【専門店】Uターン開業の地方個店 経験、センス、人柄生かす

【専門店】Uターン開業の地方個店 経験、センス、人柄生かす

  • 繊研plus
  • 更新日:2022/09/23

「地元で自分の店を開きたい」という夢を持った店主たちが、東京・首都圏から故郷へ戻って開業し、人気店となる事例が増えている。都市部でのキャリアがある店主の視点による、個性的なセレクトやオリジナル商品、他では得られない専門的な知識、接客の楽しさを求めて、地元だけでなく、県外からも多くの客が訪れる。コロナ禍以降、EC販売が拡大する一方、「あの人の商品が欲しい」「あの人に会いたい」「あの人から買いたい」という〝人〟の魅力の重要性が増している

ハイツ(静岡市)

個性的な品揃えと店主の魅力で集客

メンズのセレクトと古着が主力のハイツ(静岡市)は、静岡駅から徒歩10分ほどの、高感度な個店が並ぶ住宅街、鷹匠にある。

店主の齋藤一輝氏は静岡市生まれ。中学時代にアメリカ文化に興味を持ち、ファッションに目覚めた。気に入っていた地元の古着屋に、おしゃれな人が集まっている光景に憧れ、「静岡でこんな店を持ちたい」と考えるようになったという。

一度は東京にも出たいという思いもあり、都内の専門学校に進学。ファッションビジネスを学び、アパレルショップに就職した。数年後、古着卸業者が経営する、静岡市の古着屋に転職。店長にまでなり、店作りや仕入れのノウハウを身に着けた。

13年に店を譲り受ける形で独立。そして、以前から気になっていた鷹匠に、好条件の空き物件が出たのに合わせて、20年に移転した。

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店主の齋藤氏

店頭に並ぶのは「フラグスタフ」「ブラックミーンズ」「フィルザビル」といった、根強いファンが多いブランドだ。併せて、70~90年代のものを中心とした古着も販売する。

「売れ筋よりも、自分の好みを重視して仕入れる。古着もトレンドより、アメリカのカルチャーを感じるアイテムを選んでいる」という。

オリジナル商品の企画にも力を入れている。東京・祐天寺にある米国古着・雑貨屋「スーパーマーケット」(ジレ、香月丘行代表)のオリジナルブランド「リラックスフィット」と協業したTシャツが人気アイテム。製品を乾燥機で縮ませ、好みの着丈に調節しつつ、ビンテージ感を出すなど工夫しており、入荷するとすぐに完売する。革の質にこだわったレザーショーツも評判だ。

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オリジナル商品はレザーショーツが人気

その結果、口コミやSNSを見た新しい客が、齋藤氏による品揃えを求めて、全国から集まるようになった。「静岡ではハイツに行くべきと聞いた」という声も多い。

齋藤氏の人柄も魅力だ。「明るい接客で楽しく買い物してもらいたい。〝声が大きくて、うるさい店〟で有名だ」と笑う。人脈を生かしたイベントの主催にも積極的だ。静岡パルコの屋上にミュージシャンを招いてライブを開催し、地元の店が物販を行うパーティーを開くなど、地元を盛り上げる活動に力を入れている。

22年7月には、地元のセレクトショップと共同で、新静岡セノバに期間限定店を出し、手ごたえを得た。今後はそうした取り組みを増やし、店舗+期間限定店の〝1.5店舗〟体制を計画する。

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店内はにぎやかな雰囲気

マグフォリア(静岡県藤枝市)

豊富な知識生かし〝買う体験〟を提供

スニーカーマニアの間で〝「プーマ」の聖地〟と名高いのが、静岡県藤枝市のスニーカーショップ、マグフォリア(藤枝市)だ。店主の山田隆也氏は、ビンテージスニーカーの第一人者として有名。プーマのスニーカーのディレクションも手がけ、ビンテージのテイストを取り入れたアイテムが評判を集めている。「山田氏からプーマを買いたい」と全国からやってくる客が後を絶たない。

藤枝市出身の山田氏は、子供の頃からの靴好きだったという。最初はサッカーのスパイクが好きだったが、中学時代から次第にスニーカーに引かれた。当時、静岡にはスニーカーショップがなく「いつか雑誌に載っているような靴を売る店を地元で出したい」という夢を持つようになった。

大学進学を機に千葉県へ出た山田氏は、古着屋でアルバイトを始める。当時はビンテージ古着やスニーカーのブームだったが、高額で学生には手が出せず、代わりに徹底的に知識を詰め込んだという。

そうした知識を生かして、卒業後は千葉県のスニーカーショップへ就職した。展示会にも出入りし、人脈を作りながら、独立へ向けて業界の基礎を学んだ。同業他社への転職を経て、08年にマグフォリアを開いた。

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店主の山田氏

初めの数年の経営は苦しかったという。「当時はリーマンショックのどん底。これ以上の底はないと見込んでオープンしたが、予想以上に厳しかった」。靴に合わせて仕入れていた古着は売れたため、なんとかしのげた。

転機はオープンの2年後。スニーカーの専門誌に、プーママニアとして山田氏が紹介されたのが反響を呼び、店の雑誌露出も増え始めた。プーマからもディレクションの依頼が入るようになり、12年に山田氏が提案した黒、赤、「ケリーグリーン」の色の組み合わせは、海外でも「マグフォリアカラー」と呼ばれるほど話題を呼んだ。ビンテージの知識を生かしたディレクションで作られたモデルも、高く評価されている。

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山田氏が提案したカラーは「マグフォリアカラー」と呼ばれている

「サッカーの町の藤枝では、プーマはスパイクのイメージだった」ため、店にはあまり置いていなかったが、取り扱い数を増やした。次第に、店は〝プーマの聖地〟と呼ばれるようになっていった。

今では、そんな山田氏を全国から客が訪ねる。「スニーカーの歴史やディレクションのこだわりを話すと喜んでもらえる。ECで簡単に買い物できる時代だからこそ、それが付加価値になる」。プーマファンの中には、「マグフォリアで買うこと自体にも価値がある」と話す人も少なくない。

「独立を決心した時、人が多い静岡市内でやるべきという声が多かった。でも、自分の店を目当てに、人が藤枝まで来てくれるようになりたかったので、ここで開業した。その目標がかなってうれしい」と山田氏は胸を張る。

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スニーカーが所狭しと並ぶ店内

(繊研新聞本紙22年8月18日付)

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