江畑幸子が復帰を目指すも引退を決断したリアルな経緯。最後の練習では涙をこらえきれなかった

江畑幸子が復帰を目指すも引退を決断したリアルな経緯。最後の練習では涙をこらえきれなかった

  • Sportiva
  • 更新日:2021/07/21

女子バレー江畑幸子

引退インタビュー 後編中編から読む>>

2012年のロンドン五輪で活躍し、その後フランスのリーグにも挑戦した江畑幸子は、2015年にVリーグ2部のPFUブルーキャッツに移籍した。リオ五輪前年に、なぜ2部チームを選んだのか。その決断の理由や、引退後の今後について語った。

◆中編:江畑幸子が竹下佳江の10cm変更トスに「すごい」。ロンドン五輪の大一番直前にあった驚きの指示

No image

今年3月に現役引退を表明した江畑幸子 photo by Matsunaga Koki

***

日本女子バレーが銅メダルをかけて戦った、ロンドン五輪の準決勝。その韓国戦は江畑ではなく迫田さおりがスタメンで起用された。

「ミーティングで眞鍋(政義)監督がその日のメンバーを順々に発表していくので、普段であれば緊張感がある場面なんですが、一番前に座った私のそばにコーチがいて、スタメンが書いてあった紙が見えてしまったんです。そこで『私の名前がない』とわかってしまって。メダルをかけた試合のスタメンじゃなかったのはもちろん悔しかったですよ。それでも出番に備えてモチベーションは高く保っていました」

迫田が最後の得点を決めた瞬間も江畑はコートの外にいたが、ベンチメンバー全員で手をつなぎ、仲間たちにエールを送っていた。日本が大きくリードする展開で、早いうちから勝てる予感はあったが、銅メダル獲得が決まって「本当に、すごくうれしかった」と振り返る。

帰国してからは、銀座でのオリンピック凱旋パレード、メディアへの出演、出身地である秋田県知事への表敬訪問など、多忙な日々を送った。自分たちがメダルを獲得したことの大きさをあらためて感じた。

今年3月に江畑が引退を発表した際も、このロンドン五輪での活躍を振り返るニュースが多かった。しかしバレーボールファンの中には、「昇格請負人」というイメージが強く残っている人もいるだろう。

Vリーグの入れ替え戦は、1部リーグの下位2チームと、2部リーグの上位2チームが対戦する。2日にわたって行なわれ、セット率、得失点差の合計で昇格・残留が決まる。ただ、Vリーグでは2部リーグのチームが1部のチームを破ることはめったにない。それほどにリーグ間の実力差が激しいのだが、江畑は2部のチームを2度、昇格に導いている。

その1回目は、ロンドン五輪が終わったあとに迎えた2012-2013シーズン。2010年の入れ替え戦に敗れてから、なかなか1部に昇格できていなかった日立リヴァーレ時代のことだ。

「そのシーズン、2部で準優勝して入れ替え戦に進み、相手は前シーズンの1部リーグ3位だったデンソー(エアリービーズ)でした。1日目はセットカウント3-1で負けて、2日目でかなり頑張らないといけない展開になってしまった。それでも、ボロボロにされたイメージはなくて、『自分たちがちゃんとやることをやれば勝てるんじゃないか』とみんなが感じていたんです。そうして迎えた2日目は、私の『当たりの日』だったんですよ」

ロンドン五輪の準々決勝(中国戦)でも日本を勝利に導いた、江畑のプレーが何でもうまくいく「当たりの日」。江畑は「中国戦以来の絶好調な日でした」と振り返る。

「第1セットの序盤で私もサービスエースを決められたりして、大きくリードできたので気持ち的にも『あ、いける』となりました。いい形で第1、第2セットを取れたんですが、第3セットを奪われてしまったので、第4セットは絶対に取らなきゃいけませんでした(1日目にセットカウント1-3で敗れていたため)。

私のバックアタックがすごく効いていたので、第4セットが始まる前に、セッターに『バックアタック、全部私に持ってきてください』と伝えました。そうしたら、そのセットが始まってすぐに決めることができたので、『もっとください』と。本当に決められる感覚しかなく、点数をつけることができて、最後の1点も私のバックアタックで取りました」

1日目、2日目ともセットカウント3-1で決着がついたが、得失点の差で日立が上回った。江畑の大爆発でつけた点差が、なかなか手が届かなかった1部昇格を手繰り寄せたのだ。

日立が5年ぶりに1部リーグに戻り、江畑の「代表唯一の2部リーグ所属選手」という肩書もなくなった。1部復帰の1年目、日立は8チーム中6位と順位上は苦しんだものの、1部でチーム史上最高となる12勝を挙げて残留を決めた。

そのシーズン終了後、江畑はフランスリーグに挑戦する。

「もともと海外に挑戦したいという思いはありました。私の前に、狩野舞子さん、木村沙織さんも海外に行っていて、いろんな話も聞いていましたから。フランスのチームを選んだ理由は......オファーをいただいた中で、一番私を必要としてくれていることを感じたチームだったからです」

江畑が加入したのは、ロンドン五輪メンバーのリベロ、佐野優子もプレーした強豪・RCカンヌ。チーム内の競争、世界のトッププレーヤーたちとの対決でステップアップを遂げた。

「フランスのリーグでプレーする選手は身長が高く、パワーもすごかった。Vリーグではブロックの上から決められることも多かったんですが、フランスでは毎試合、『あのブロック相手に決めるためにはどうしたらいいか』を考えていました。スパイクを止められることも多かったですけど、その分、パワーや技術が上がったと思います」

そうしてチームのリーグ優勝に貢献したあとの2015年6月、江畑の日本復帰が発表された。直前のモントルーバレーマスターズの決勝で、右アキレス腱を部分断裂する大ケガを負ったが、江畑には古巣の日立など1部リーグのチームからもオファーが届いていた。

翌年にリオ五輪を控えていることを考えれば、リハビリ後に1部リーグでいち早くアピールをしたいところ。しかし江畑は、2部リーグのPFUブルーキャッツに移籍した。

「決断をするまでにすごく悩みました。でも、当時のPFUの試合を見た時に1部昇格に向けて一丸になっているのを感じましたし、『このチームを昇格させられるのは私しかいない』という気持ちになったんです」

No image

PFUブルーキャッツ時代の江畑 photo by Sakamoto Kiyoshi

リハビリを終えた江畑は翌年1月に復帰。新たな力を得たPFUは2部リーグ準優勝で入れ替え戦に臨むことになった。その相手は、奇しくも日立時代の入れ替え戦と同じデンソーだった。

「その入れ替え戦は、日立で昇格を決めた時とは違って、試合直前まで『絶対に勝てるわけがない』と弱気になっていました。当時の日立には日本代表クラスの選手が揃っていたので、それに比べるとPFUは少し厳しいかなという印象だったんです。チームの力もデンソーさんのほうが上だったと思います。

とりあえず、できるところまで頑張ろうと思って臨んだ1日目、私はまた『当たりの日』で、セットカウント3-0で"勝っちゃった"んですよ。すべてのトスが自分の理想のところにきて、スパイクも全部決まるという感覚でした」

2部のチームが1部チームをストレートで下すことは異例中の異例だ。PFUはかなり有利な状況で2日目を迎えたが、その日は江畑の調子が上がらなかったこともあって、第1、第2セットを連取された。そのまま第3セットも取られるとセット率で並び、得失点差で昇格できない可能性もあったが、何とか耐えてそのセットをモノにした。

「日立時代も含めると、私は入れ替え戦を何度も経験していますが......あらためて、簡単に勝てるものではないということがわかりました。昇格を決められた時はほっとしました」

Vリーグで再び輝きを放った江畑は、2016年度の日本代表のメンバーに登録された。アキレス腱をケガしたことにより、リハビリ期間中に行なわれたW杯はテレビで見ていた。2010年に初招集されてから、そういった形で代表の試合を見るのは初めてだったが、「ここに戻りたい」という思いが強くなったという。

しかし、リオ五輪の出場権をかけた2016年5月の世界最終予選のメンバーに、江畑の姿はなかった。直後のワールドグランプリには出場したが、江畑も「なかなか『当たりの日』がこなくて、いいプレーができなかった」と振り返るように、リオ五輪の最終メンバー12人に残ることはできなかった。

「その年は少し早い段階で、『私は最終メンバーには入らないだろうな』という予感があって。そう思っていたからプレーがよくなかったのかもしれないですけど、監督に落選を告げられた時も、『わかりました』と冷静に受け止めました。リオ五輪はテレビで見ましたが、悔しい思いなどはなく純粋に応援していましたね」

その後、江畑はPFUでプレーを続けたが、昨年には右ひざを手術するなど、再度ケガに悩まされた。手術後は懸命にリハビリを行なったもののコートには戻れず、この春に引退を決意した。

「ひざの状態がずっとよくなくて、『全力でプレーをするのはもう無理かな』ということはわかっていました。それでもトレーニングやリハビリを続けていたんですが......チームにいる2人のトレーナーさんのうち、ひとりが常に私についている状態だったので、チームに申し訳なかった。復帰を目指していたのが、だんだんと『早めにやめたほうがいいんじゃないか』という考えに変わってきたんです」

3月の引退会見の前に行なった最後の練習では、涙をこらえられなかったという。チームのスタッフからは「最後はボール練習をしてみたら?」と提案もされたようだが、多くの時間を共に過ごしたトレーナーと、泣きながらリハビリのメニューをこなした。

引退後の活動については、「まだ具体的には決まっていない」としながらも、「バレーボールと関わることをやっていきたい」と話す。6月には、ネーションズリーグで解説デビューを果たした。

「解説は思っていたより難しくて、上手にできなかったです。(一緒に解説をした)眞鍋さんにも冗談交じりに『反省だな』とプレッシャーをかけられましたが、勉強してうまくできるようになりたいです。今の代表の選手たちは、いろいろ大変な状況な中で本当に頑張っていると思います。東京五輪は間近に迫っていますが、みんなが悔いのない戦いができるように願っています」

強烈なバックアタックと、天性の勝負強さで輝きを放った江畑。コートを離れ、どんな形でバレー界を支えていくのか、その動向から目が離せない。

中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加