知識を選手に押しつけず/殿堂入り川島氏こんな人

知識を選手に押しつけず/殿堂入り川島氏こんな人

  • 日刊スポーツ
  • 更新日:2021/01/14
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アトランタ五輪決勝のキューバ戦で、投手森中(左)交代を告げる川島監督(1996年8月2日撮影)

球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが14日、野球殿堂博物館から発表され、オンラインで通知式が行われた。

アマチュアや審判員、野球発展に顕著な貢献をした人が対象となる特別表彰では、96年アトランタ五輪で銀メダルに導いた元日本代表監督の川島勝司氏(77)、野球関連の著書で知られるノンフィクション作家の佐山和夫氏(84)が選出された。

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いつ会っても穏やかな笑顔が印象的だ。アトランタ五輪予選という緊張感が漂う場面でも、その雰囲気は変わらなかった。

井口、松中、福留らがそろった当時の日本代表は、“アマ最強メンバー”と言われ、五輪後に10人がプロ入りした。プレッシャーも大きかったと思うが多くを語らず、ポイントを突いたひと言でチームをまとめ上げた。

88年ソウル五輪でともにコーチを務めた山中正竹氏(73)は「理想的な監督。『オレについてこい』というタイプではなく、最近よく耳にするプレーヤーズ・センタード(選手中心)を実践していた」と言う。選手として十分な実績を残し、指導者としても知識も蓄えていたが、選手に押しつけることはしなかった。

アトランタ五輪で4番に座った松中信彦氏(47)は「あまり怒られたことはないですね。『オゲーオゲー』(OKOK)といつも励ましてくれた」と振り返る。選手を見る目にたけ、92年に五輪代表候補を選出した際に、社会人1年目で無名の松中を推薦。1人1人の長所を伸ばし、鋭い観察眼と状況判断で幾多の勝負をものにした。

99年に桐生第一が群馬県勢として甲子園初優勝した際、解説者として試合を見届けた。「みんないい顔をしているね。上州の男の顔だよ」と誇らしげだった。【鳥谷越直子】

◆特別表彰 アマの競技者を対象に選手は引退後5年、監督、コーチは引退後6カ月を経過した者を有資格者とする。またプロ、アマの審判員で引退後6カ月を経過した者、プロ、アマの組織などの発展に貢献、日本の野球の普及、発展に貢献した者も対象になる。プロ、アマの役員、元役員、学識経験者が投票。有効投票の75%以上で殿堂入り。

◆川島勝司(かわしま・かつじ)1943年(昭18)4月17日、栃木県生まれ。桐生高から中大を経て、66年日本楽器(現ヤマハ)入社。監督1年目の72年に都市対抗優勝。88年のソウル五輪ではコーチを務め、93年に全日本監督に就任。96年アトランタ五輪で銀メダル獲得。00年からトヨタ自動車監督、総監督を歴任し、チームを社会人野球日本選手権で3度の優勝に導いた。日本野球連盟、全日本アマチュア野球連盟で要職を務めるなど、アマチュア野球の競技力向上と指導者の育成に尽力した。

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