キリンホールディングス、世界に先駆けたTNFD対応の理由

キリンホールディングス、世界に先駆けたTNFD対応の理由

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2023/11/21

生物多様性の損失を食い止め、回復軌道に乗せる「ネイチャーポジティブ」への注目が経済界で高まっている。「Forbes JAPAN 2023年11月号」では、先進的なプレイヤーたちの取り組みを特集。キリンホールディングスが、世界に先駆けて自然関連の情報開示を実施できた理由とは。

圧巻の情報量である。キリンホールディングスが2023年7月に公開した「環境報告書」のことだ。全119ページで構成される同報告書には、東証プライム上場企業に義務化された気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)に基づく開示に加えて、新たな枠組みである自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)の指針に沿った統合的な環境経営情報が26ページにわたって示されている。

事業・製品グループごとの自然資本への依存度や影響を網羅的に評価したほか、清涼飲料「午後の紅茶」の茶葉調達先であるスリランカの紅茶農園について詳細分析した結果を開示。さらに、自然資本のシナリオ分析、ネイチャーポジティブへの移行計画にまで踏み込んだ濃い内容だ。

TNFDは、自然資本への事業リスクや機会を開示するための枠組みで、第一版は23年9月に発表。大半の上場企業はそもそも開示に至っていない。「現時点で、ここまでしっかりとした情報を開示している企業はほかにないでしょう」と常務執行役員(CSV担当)の溝内良輔は語る。

キリンは22年の報告書でも、TNFDのベータ版で提唱された分析・評価手法「LEAP」アプローチに沿った開示を試行したが、これは世界初の事例だった。先陣を切って情報開示に踏み切ることができたのはなぜか。溝内は、「端的に言えば、統合的アプローチというかたちでもともと取り組んできたからです」と話す。

同社は13年から経済的価値と社会的価値の両立を目指すCSV経営に舵を切り、長期環境ビジョンを策定。生物資源、水資源、容器包装、気候変動というグループの環境テーマを相互に関連する課題と位置付けて、生態系の調査や保護を推進してきた。TNFDが発足し、自然関連の情報開示に関する議論が国際的に始まったのはその後の21年だ。「いい枠組みができたなと思いました。私たちが取り組んできたことをよりシンプルな構造で説明して、投資家の皆さまにキリンが自然資本に強い経営だと示すことができる」。

人手を介して生態系が回復したブドウ畑

一例を挙げよう。グループ傘下でワイン事業のシャトー・メルシャンでは、14年から長野県上田市の「椀子ヴィンヤード」で生態系調査を行っている。もともと遊休荒廃地だった土地をブドウ畑に整備することで、これまでに絶滅危惧種を含む昆虫169種、植物289種を確認した。「実は、もともとは人の手を入れることで生態系に悪影響がないかを確認するために調査を始めたんです。それが真逆の結果が出て、すごく驚きましたよ」と溝内は振り返る。
山梨県甲州市の「天狗沢ヴィンヤード」では、16年に造成前の状態から観測を開始。植生調査では、当初36種だった種数が22年には108種に拡大。昆虫調査でも、種数は14種から30種に増えた。

シャトー・メルシャンのブドウ畑が採用しているのは、棚栽培ではなく、垣根仕立ての草生栽培だ。定期的に下草刈りを行うことで、ブドウ畑が生物多様性の回復に重要な草原としての機能を果たした。

「人の手がかけられることで守られる『二次的自然』として、日本は里山というコンセプトを国際的に提唱しているのですが、実はその論拠となるアカデミックペーパーは少ないんです。ビジネスを行いながらのネイチャーポジティブを科学的に証明したことは世界的に大きな価値がある」

23年の環境報告書では、スリランカの紅茶農園について詳細な調査を行ったが、「ここでも大きな発見がありました」と溝内。低地の農園は土地開発によって森林が分断され、生態系の連結性が損なわれることで生物多様性のバランスが崩れる傾向に。一方、高地の農園は森林が豊富なものの、国立公園や保護区に近い。

「低地では、分断的な森を緑の回廊でつなぐことで、生物多様性を維持回復するアプローチが考えられますし、高地では、農地と保護区の間に緩衝となる森林の保全が必要です。これまでもレインフォレスト・アライアンス認証(持続可能な農業を推進するための包括的な認証制度)の取得支援などを進めてきましたが、今後はそれぞれの場所に適したやり方を探る必要がある」。

キリンでは、こうした取り組みをブランド価値向上にもつなげていく方針だ。シャトー・メルシャンはその典型だろう。ワインには生産地の特性が味わいを左右する「テロワール」という概念がある。生態系は豊かな味わいの源泉であり、ここにネイチャーポジティブの要素も加われば、ブランドの信用を高められる。

清涼飲料においても、産地による付加価値向上に挑戦している。「紅茶葉で有名な地域として広く知られているのはインドのダージリンくらいでしょう。スリランカはセイロンティーとして認知されていますが、地域までは知られていませんでした。そのブランド化を17年前に始めたのが『午後の紅茶 茶葉2倍』です。『ウバ100%使用』の表記で同地域の認知は向上して、茶葉の単価も商品のブランド価値も上げられた成功体験がある」。

23年6月、キリンは「午後の紅茶」の主力3商品のラベルを刷新し、それぞれキャンディ、ディンブラ、ヌワラエリアの産地名を大きく強調した。溝内は言う。「生物多様性の調査や保全を通じて、サプライチェーンを安定化する。同時に、産地の認知を高めてブランド価値を向上していく。リスクの低減と経済的なリターンの両方を狙っていきます」。

みぞうち・りょうすけ◎キリンホールディングス常務執行役員(CSV戦略)、ライオン取締役、コーク・ノースイースト取締役、メルシャン取締役(現職)。1959年生まれ、徳島県出身。一橋大学経済学部卒。MITスローンスクール・オブ・マネジメント修了。82年キリンビール入社。

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