『大豆田とわ子と三人の元夫』『最高の離婚』『カルテット』の3作に見る共通点と、坂元作品で描かれる「食事」の意味

『大豆田とわ子と三人の元夫』『最高の離婚』『カルテット』の3作に見る共通点と、坂元作品で描かれる「食事」の意味

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  • 更新日:2021/06/09
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2021年春ドラマが、それぞれ折り返し地点を越え、終盤へと差しかかっている。その中でも『大豆田とわ子と三人の元夫』(フジテレビ)の勢いが止まらない。『大豆田とわ子と三人の元夫』といえば、脚本家・坂元裕二の3年ぶりの連ドラ復帰作。ドラマでは、三人の元夫と彼らに振り回される大豆田とわ子が、それぞれの幸せのために奮闘する様子が描かれる。

三回の結婚と離婚を経験してからも幸せになることを諦めず、自分らしく生きるとわ子の強い姿は清々しいし、三人の元夫との間で繰り広げられるコミカルな会話劇には、思わず笑ってしまうこともしばしば。特に、第一話時点では対立関係であった元夫たちが、回を追うごとにとわ子そっちのけで仲よくなっていく様子にはニヤニヤしてしまう。

こうした登場人物たちの関係性や、作中で描かれる会話の中には、坂元さんの過去作を彷彿とさせるものも多い。そこでこの記事では、過去作の中でも共通項が多いように見える『最高の離婚』(フジテレビ)と『カルテット』(TBS)の2作品を『大豆田とわ子と三人の元夫』と比較してみる。

※3作品のネタバレを含みます。

離婚のその先を描いた点で共通する『最高の離婚』

光生(永山瑛太)と結夏(尾野真千子)、灯里(真木よう子)と諒(綾野剛)、ふた組のアラサー夫婦を中心にして、結婚や家族のあり方について描いたのが『最高の離婚』だ。

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ドラマ『最高の離婚』(フジテレビ)

「夫婦は別れたら終わりと思ったら大間違いよ。婚姻届が結婚の始まりなように、離婚届は離婚の始まりなの」。光生の祖母・亜以子(八千草薫)のセリフが象徴するように、(第一話で光生と結夏は離婚するが)離婚という結果そのものではなく、離婚を通して向き合い、変化していく関係性に焦点が当てられていた。

その変化は、とわ子と元夫たちとの関係においても共通している。

「ひとりずつ、ふたりで生きていたこと」が、たとえふたりが離れても、その後の生活の中で生きつづけているのだ。『最高の離婚』では、「僕の中に住んでいる君。君の中に迷い込んだ僕」と表現され、『大豆田とわ子と三人の元夫』においてはとわ子(松たか子)から二番目の元夫・慎森(岡田将生)への「別れたけどさ、今でも一緒に生きてると思ってるよ」という言葉に表れる。

一方で、この2作品を結びつけているのは、光生と慎森、諒と八作(松田龍平が演じる、とわ子の一番目の元夫)のキャラクター造形の類似性であることは間違いない。

理屈っぽく皮肉なことばかり発言してしまう光生と慎森は説明するまでもなく似ており、女性からモテ過ぎて困っている八作のモテ方は諒とよく似ている。その証拠に、ふたりがモテる理由は共に「面倒くさくないから」。

そう考えると、坂元作品における「面倒くさい」の代表格、光生と慎森、後述の『カルテット』に登場する家森(高橋一生)は、モテないわけではないが、なるほどフラれ三人衆ではある。ただ、この三人に共通するのは、それぞれ自分の面倒くささを自覚している点であって、そこが愛らしさでもある。結果、視聴者からは根強い人気を獲得しているように見えるのがおもしろい。

物語の到達点が不明瞭な点で共通する『カルテット』

サスペンスとラブストーリーをかけ合わせ、放送中はSNSを中心に考察合戦が行われた『カルテット』。作品全体の空気感としては、現状『大豆田とわ子と三人の元夫』に一番近いのはこの作品かもしれない。

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ドラマ『カルテット』(TBS)

東京で出会った巻真紀(松たか子)、別府司(松田龍平)、世吹すずめ(満島ひかり)、家森輸高(高橋一生)は、全員が奏者であったことから、カルテットを結成し、軽井沢で共同生活を始める。偶然かと思われたこの出会いだが、実は真紀以外のメンバーは全員、それぞれの目的のもと真紀に近づいており、「ひとりの女性をめぐる群像劇」としては『大豆田とわ子と三人の元夫』と同じフォーマット。

フォーマット以外の共通性としては、2作品共ドラマとしてのゴールが明示されておらず、あくまでも登場人物たちの日常がつづいていくこと。

もともと作品としての着地点が決まっていないのが坂元作品の特徴ではあるが、たとえば『最高の離婚』では光生と結夏の復縁、『問題のあるレストラン』(フジテレビ)ではライバル店の打倒、『いつかこの恋を思い出して泣いてしまう』(フジテレビ)では音(有村架純)と練(高良健吾)の恋の行方、『anone』(日本テレビ)では偽札作りの顛末など、物語の到達点はわかりやすいものが多かった。

しかし、『カルテット』においては、登場人物たちが抱える秘密が明らかになるたびに、物語の行く末がわからなくなっていく。「秘密を抱えた大人のラブストーリー」でもあるし、「音楽への純愛」でもあるし、「夢を追いつづけることの意味」でもあり、「音楽によってつながった疑似家族」の話でもある。それゆえ、『カルテット』がどんな物語だったかを説明するのは難しく、人によって評価も大きく変わる作品だった。

『大豆田とわ子と三人の元夫』は、結婚が幸せの象徴のように描かれているが、一方で元夫との関係性を見ていると離婚が不幸として描かれているわけでもないので、結婚がゴールとも考えにくく、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと先の読めない展開がつづく。

だからこそなのか、この2作品は過去作と比べても「雑談」が多い。雑談とは、その場その場でふと生まれる、とりとめのない会話のことだが、物語においては脇道でしかなく、本来ならドラマでは削ぎ落されていくであろうセリフ。しかし坂元作品では、一見するとなんてことのない会話の応酬が、登場人物の人間性を強く印象つけていったり、人生における深い洞察へとつながったりする。

それは、坂元作品において雑談が、登場人物の心情を直接的な表現を用いずに伝える表現として活きているからだが、この幾重にも張り巡らされた雑談の糸が絡み合うことで、奥行きのあるキャラクターが作り上げられていくのだ。

坂元作品の中で共通して描かれる「食事」の意味

坂元作品の中でも「雑談」が重要な要素であることは疑う余地がないが、もうひとつの特徴として挙げるなら「生活」である。とりわけ「食事」のシーンの多さ。

『大豆田とわ子と三人の元夫』の物語の中でも特に大きな衝撃となった、とわ子の親友である綿来かごめ(市川実日子)の突然の死。かごめの死後、とわ子は彼女の部屋で、冷蔵庫の残り物で作ったチャンプルーを食べつつ、彼女が描いた漫画を泣きながら読むシーンがある。

まるで、『カルテット』3話における「泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけます」を彷彿とさせるが、個人的には坂元作品に共通する「生」の象徴が食事なのだと感じる。『最高の離婚』では、光生が結夏の不在感を強く意識して寂しさに打ちひしがれていたとき、ひとり分の料理を作り、ひとりで食べて、洗い物をする様子が、淡々と描かれた。

『カルテット』では、真紀が罪を償うために出頭したあと。抜け殻のように虚ろに沈み込む三人だが、すずめだけは台所に立ち、三人分のご飯とみそ汁と焼き魚ときんぴらとお新香を作る。それを見た別府と家森も席につき、三人は黙々とただ食事をする。やはりその様子も、淡々と静かに描かれた。

どんなにつらいことがあっても、生活は追っかけてくるし、つづいていく。こうした表現は、坂元自身がどんなに忙しくても、毎朝5時に台所に立ち、娘の弁当を作る生活をつづけていることが影響しているのだろう。坂元作品に共通する、何よりも「生活」というものをリアルに描こうとするこだわりが、登場人物たちの世界を自分たちの世界と地つづきなのかもしれないと思わせてくれるのだ。

こうして、過去作と比較してみると、思わぬ共通項や関連性が新たに見つかるのが、坂元作品のおもしろいところ。小谷翼(石橋菜津美)が何度も話題に出した「河合さん」が、諒が何度も話題に挙げたギリシャ彫刻のような二枚目の准教授「河合さん」と同一人物なのかとか、すずめの出生時の名字とかごめの「綿来」という名字が同じこととか、知っていると想像がふくらむ要素がほかにもたくさんあるかもしれない。

とわ子たちの物語がどんな結末を迎えるか、彼女彼らの関係性がどのように変化するのか、またはしないのか、最後まで楽しみに見届けたい。

早川大輝

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