「生きて帰れるとは思わなかった」鈴々舎馬風(81)のコロナ闘病体験

「生きて帰れるとは思わなかった」鈴々舎馬風(81)のコロナ闘病体験

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  • 更新日:2021/06/10
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鈴々舎馬風 (OP写真通信社)

新型コロナに感染し、容体が案じられていた落語協会最高顧問、五代目鈴々舎馬風師匠が復活した。齢81にして「俺も、いよいよかな」と覚悟したという闘病体験を、臨場感たっぷりに話してくれた。

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「朝、目を覚ますと、窓の外が明るいでしょう。まだ明るい光が見えるぞ。ああ、俺は生きていたんだなあ、と」

落語協会最高顧問の噺家、鈴々舎馬風師匠(81)が体調の変化を感じたのは、1月15日のこと。

「なんだかだるくて、熱っぽい。正月の疲れが出て、風邪ひいたんだろう、でも、2、3日休めば治るだろうって深刻に考えなかった。熱だって37度5分から38度の間だしね」

ところが17日夜に若手の落語家数人が新型コロナウイルス陽性者になったという知らせが。

「かみさんと娘にタクシーに押し込まれて、かかりつけの帝京大学附属病院に行ったんですよ」

同病院は師匠であった先代柳家小さんのかかりつけで、自らも50代で脳梗塞を患って入院以来、定期的に通っている。唾液や血液など一通り採取、結果は翌朝と言われ、念のために入院することに。

「入院もコロナもまさかでね。朝には家に帰れるだろうと疑いもしなかった。ところが、朝になったら看護師さんがすっとんできて、『陽性でした』。あとは防護服着たスタッフに連れられて、隔離病室へ。大きな赤いバッテンの描かれた鉄の扉の中へ送り込まれたんで、やばいな、と」

濃厚接触者となった妻の高子さんも陽性だったが、症状は軽く、自宅療養。携帯電話を家に置いたままの師匠は、誰とも連絡がとれず、医師や看護師はみな防護服なので、顔が覚えられないし、表情も見えない。孤独感がつのっていく。

「俺も、いよいよかな、子どもやかみさん、弟子に遺言を書いておこうと思ったよ。内容は感謝の言葉に尽きますよ。これまでありがとう、って」

しかし、体調は特に悪くも苦しくもなく、食欲もあった。食事は、スーパーでよく見かけるような弁当が供された。普段家では食べる機会がないのでめずらしくて、それなりに食べた。

「しかし、毎日三食これじゃ、飽きるよね。すぐに食べられなくなっちゃった。すると、その場で捨てるんだ。コロナ患者の弁当だから、たとえ手つかずでも捨てるんだね。ますます滅入って、気力がなくなって、ただ病室の白い壁をぼんやり見ていた。それでも病院ではかみさんに、『食欲もあり、お元気ですよ』って連絡してくれていたらしい。コロナ陽性者が元気も何もあったもんじゃないと思うけどさ」

そのころ、りんごが食べたいと言ったら缶詰のりんごが、続いて洋梨や桃の缶詰が食事に出た。

「だけど、そんなものばかり食べて、体も動かさないでしょう。ひどい便秘になっちゃってその苦しさったらないね。そのうちに、足が動かなくなった。筋肉が衰えて脚も腕もブヨブヨ。3歩先にトイレがあるってわかっていても、その3歩が歩けない。何かにつかまろうとしても腕に力がないからそれもできない。これまた苦しみだった」

そんななかで、心がけたことが一つ。主治医の目を見て話すことだ。防護服で顔をおおっていても、声はわかる。

「先生の目をじっと見つめたよ。俺の先がないと診れば、先生はきっと話すとき目を逸らすと思ったんだ。そしたら、先生も俺の目を見る。いつまでたっても、目を逸らすことがなかったので、俺は助かるのかなと」

些細なことにも希望をつなぎ、コロナからの回復を願った。隔離何日目か定かではないが、小さな錠剤が処方された。

「トランプ前大統領も飲んだ、って聞かされたね。高齢だし、糖尿病と腎臓の持病があるので、先生のほうが神経使ったと思うよ。日に3度のインスリン注射も欠かせなかった。おかげで、便秘と足以外は不安がなくなったから、もういいでしょうって言ったんだけど、まだ肺に影がありますって。結局、隔離病室を出たのは3週間後でした」

一般病棟に移ってから、ようやくなぜ感染したのか、これからどうしたらいいのか、思いをめぐらす余裕が出てきた。

「感染は、ちょっとの油断からだね。コロナがニュースになり始めたときから、家と寄席の往復だけ。緊急事態宣言に関係なく、寄席から帰れば玄関で着物脱いで、アルコールをこれでもかというくらいスプレーしてた。ところが、楽屋でマスク外してたんだ。それがいけなかったんだね」

不安だったのは、噺を覚えているかどうかより、自力で歩いて高座に上がれるかどうかだった。正座ができなくなったら、噺家も終わりだと常々思っていたから不安に駆られた。病室で理学療法士の指導を受けながら、屈伸や足踏み、歩行訓練を少しずつ始めたが、これで大丈夫だろうか、という不安は去らない。

「生きて帰れるとは思わなかった」という自宅へ帰ったのは入院から2カ月が過ぎた3月15日。玄関のたった30センチほどの段差が上がれず、ショックだった。それからは、病院にいたときと同じように屈伸体操や、ペットボトルを持っての腕の上下、歩行訓練などを続けた。疲れるとテレビで時代劇と大相撲観戦。

「相撲の照ノ富士に力をもらったね。大関だったのが序二段まで落ちて、また巻き返したでしょ。俺も頑張らなきゃって励まされたね」

4月下旬、3回目の緊急事態宣言が出されたが、それについて、加藤官房長官は定例会見で「ヨセキを含む劇場等に対し無観客開催を要請して……」と発言。寄席をヨセキとしか認識しない長官に、多くの噺家や関係者はショックを受けた。

「寄席の経営者はやってらんないよ。昼夜で出演者は約40人、お客さんは10人くらいしか入らない。この席料を寄席と出演者で半々にするんだから、経営が成り立つわけないやね。補償をしっかりしてもらわないことには」

休業・入場制限により、苦境に陥っている寄席定席を支援するため、5月中旬から落語協会と落語芸術協会が手を組み、都内5カ所の寄席への寄付金を集めるクラウドファンディングを受け付け、ファンからの支援が集まっている。このニュースに感謝する日々だ。それでも不安は残る。来春には弟子の鈴々舎八ゑ馬(やえば)さんの真打ち昇進が予定されている。

「その披露が、休業や入場制限なしで予定どおりできればいいけどね」

こんなときだからこそ、寄席を、笑いの文化を、大事にしていきたい、師匠の願いは切実だ。(由井りょう子)

※週刊朝日  2021年6月18日号

由井りょう子

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