石岡瑛子の“オーラ”とは...小林麻美が明かす秘話と2つの展覧会

石岡瑛子の“オーラ”とは...小林麻美が明かす秘話と2つの展覧会

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  • 更新日:2021/02/21
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延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー

TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、「石岡瑛子」について。

【写真を見る】小林麻美さんの魅力を引き出したPARCOのCM

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クリエイティブ・ディレクターの杉山恒太郎さんと小林麻美さんの話をしていた時、真っ先に出てきたのが、PARCOのCM『淫靡(いんび)と退廃』だった。コピーは「人生は短いのです。夜は長くなりました。」(1976年)。

後日小林麻美さんに秘話を聞いた。彼女を起用したのは石岡瑛子である。

「沼津港でクルーザーが私を待っていたんです。夜でしたが、照明が煌々(こうこう)としていてスタンバイは完璧でした。石岡さんが用意していたのは、目の覚めるような三宅一生の真っ赤なイブニングドレス。ニューヨークから帰国したばかりのヘアメイク野村真一さんは、私の髪のリボンをはぎ取り、ひっつめにして、これがいいわって鏡越しに私を見た」「超一流と仕事をすることは『魔術』にかかることだと知りました。力が集結している場所に自分はいる」(延江浩 『小林麻美 第二幕』朝日新聞出版)。

石岡は船上でジャン・ルノワールの『ピクニック』のサントラを流し、麻美さんはそれに合わせタキシードの男性に抱かれてゆったり踊った。石岡の印象を尋ねると、「オーラがありすぎて、なんだかわからなかった」

僕もそのオーラを味わいたくて、ダブル開催されていた石岡瑛子展(ギンザ・グラフィック・ギャラリー企画展「グラフィックデザインはサバイブできるか」、東京都現代美術館「血が、汗が、涙がデザインできるか」)に足を運んだ。両会場とも、石岡のプリミティブで低く、しかしビロードのように柔らかな声が流れていた。

石岡はこの声で世界と渡り合ったのだ。

「(創造物の)着地は熱情でなければならない」

彼女の声をBGMに、資生堂社員として手掛けたグラフィックから北京五輪開会式の張芸謀(チャンイーモウ)とのコラボレーション、殺人犯の脳内世界で現実と昏睡を行き来する映画『ザ・セル』やシルク・ドゥ・ソレイユ、コッポラの『ドラキュラ』の衣装デザイン、マイルス・デイヴィス『TUTU』アルバムジャケット、繭(コクーン)をテーマにしたビョークのMVと、一つとして見逃せない重要な作品を追いかけた。

流行りは追わず(タイムレス)、自分のやり方で(オリジナリティ)、革命を起こす(レボリューション)手法で他者としのぎを削り、「今日と明日しかない。その中でベストを尽くす。それくらいのレングスでしか自分を見つめられない。将来なんてわからない」と石岡は言った。そして、「なんとか生き延びてきた。時代は決して一つのところに止まってはくれないから」と病と闘いならミュージカル『スパイダーマン』、映画『インモータルズ』『白雪姫と鏡の女王』の仕事を続けた。

東京藝大を卒業後、資生堂に入社したのが1961年。67年の世界放浪でヒッピー文化を知り、資生堂を退社、「反戦と解放」がテーマのポスター『POWER NOW』を作り、69年日本初演のロックミュージカル『ヘアー』を手がける。

石岡の生きた激動の時代と、過多な情報で全ての価値観がフラット化した現在。この両極を結びつけるかのような石岡展同時開催は一体何を呼びかけているのだろう。

現代美術館からの帰路、留守電に気づいた。「ギンザ・グラフィック・ギャラリーの芳名帳に延江君の名前を見つけてね。懐かしくて」。音楽プロデューサー立川直樹さんの声だった。

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

※週刊朝日  2021年2月26日号

延江浩

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