『らんまん』万太郎と植物学教室の別れ 徳永が最後に贈った万葉集の歌の意味

『らんまん』万太郎と植物学教室の別れ 徳永が最後に贈った万葉集の歌の意味

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  • 更新日:2023/09/19
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『らんまん』写真提供=NHK

万太郎と、彼が出会ってきた人々との別れが続く。『らんまん』(NHK総合)第122話では、図譜の新刊と紀州・熊野のフローラを世に発表するため、万太郎(神木隆之介)が徳永(田中哲司)に辞表を提出した。

『らんまん』神木隆之介が60代の万太郎に

神社合祀令に反対し、神社周辺の自然を守るために万太郎は大学に属さず、一人の植物学者としての道を歩むことにした。徳永ははじめこそ、フローラを発刊すれば万太郎が世間の目にどう映るか叱咤したが、万太郎がすでに辞表を持って話をつけにきたことがわかると少し黙り、「本当にいいのか」と心配する。満州という選択肢を掲げて、彼は最後まで万太郎に植物学者として研究をさせたかったのが本望なのだろう。

「この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む」

植物学教室に助手として声をかけてくれたこと、その恩を一生忘れないと礼をする万太郎に向けて徳永が贈った歌は、大伴家持によるものである。思い返せば、万葉集は2人の関係性の雪解けの象徴でもあった。この歌は、 白い雪の中に赤い山橘の実がなっているのを見たことがある大伴が作ったもので、雪が溶けないうちにまたその光景が見たいという意の歌だ。

徳永にとって、厳しい冬の寒さに耐え、雪に覆われても尚、美しい実を見せる丈の低い小さな常緑樹の山橘は、万太郎そのものだった。教授という立場になってから、どうしても万太郎を支持しきれない部分も多かった。しかし、彼の中で万太郎への評価が変わったことはない。ツチトリモチについて書かれている新たな図譜を見て、「よく描けている。こんな植物画、お前だけだ」と万太郎に向けて力強く言い放った言葉が、徳永にとっての真意なのだから。

万太郎が深い敬礼をして出ていった教室に残された徳永の、視線の動きと味わい深い表情。窓の外を見る横顔だけで、彼の深い感情が感じ取れた。そして万太郎は誰もいない植物学教室を見つめる。

「ミスター槙野、君を歓迎する」

田邊(要潤)にそう言われ、迎えられた教室。いろんなことがあった。思い出の詰まった場所に深く息を吐いてから、万太郎は最敬礼をする。そんな彼の元を訪れたのは、佑一郎(中村蒼)だった。彼は万太郎とすれ違いで、これから東京大学の工科学科の教授に着任する予定だと言う。同じ学舎出身の2人が、同じ大学に勤められないことを少し残念がっている様子が微笑ましい。

何年経っても2人の関係性は変わらず、同じあの仁淀川をずっと並んで走っている。万太郎が「ただの植物学者でありたい」と願うように、佑一郎も大学の派閥問題に巻き込まれない、現場主義の「ただのエンジニアでありたいき」と心境を吐露する。お互いの志を信じ合えているからこそ、別の道を行ったとしても目指す場所が同じだとわかるのだ。「ほんならの」とお互い名前を呼び合って、背中を向けてそれぞれの金色の道を歩き出した。

年明けには神社合祀令の反対運動が世論を動かし、無事に神社の一部が保全されることになった。そして明治の時代の終わりに千歳(遠藤さくら)が虎鉄(濱田龍臣)と結婚する。寿恵子(浜辺美波)が園子に向けて挨拶をしている姿が切ないが、幼い娘を亡くした万太郎と彼女にとってその後に生まれてきた子どもたちが健やかに育ってくれたことは何より嬉しかっただろう。「千歳」という名前に、ただ生きてくれという願いを精一杯込めたと話す万太郎。そんな彼に千歳は言った。

「それが一番の贈り物です。名付けてくださってありがとう、お父ちゃん」

名付けること。命に名を与えることの意味が、万太郎がこれまで行ってきた植物の命名に重なっていく。きっと合祀令によってなくなってしまうはずだった植物たちも、万太郎に名付けられ、その価値と存在の意味が周知された植物たちも、万太郎に礼を言っていることだろう。

(文=アナイス)

アナイス(ANAIS)

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