呪いをかけたお母さん、それでも私を愛してくれていた

呪いをかけたお母さん、それでも私を愛してくれていた

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2020/11/20
No image

拝啓お母さん、私は貴方が嫌いです。

単刀直入に言おう。私はお母さんが嫌いだ。

それはなぜかというと、子供の頃お母さんから愛情をもらったという記憶がないからだ。

私はひとりっこ。こう言うとみんな決まって「愛されて育ったんだね~」と口にするが、そんなことを言われても何1つピンとこなかった。

こちらもおすすめ:心をえぐる恋人のひと言、コンプレックスが一変した瞬間。10月に読まれたエッセイはこちら!

「お母さんは私のことが嫌いなんだ」と無意識に思うようになった

お母さんの特徴をあげるとすれば常に怒りと寂しさを抱えた人。だからよかれと思って言ったことがお母さんにとって怒りの火種になったり、私の悲痛な叫びがお母さんと共鳴したりして、ヒステリーな声を私にあげた。それは私にとって黒板に爪をたてたときの音のように胸にこびりついている。反射的に耳を塞ぎたくなるような声と言葉たち。

そんなお母さんの特徴が色濃く出るエピソードが2つある。

1つめは高校受験のとき。模試が振るわず志望校の壁を感じて追い詰められたとき、私は癇癪をおこした。だが思った反応をもらえなかったので思わず「私なんて生まれてこなきゃよかったんだ!」と言うとお母さんは慰めるどころか激しく怒った。

2つめは高校生のとき。おじいちゃんとお母さんが激しい喧嘩をしていて堪りかねた私が泣きながら止めに入った。そのときお母さんはそんな娘を見て謝るどころか「泣いてんじゃないよ!!」と言い放った。

これらのエピソードの裏にある私の心情は、「抱きしめてほしかった」。

振り返れば、私はお母さんから抱きしめられた記憶がない。もはや、頭を撫でられたり手を繋いだ記憶すらほとんどない。

目に見える愛情をもらえなかった私は、「お母さんは私のことが嫌いなんだ」と無意識に思うようになり、呪いのように私の人生につきまとった。

とにかく愛を求めた。でも、どんなに与えてもらえど、私はさらに愛を求めた。それはまるで歪んだ眼鏡をかけながらキャッチボールをしているようで、ボールはするするすり抜けていく。呪いをかけられた私は正しく愛をみることができず、上手に受け取ることができなかった。

呪いから解放されて気づいたほんとうのお母さん

そして私は大人になった。

お母さんがいる家を出たくて今は東京で独り暮らしをしている。東京では色んな価値観に触れ、色んな経験をして生まれ変わった自分がいる。そして、そんな自分だからこそ気づけたお母さんのほんとうの姿がある。

お母さんは私に愛を与えるほどの余裕がまったくなかったのだ。

私が子供の頃、お父さんは単身赴任で祖父母は要介護という状況だった家庭環境。そんな中で歪んだ心に育った思春期の娘は育てづらかったとおもう。秘境と呼ばれるほどの田舎に住んでいたため、周りには相談できる人もおらず、全てをお母さん一人で抱え込んでいた。そんないっぱいいっぱいの状況でも家族のために遅くまでパートをしていた。振り返れば、お母さんが安らいだ時間を過ごしていたところをあまり見たことがなかった。

まだ大好きと胸を張って言えないけれど

それでも私のことを愛してくれていた。お母さんはいつも自分より私を優先していた。

例えばご飯のとき、最後の一つは私にくれていたし、盛り付けの際量が均等にならなかったら多い方を私にわけていた。

そんな些細なことで子供の私は愛情と捉えられなかったが、それは確かにお母さんから溢れる愛故の行動だった。

それに気づけず、私は何もかもお母さんのせいにしていた。人から愛されない人生も、うまくいかない状況も。でもそれはお母さんからの愛を頑なに信じようとせず「お母さんから嫌われている」という呪いを信じていた私が見ていた光景だった。

今まではお母さんと向き合うことができなかった。だけど少しずつお母さんを受け入れていける。だからといって母から植え付けられた呪いから完全に解放されるには時間がかかる。まだ大好きと胸を張って言えないけれど、いつかお母さんに全て話せるときがきたら、ここに記したことと合わせて、大人になった今だからこそ気づけた心からの感謝と尊敬の念を伝えたい。

透明にんげんさん。

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加