作家の日本語勉強法|帆立の詫び状

作家の日本語勉強法|帆立の詫び状

  • 幻冬舎plus
  • 更新日:2023/03/19

作家をしていると、「文章が読みやすい」とか「下手」とか、様々なことを言われる。実際、文章の上手い下手はひとつの物差しで測れるものではなく、人によって受け止めかたに幅がある。

私がびっくりしたのは、ある著書のAmazonレビューで「文章が下手! 東野圭吾とか、赤川次郎みたい」と書かれたことだ。これを見たときは腰を抜かすかと思った。けなしたいのか褒めたいのか分からないコメントだ(けなしたいのだろうけど……)。

まず声を大にしていいたいのは、東野圭吾さんも赤川次郎さんも、めちゃくちゃ文章がうまいということだ。というか、うますぎて、もしかするとうまさが一見分からないくらい、本当にうまい。

ただ人には好みがあるので、ごつごつとした重厚な文体が好きな人もいる。さらさらと流れていくような文体は軽すぎてその人の好みではなかったのだろう。

言い訳をするようだが、私は注意力が散漫で、誤字脱字が非常に多い。読者さんから誤植の指摘を受けて赤面することもしばしばだ。だから文章力云々を語るスタートラインにも立っていないかもしれない。という前提で、しかしあえて、こだわっているところを語ると、日本語の文法をきちんとふまえて文章を書こうと思っている。

これはアマチュア時代に師事していたある元編集者さんの影響が強い。「文章力を上げたいのだがどうすればいいか」と相談したら、「まず、中学レベルの国語文法をおさらいしなさい」と言われた。「ドリルか何か解いてみるといいよ」と。「正しい日本語で書く。それが小説の基本」と口を酸っぱくして言われた。

私の日本語の学び直しはそこから始まった。英語圏に住んでいても英語を勉強する気が起きなかったのはこのためである。英語を学んでいる時間があったら、そのぶん、日本語を学ぶ必要があると思ったのだ。

とりあえず、くもんが出している中学国語文法のドリルを買ってきて解いてみる。ただ日本語が母国語だと、あまり文法を意識せずともなんとなく解けてしまうところもある。そこで、一旦外国語を学ぶように、日本語文法をインストールし直すことにした。

様々な本に目を通したが、まず一番に勧めたいのは、橋本陽介『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)だ。橋本さんの著書はどれも参考になるのだが、この本は特に助詞の使い方「て・に・を・は」から解説があり、改めて日本語の基礎的な作動方法を学ぶことができた。

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さらに、外国人に日本語を教えるときにどう教えるか、という視点で日本語を見つめ直せて面白いのが、原沢伊都夫『日本人のための日本語文法入門』(講談社現代新書)だ。

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これらの本を読むと、日本人でも意外と日本語を書けていない(外国語の和訳文を書いているだけ)だということが分かり、がく然とする。特に私の場合、弁護士をしていたこともあって、弁護士特有の文章の癖がある。「××年×月×日、誰々は、誰々に対して、何々をした。」という語順で、細かく読点を打って書かないと気がすまない。デビュー作にはその癖が残っていて、不必要に主語が多い。日本語には必ずしも主語は必要ではないので、これは欧米の言葉の使いかただ。

もちろんあえて文法を外すこともあるし、正しい日本語である必要もない。ただ、作者が「文法を理解している」ことは大事だと思う。知ったうえであえて外すなら自由だ。

それは例えば、歌手が正確な音程をとれるのと同じで、基礎的な力だと思う。ライブなどでは自由に歌えばいいのだろうが、基礎的な音感があったうえでのことだ。

日本語文法を踏まえたうえで、それでは読みやすい文章を書くにはどうしたらいいか。最も参考になったのは、本多勝一『日本語の作文技術』(朝日文庫)だ。有名な本なので既読の人も多いかもしれない。読みやすい語順と読点の打ち方が論理的に説明されているので、先述の「弁護士文章」を直すのに役立った。同様の内容で古典的な名著としては岩淵悦太郎『悪文』(日本評論社)もあるが、まずは本多さんの著作から入ると理解が早いと思う。

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さらにそのうえで、小説としてどういう文章がいいのかという問題がある。これは様々な作家がノウハウ本を出している。ただ、文章について書いているのは純文学で活躍されている作家さんが多いので、エンタメ小説としての「いい文章」に理解が及んでいないと感じることも多々ある。エンタメ小説のために一番参考になったのはスティーブン・キング『書くということについて』(小学館文庫、田村義進訳)だ。とても勉強になる文章読本でありながら、なぜだかほろりと感動させられる。さすがキング、レジェンドである。

文章については本当にいつも考えている。

正解がないから難しいのだが、自分なりにしっくりくる方向性はある。私がすごく共感するのは井上ひさしさんだ。何冊も文章指南本が出ているが、「自分にしか書けないことを、誰が読んでも分かるように書く」大切さを繰り返し教えてくれる。

例えば、人は日常的に大和言葉と漢語と外来語を使い分けている。井上さんは舞台の言葉は大和言葉で書くことにしているらしい。漢語を並べたせりふだと、短い文字に意味がつまりすぎているため、お客さんが聞いて考えているうちに次のせりふに移ってしまう。

これは大変面白い視点で、小説でも参考になる。文章も、読むスピードと理解するスピードが一致したほうが読みやすい。新聞記事のように短い文章に多くの内容が詰まっていると、視線がぎこちなく止まり、三百ページを超えるような長い物語には適さないからだ(途中で読者が疲れてしまう)。

毎日執筆して、繰り返し自分の文章を読んでいると、自分の文章に嫌気がさして、ゲラ確認でもあまり読みたくないと感じることがある。他の作家さんに話すと、「分かる! そろそろ他の人の文章を読みたいって思うよね」と賛同を得られることもあるし、「読み直しても、俺の書いた小説、おもしれーとしか思わない」という反応もあった。私の場合は、これからも日本語に悩み続ける(そして学び続ける)ことになるだろうと思う。

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新川帆立

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