何故、「国葬」に反対しないで、「アベの国葬」に反対するのか【仲正昌樹】

何故、「国葬」に反対しないで、「アベの国葬」に反対するのか【仲正昌樹】

  • BEST T!MES
  • 更新日:2022/09/26

そもそも、統一教会に完全に入信し、自分の人生を捧げるかどうか決めようとしている人が、安倍元首相の御墨付きごときものに影響されるだろうか? 最初にイベント参加のきっかけにはなるかもしれない。しかし、イベントに参加した人が、すぐに信者になるわけではないだろう。「アベ国葬反対」と叫ぶ声が燃え上がる一方で、そこに隠れた群衆心理の欺瞞を突くのは、『人はなぜ「自由」から逃走するのか:エーリヒ・フロムとともに考える』が重版出来しロングセラーの著者・仲正昌樹氏だ。「人の死を弄ぶな!」と叫ぶ反アベの人たちは、自分たちが「人の死」を弄んでいることに無自覚なのではないだろうか?

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安倍元首相の国葬に反対する人たちが 国会前で集会し、デモを繰り広げた(2022年8月31日)

■国家は人の死を利用する。宗教はそれ以上に、人の死を利用する

国家は人の死を利用する。国のために死んだ人を追悼することは、愛国心や同胞意識、名誉欲などを喚起することになる。政治思想史では、ペロポネソス戦争の時のペリクレスの戦死者への追悼演説が有名である。

宗教はそれ以上に、人の死を利用する。その典型がキリスト教だ。十字架の上でのイエスの死を教義の中心にすえただけでなく、多くの殉教者を聖人にした。哲学も、ソクラテスの死を、真理探究者の覚悟のようなものを示すシーンとして利用した。

今回の安倍元首相の死も、多くの人たちによって利用されている。国葬をいち早く決めた政府・与党は、これを自民党政権が命がけで政治に取り組んでいることをアピールするために利用している。旧統一教会は、安倍氏が南北朝鮮統一のための戦いで、自分たちと完全に志を一にする同志であるかのようなアピールするために利用した。

ただし、旧統一教会と安倍氏の関係について早とちりしていた人たちがいたので、念の為に言っておく。八月にソウルで開催されたワールドサミット2022で、安倍氏を追悼するセレモニーが行われたが、あれは、統一教会式の葬儀ではなく、サミットに参加していた、信者でない各国(元)首脳や他宗教の代表も参加できるよう、簡単に献花を行っただけである。これを統一教会葬であるかのように言っているネット民が多かったし、それにのっかるような報道をしたマスコミもあった。恐らく、安倍氏が、教祖夫妻と並んで、旧統一教会の崇拝の対象になっているかのようにした方が、面白いし、統一教会と自民党を叩きやすいと思ったのだろうが、これは、露骨に「人の死」を利用しようとする政府や旧統一教会と比べると、かなり陰湿なやり口だ。

安倍氏の国葬に反対している人たちの「利用」の仕方は更に陰湿だ。リベラル・左派が、特定の人物を、国民の手本となるような人物として讃える「国葬」などという仕組みに反対するのであれば分かる――私も基本的には反対である。しかし彼らのほとんどは、「国葬」ではなく、「アベの国葬」に反対している。

彼らは、安倍氏は格差拡大に貢献し、憲法をないがしろにしてきたので、負の功績が大きいということや、統一教会の癒着の元凶なので、国葬にふさわしくない、ということを主張する。しかし、既にBEST T!MESに掲載された拙稿「安倍元首相殺害の原因を勝手に決めつけ、誇大妄想的な自説を展開することに大義名分はあるのか?」でも述べたように、安倍内閣の経済政策が弱い者いじめであったと客観的基準に基づいて決めつけることなどできない。逆に言えば、どういう経済政策を行った首相なら、国葬にふさわしい、ということになるのか。経済成長や財政赤字の影響は一切無視して、高所得者・大企業への課税を強化して、社会的弱者への福祉の面で大盤振る舞いするような首相であれば、ふさわしいのだろうか。また、憲法をないがしろにしたのが悪いというのであれば、九条護憲至上主義者であればふさわしいということなのか?

また、統一教会がのさばって、山上徹也容疑者の母親が高額献金して一家が生活に窮乏したのは、(信者でもない)安倍氏のせいだ、と決めつけている人は、統一教会と自民党の“ズブズブの関係”なるものが報道されるたびに、鬼の首を取ったように、「やっぱり」と叫ぶ。ネット上の国葬反対派と、“ズブズブの関係”に喚起する派はかなりかぶっているようだ。しかし、前回の「ネット社会が生み出した “日本の影の支配者=統一教会” という虚像」で論じたように、マスコミ報道で明るみに出たことは、自民党の議員たちが旧統一教会系のイベントに参加したり、祝電を送ったり、といった些細なことばかりである。

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■他人の人生を分かった気になれる反アベの人たち

安倍氏が統一教会の一員であるかのように言うことに拘る人たちは、広告塔効果の話をする。広告塔効果がある程度あったのは確かだろうが、どの程度のものなのか。健康食品とか金融商品の販売であれば、有力議員が後援していると聞いて安心要因になるかもしれないが、ある宗教に完全に入信し、自分の人生を捧げるかどうか決めようとしている人が、元首相の御墨付きごときものに影響されるだろうか。最初にイベントにちょっと参加するくらいなら、多少の安心要因になるだろうが、イベントに参加した人が、すぐに信者になるわけではない。

イベントに一度参加してしまったら、マインド・コントロールの罠に捕まってしまって、抜け出せなくなると言いたいのかもしれないが、一度イベントに顔を出しただけで、その人の心を支配するようなマインド・コントロール技術など、SFか彼らの脳内にしかない。あるいは、イベントにやってくる人は、メンタルが弱くて、すぐに操られてしまうとでも思っているのだろうか。山上容疑者の母親はそういう、安倍元首相の肩書で騙されてしまうような、意志薄弱な人間だったと言うのであろうか。

山上容疑者の母親がどういう経緯で入信し、財産のほとんどを献金するに至ったかは明らかになっていない。山上容疑者が、安倍元首相に対して本当のところどういう感情を抱いてきたのかも分かっていない。統一教会と親しかったからというのは付け足しで、実際には、権力の象徴としてターゲットにしたのかもしれない。そもそも山上容疑者は、ごく最近までは、自分の人生を生きようとしてきたのだから、統一教会への恨みだけが、母親の入信後の彼の人生の全てだったわけでもない。どうして反アベの人たちはそう簡単に、他人の人生を分かった気になれるのか? 山上容疑者が安倍元首相を暗殺したのは必然であったかのように言っている人たちは、自分たちが山上自身と彼の母親を、何の主体性もなく、周囲の影響に簡単に流されてしまう人間扱いしているのに気が付いているのか。

山上容疑者のことを、統一教会とアベのせいで自分の人生自身を生きることができなかった人間だと決めつける一方で、彼らの中には、極悪人であるアベを成敗し、“日本の影の支配者統一教会の巨悪”を暴いた彼を、“殉教者”扱いしている人たちもいる。少なくとも、アベ国葬に全力で反対している人たちのほとんどは、そういう危険な傾向を黙認、当然視している。アベが悪かったので、しょうがない。

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山上徹也容疑者

山上容疑者が殺したのは安倍元首相一人なので、死刑にはならず、いつか刑期を終えて釈放されるだろう。釈放されたら、彼らは山上を聖人として歓呼の声で迎えるつもりなのか。否、既に彼の“信者”になる人が出始めている。人を殺しておきながら聖人扱いされる人がいる一方で、殺されたうえに、侮辱され、殺してもまだ飽き足らないかのように言われている人がいる。それだけは、客観的事実である。これが、「正義」を求める人たちのやることだろうか。

国家の英雄を作り出す「国葬」という仕組みに反対せず、国葬をネタにアベを悪魔扱いし、山上容疑者を赤穂義士のように言う人たちは、最悪の形で、「人の死」をもてあそんでいる。彼らのやっていることは「負の国葬」だ。

安倍長期政権の功罪を検証するというのであればいいが、それを、「アベは国葬に値しないひどい奴だ」、という人格攻撃のネタにするというのは、本末転倒だ。それとも彼らは、日本国民は、国葬が行なわれたら、(山上ではなく)アベを神として崇めるようになるほど、愚かだと思っているのか。それほど単純で、セレモニーの影響を受けやすいバカばかりだから、(自分たち頭脳明晰なエリート以外は)すぐにトーイツに洗脳される、と思ってしまうのだろうか。

文:仲正昌樹

仲正 昌樹

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