回は「こだわりの生醤油」を使用したのでみりん以外は使わなかった。

「調味料だけはケチってはだめです。手間暇かけた本物の調味料を使ったら、間違いなく本当においしいものができます」

タネもヘタも使う

「こんにゃくのいりだし」に使う薄いこんにゃくは、軽く切り込みを入れて塩でもんでから、食べやすい大きさに切ってゆでる。

ゆでる時間は数分で、ゆであがって水気を切ったら、熱くしたフライパンに胡麻油をたらし、両面に焦げ目がつくまで炒める。

「こんにゃくは薄く切って、周りがカリッとするように油で揚げる感じで炒めます。切り目を入れるとステーキみたいになります」

炒めるというより焼くという印象である。

こんにゃくを炒めている間に、住職は手早くダイコンのひげ(根)を焼き、皮つきのまますりおろし始めた。皮も一緒にというところが、実に理にかなっている。精進料理では基本的に無駄を出さないということで、ダイコンはもちろんニンジンもゴボウも皮はそのまま使う。ピーマンのタネも、切り落としたヘタもすべて料理に使う。タネは抗酸化物質のかたまりであり、皮は細菌感染や昆虫などから本体を守るために、抗酸化作用のあるβカロテンやビタミンCなどが豊富だから、丸ごと食べることは健康にとって無駄がない食べ方なのである。

『精進百撰』ではおろしたショウガを添えているが、今回はショウガのかわりに大根おろしを添えた。そのうえからショウガ醤油をかければ出来上がりである。

余談だが、精進料理では焼く、揚げる、煮る、和える、蒸すはあるが「生で食べることはありません。大根おろしぐらいです」と住職は言った。

「トマトはだしと同じ」

それにしても、料理の前の準備を知らなければ、まるでインスタント食品を作るような素早さである。

みそ汁は、北海道産の真昆布でだしをとったあと、ピーマンのタネや大根おろしの汁を入れる。ここにトマトを加えるのだが、崩れやすいから、食べやすいように4等分か6等分に切って最後に入れる。「トマトはだしと同じなので、普段からよく食べる」そうだ。

その中へ有機の玄米みそを溶き、最後にだしをとったあとの昆布を刻んで入れたらみそ汁の出来上がりである。トマトのみそ汁なんて初めて口にするが、意外に暑い日は酸味がすっきりしてのど越しがいい。

ラストは「秘伝豆の豆ごはん」だ。乾燥させた青大豆を前夜に水で戻し、この日にゆでて冷蔵庫で冷やしたものを使う。混ぜるごはんも白米ではなく酵素玄米だ。厨房には酵素玄米専用の炊飯器があって、すでに炊き上がっていた。

通常、玄米は硬いという印象があるが、「酵素玄米は酵素の効果で柔らかく、しっかりかまなくていい」そうだ。実際に味見をしてみると、もち米のような粘りがあって実においしい。とても玄米とは思えない食感である。柿沼住職は「冷めてもおいしいし、冷製スープにすれば食欲をそそります」と言った。

これに用意した青大豆を混ぜて、塩をひとつまみ、パラパラと振りかければ完成である。食べておいしく栄養価も高い。ただ玄米は胚芽などに農薬が残留しやすいので無農薬を選んだほうが無難だろう。

これに、「恵那(岐阜県)の和尚さんからいただいた」という香ばしいたくあんを添えて、厨房での調理は完了した。

みそ汁の三段活用

夏を意識して選んでいただいた柿沼住職の献立だが、全体的にあっさりとして後を引かない。このすっきり感が精進料理の特色なのだそうだ。

食べるというのは、食べ物の命をいただき、料理を作ってくれた方に感謝することだから、精進料理は徹底して無駄を出さない。住職はこんな例えを語った。

「ひたし汁はたっぷりかけていますから、食べたあと器の底に残ります。これでまた何かを作ります。汁は調味料でできていますから、新しい調味料にするのがいいですね。この汁を伸ばして麺つゆにするとか、そういう使い方をするのが精進料理なのです。例えばみそ汁が残ったら、もしシチューの素があるならホワイトシチューを作り、さらに残れば、野菜とカレーパウダーを入れて精進カレーを作ります。それをそばつゆで伸ばしたらカレーうどんになります。これを私はみそ汁の三段活用と呼んでいるのですが、とにかく精進料理には無駄になるものがないんですね」

なぜ水上は健康を取り戻せた?

今回は精進料理をいただくことに徹したが、個人的には酒のつまみにすればさらに舌を感動させてくれるように思う。それにしても、こんなおいしい料理で、なぜ水上が健康を取り戻したのだろう。水上は〈人間生活に運動と食事が影響するのなら、北御牧での新生活は斜面を上り下りせねばならないので〉と運動の効果に触れつつ、やはりこの本を書いたのは、食べ物の影響が大きかったことを伝えたかったように思う。水上が「食」で健康を取り戻した背景を、あらためて柿沼住職に語っていただいた。

「水上さんが心筋梗塞を患ったのは、動脈硬化でコレステロールが血管にたまったからでしょう。健康を取り戻したのは、精進料理で血液がサラサラになったからと考えられます。精進料理では、たくあんやみそといった発酵食品をよく使います。特にみそは汁物だけでなく料理にも使いますので、腸内環境もよくなったはずで、それが心臓の機能も回復させてくれたのかもしれません。それだけでなく、精のつくものを食べたりしているところからは、必死に生きようとしている印象が伝わってきます」

腸内環境を変えれば心臓の機能が回復できるのかどうかは定かではないが、腸内フローラと動脈硬化の関連を指摘する論文や、脳血管障害(脳梗塞やくも膜下出血など)の患者が菜食生活を半年以上続けるとコレステロールやHbA1c(糖尿病のリスクを判断する数値)が改善しただけでなく、体重も減少したという論文もあって、水上が精進料理で健康になったのは当然かもしれない。

自分の体に合う食材を、自分の口で食べ続けた水上は、まさに医食同源を実践したのである。死線をさまよった彼は、それから15年も生きた。

奥野修司(おくのしゅうじ)
ノンフィクション作家。1948年生まれ。『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で講談社ノンフィクション賞と大宅ノンフィクション賞を受賞。『ねじれた絆』『皇太子誕生』『心にナイフをしのばせて』『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』など著作多数。

「週刊新潮」2023年9月14日号 掲載

新潮社

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