父・洋平の力は借りず...河野太郎「政治家デビュー」の舞台裏 〈河野太郎(衆議院議員)〉

父・洋平の力は借りず...河野太郎「政治家デビュー」の舞台裏 〈河野太郎(衆議院議員)〉

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  • 更新日:2021/09/15
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菅首相の辞任表明により、永田町は乱世に突入。現在、最も注目を集める政治家・河野太郎はどのようにして生まれたのか。知られざる河野氏の生い立ち、エピソードから人物像に迫る。

※本稿は、河野太郎 著『日本を前に進める』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

初出馬・初当選の新米代議士

私は、平塚青年会議所に入会し、街づくりの活動にも参加するようになりました。そのころから、「いつか政治に携わりたい」と仲間に思いを打ち明けるようになりました。

1994年、細川護熙首相と野党自民党の河野洋平総裁のトップ会談で小選挙区制度の導入が決まり、私が住んでいる平塚市は、茅ヶ崎市、大磯町、二宮町と2市2町で神奈川第15区になりました。

中選挙区時代の2つの選挙区のそれぞれ一部が切り出されてくっついたのですが、2つの中選挙区から選出されていた現職議員の中で、この選挙区を選んだ議員は与野党を通じて一人もいませんでした。

青年会議所の先輩や仲間から「いつか政治に、と言うならば、それは今だ。現職が誰もここで立候補しないなどというチャンスを逃すな」と背中を押してもらいました。

ボーイスカウトも一緒にやった小学校の同級生が、会社を辞めて事務所に来てくれました。幼稚園の同級生にも頼んで手伝ってもらうことにしました。

私はやるかやらないか悩んだときに、「やらないで後から後悔するよりも、やってみて失敗したら反省するほうがよい」と考えています。

アメリカに留学したときも、選挙に出馬したときも、存続の危機に直面したベルマーレの代表取締役を引き受けたときも、後に肝臓移植のドナーになったときもそうでした。

「君、なんて名前だ」

出馬の意思を伝えると、親父は猛烈に反対しました。「一家で二人も選挙をできるわけがない、それに、いったい誰が俺の選挙をやるのか」。

さらに親父は私の仲間が集まっているところにやって来て、「太郎は出馬させない」と宣言しました。それでも、地元からいろんな方が親父の東京の事務所にまで足を運んで説得し、ようやく立候補への道が開かれました。

1995年の11月1日朝6時、茅ケ崎駅の北口に一人で立って、大声で挨拶を始めて、私の政治活動が始まりました。

それまで私は、駅などでスピーカーを使って演説している政治家を、「朝から大きな音を立てて」などと批判的に見ていたものですから、いざ自分が駅に立つときは、スピーカーを使わずに、大きな声だけで挨拶することにしました。

忙しい通勤時間帯ですから、立ち止まって聞いてくれる人なんていません。ですから、演説するのではなく「おはようございます。河野太郎です。いってらっしゃい」というフレーズを毎朝、2時間、大声で繰り返すだけにしました。

すると1カ月ほどしたある日、一人の男性が、私に声をかけてくれました。

「おい、若いの。毎日、元気で頑張ってるな。君、なんて名前だ」

「えっ」

毎日、ただ「おはようございます。河野太郎です。いってらっしゃい」だけを2時間、繰り返して1カ月。それなのに名前を尋ねられて、選挙は大変だとつくづく思いました。

茅ヶ崎、平塚、大磯、二宮の2市2町の選挙区をこつこつと歩いて河野太郎後援会を作り上げていきました。河野洋平に応援に来てもらったらどうかという声も出ましたが、「河野太郎の選挙だ。河野洋平は関係ない」と突っぱねました。

「派閥からご連絡行ってませんか」

1996年10月20日、おかげさまで当選し、衆議院議員河野太郎が誕生しました。しかし、当時は派閥に属していなかったこともあり、国会のこともよくわかっていませんでした。

特別国会開会前日になって、事務所のスタッフに「そういえば議員会館の部屋ってどうなってるの」と言われ、「明日から国会が始まるのだから、今日あたり決まるのかな」と、議員会館の事務局に出かけて行きました。

「初当選した河野太郎ですけど、議員会館の部屋の割り当てはいつごろ決まるんでしょうか」と言うと、「もうとっくに決まってますよ。派閥からご連絡行ってませんか」とたいそう驚かれました。

あわててあちこちに聞いて回って、第2議員会館2階の階段を上がったところの、一番出入りしやすい部屋になりました。自民党の国会議員は朝8時に出てきて部会に出席することも、このとき知りました。

「党内でものを言いたいなら、会議に来て言え。会議に来ないのに後から言うのは通用しない」という党からの指導が最初にありました。

「ごまめの歯ぎしり」を創刊

初当選直後に「当選おめでとう。それで国会議員って、何時に出社するの」と近所の方に尋ねられました。私の親父も国会議員でしたが、そういえばいったい何時に平塚の家を出ていたのかも知りませんでした。

そこで国会議員は毎日どういう活動をしているのか、しっかり有権者に報告しなくては、と国会報告紙を作って配布することにしました。

最初は漢字2文字のタイトルを考えていました。ところが仲間から「タイトルがつまらない。こんなんじゃ誰も読んでくれないよ」と内容以前にタイトルにだめ出しされました。

それで考えた末に出てきたタイトルが、「ごまめの歯ぎしり」です。おふくろが神戸出身で、日常的に「ごまめ」という言葉を使っていました。

初当選なので、ちょうどよいタイトルではないかと思いました。「ごまめの歯ぎしり」のロゴも商標登録しました。

こうして、選挙区内の駅の出口を回って「ごまめの歯ぎしり」を配ることにしました。

しかし、この国会報告紙にかかる費用がばかになりません。印刷代はもちろん、郵送すれば郵便代もかかります。頻繁に発行して郵送していては、事務所の財政がもちません。

悩んでいるときに、「メールマガジンを使ったらどうか」というアイデアを知り合いからもらいました。無料で発行できるというところに惹かれて始めたメールマガジン版「ごまめの歯ぎしり」は、創刊からそろそろ25年になります。

河野太郎(衆議院議員)

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