「実は6割以上が一浪以上」エリート中のエリートである財務次官たちの意外な経歴

「実は6割以上が一浪以上」エリート中のエリートである財務次官たちの意外な経歴

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2021/07/21

エリートの集まる官僚の中で、その頂点といわれる財務事務次官(旧・大蔵事務次官)。だが、その経歴を調べてみると、戦後入省で財務事務次官となった36人のうち、22人は浪人や留年などの「回り道」をしている。なぜなのか――。

※本稿は、岸宣仁『財務省のワル』(新潮新書)の一部を抜粋したものです。

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写真=iStock.com/7maru※写真はイメージです - 写真=iStock.com/7maru

入省までに回り道をしている割合

秀才では言い足らず大秀才、いや天才と呼んでもいい優秀な頭脳集団である財務省。今も世の中の人が思い浮かべるイメージに大きな変化はないと思うが、ここでは意外な事実をお目にかけたい。新聞記者の頃から霞が関の中でも財務省人脈をフォローしてきた筆者にとって、ほぼ40年の歳月を経て初めて知る事実もあった。

この取材は、ある財務官僚とのちょっとした会話がきっかけになった。

「うちの事務次官経験者を調べてもらえばわかるが、入省までに意外に回り道をしている。むしろ、そんな人のほうがトップを極める確率が高いように思う」

何気ないやり取りに虚を衝かれたような思いがした。それまで財務官僚といえば、大学も国家公務員試験もストレート(現役合格)が当たり前と思い込んでいたが、改めて彼らの入省時の年齢を調べてみると予想外の結果が出たのだ。

戦後入省で事務次官に就任した人は、就任予定の矢野康治まで36人を数えるが、内訳を見ると、現役14人(39%)、1浪相当14人(39%)、二浪相当以上8人(22%)となる。かっこ内の比率からも明らかなように、現役が39%なのに対し、一浪相当以上が61%にのぼり、ほぼ4割が現役、残りが何らかの回り道をしている。

いざ蓋を開けてみて6割以上が回り道と聞くと、エリート中のエリートである財務官僚に対する固定観念が揺らいでしまうかもしれない。いや、逆に財務官僚とて人の子、人生に躓(つまず)くこともあるだろうと、むしろ自身の同類を発見したような安堵感を覚える向きもあるに違いない。

受け止め方は読者に任せるとして、次官経験者の中から印象に残った回り道組の何人かを紹介してみたい。

大秀才の入省年時の年齢に違和感

最初に登場してもらうのはまさにその人物であり、戦後入省者では退官後を含めて最も出世した松下康雄元日本銀行総裁である。

今から40年前の1981年、筆者が初めて大蔵省の記者クラブである財政研究会を担当した時、松下は主計局長のポストに就いていた。赴任の挨拶前に人物情報を仕入れていたが、それは松下の大秀才ぶりを窺わせるものばかりであった。

「松下さんは神戸一中(現兵庫県立神戸高校)始まって以来の大秀才と謳われた。旧制中学時代の同期に、共産党切っての論客として鳴らした正森成二さん(元衆議院議員)がいて、二人はライバルとして成績を競い合ったそうだ。旧制一高ではドイツ語を専攻したが、ドイツへの留学経験がないのに語学力も群を抜いて、独高級誌シュピーゲルを辞書無しで読んでいた」

人間の器というか、懐の深さも人並み以上であり、主計局主査(課長補佐相当)の頃から「将来の次官候補」の前評判が高まった。その後、主計、主税、銀行局の主要ポストを満遍なくこなし、出世の階段を順調に駆け上った。

官房長のあと主計局長を経て事務次官に昇り詰め、「大物次官」の証明とされる二年間の任期を全うした。大蔵省OBの強力な推薦を受けて日銀総裁候補に浮上、日銀からの反発もほとんどないまま、次官経験者としては最高の天下りポストを掌中に収めた。

そんな華麗なエリートコースを歩んだ松下だが、入省時の年齢が二24歳と年を喰っているのが引っかかった。官房秘書課が作成する人事録を見ても、軍隊経験は書かれていないし、遅れた理由に触れた記述は見当たらない。

東大出のエリートの道ならぬ恋

「あれだけの大秀才が、なぜ回り道をしたのか」が気になり、すでに松下が死去していたため、彼と親しかったであろうOBの何人かに真相を聞いて回った。

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写真=iStock.com/Tony Studio※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tony Studio

空振りを覚悟で話を聞いているうち、あるOBが「何でそんなことに興味があるの」と苦笑いしながら、ぽつりぽつりと思い出話を始めた。

「大先輩から大昔に聞いた話で記憶が定かではないが、確か、東大法学部の学生時代に恋愛問題を起こしたんじゃないかな。それも、教授だか助教授だかの奥さんと不倫して、結果的に留年か何かせざるを得なくなったと聞いたことがある」

回り道は、不倫が原因? あまりに想像を絶する話に、二の句が継げなかった。松下の場合、回り道どころか、人の道を大きく外れた時期があったということで、筆者が抱く松下のイメージががたがたと崩れていくのを意識した。

“官僚ヤクザ”が「挫折」したワケ

次に、同じ24歳で入省した保田博元国際協力銀行総裁。

風貌といい、立ち居振る舞いといい、誰が名づけたか“官僚ヤクザ”と呼ばれた。本人もこのニックネームを「仁義に篤い人」と解釈して、前向きに受け止めていた。主計局の公共事業担当主計官(課長相当)時代には予算を切りまくり、別名“ぶった切りのやっさん”の称号を奉られたこともある。

蔵相秘書官で仕えた福田赳夫元首相にことのほか可愛がられ、その後、福田が経済企画庁長官になった時も、首相に就任した時も秘書官に取り立てられた。仕事に対する口の堅さには定評があり、そこが大蔵OBでもある福田の信頼を得た要因といわれるが、官僚ヤクザの仇名通りに、どこかさばけた、人情味を感じさせる温かい人柄も併せ持っていた。

二度目の財研担当となった八九年、ある会合での思い出話が忘れられない。大蔵省幹部と財研記者との懇親会があり、たまたま官房長の保田と同じテーブルに座った。

日頃の取材で耳にしていた噂話を、こんな席ならいいだろうと気楽に尋ねてみることにした。噂話の確認も終わりかと思っていたところ、故郷・呉が引き金になったのか、問わず語りに高校から大学時代にかけての異例ともいえる人生体験を語り始めた。

「私は大蔵省に入るまで、仲間より2年も遅れてしまった。広島の県立呉三津田高校時代、テニスに熱中し過ぎて胸を病んだ。1年間休学せざるを得なくなったが、自分より1年後輩のクラスに入るのもシャクだと思い、東京にいる友人の下宿に転がり込んで都立日比谷高校の編入試験を受けて3年生を2度やった。もう一つは大学四年の夏。夏の暑い盛りに扇風機をがんがんかけて公務員試験の勉強しているうち、大風邪をひいて高熱を発し、救急車で病院に運ばれ試験を受けることができなかった。翌年受けて何とか合格したが、ここでも1年遅れてしまった」

すでに次官昇格が確実視されていた保田の話を聞きながら、エリートとは無縁の「挫折」という言葉が脳裏に浮かんだ。そうした若き日のハンディをものともせず出世街道をひた走る人物を目の前にして、「本人の実力は言わずもがな、大蔵省という組織もなかなかやるじゃないか」と素朴な感想が胸の内を駆け巡った。

次官経験者にある共通項

財務官僚の中でもトップエリートといえる次官経験者だが、それぞれ十人十色の人生経験をしている。ここで取り上げた人達だけでも絵に描いたようなエリートコース一直線ではないことを理解してもらえるだろうし、回り道組が6割以上を占めることもそれなりに納得がいくのではないか。

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岸宣仁『財務省のワル』(新潮新書)

高級官僚、とりわけ財務官僚には、「挫折を知らないエリート集団」というイメージが常について回る。だが実際は、寄り道せずに最短距離で財務省に入るより、多少回り道した人のほうが最後の栄冠を手にする確率が高いのは、どんな理由によるのだろう。

無論、その疑問に明確な答えなどあるはずはないが、次官経験者をはじめ何人もの財務官僚に質してみたり、自分が接してきた彼らの人となりを整理してみると、ある共通項が見えてくる。

それは人として考えれば当然の結論ともいえるが、心の温かさが滲み出る人間味であり、もっと砕けた言い方をすれば、愛嬌や可愛げといった人間性の豊かさを示す何かである。

財務官僚に限る話ではないが、どんな世界でも回り道をした人のほうが、人間味を感じさせるプラスアルファを持っているケースが多い。

一年、二年の浪人や留年で大袈裟ではないかという指摘もあろうが、一度失敗しても挫けずに淡々と頑張る日々の中で、おのずと培われる人としての優しさのようなものはあるはずだ。まして十代後半の傷つきやすい青春の一時期であれば、想像以上に大きな影響をのちのちまで人格形成に及ぼすことは十分考えられる。そして、この人間味に付加される愛嬌、可愛げという要素は、組織を生き抜くうえで重要な潤滑油になり得る。

国家試験一番が次官になる確率

パナソニックの創業者である松下幸之助は、社員を採用する際の条件として「運と愛嬌」を重視したといわれるが、東大法卒中心の同質性の高い財務省のような組織では、とくに政治家の中でも二世や官僚出身ではないたたき上げの議員との付き合いで、この部分が意外な効果を生むことがあるという。

腕一本でのし上がってきたこのような議員は、財務官僚に対して、はなから「いかにもエリート面した、いけ好かない奴」という態度で接してくる。そのギクシャクした緊張感を取り除かないと、日々の根回しにも支障が出るが、こんな会話が緊張を解きほぐすきっかけになることがあるそうだ。

「どうせ、君達はエリートだからな」

「いや、先生、私も一年浪人してそれなりに苦労しました」

「へえ、君らでも浪人なんてするのか」

そんなやり取りが契機となって気心が知れ、根回しがうまく進むようになったと聞いたが、こんな一面も政治家からすれば、鼻持ちならないエリートに見られがちな財務官僚の愛嬌や可愛げに映るのかもしれない。

人間味や愛嬌などですべてを言い尽くせるわけではないが、ある一面は鋭く突いていると思う。あえて単純な物言いが許されるなら、偏差値教育による学校秀才と組織でもまれる社会人秀才とは別物、ということを言外に示唆しているのではないだろうか。

35人すべてに直接確認したわけではないので、軽々な結論を下すのは差し控えるべきかもしれない。が、私の取材が正しければ、現役は言うに及ばず公務員試験一番で次官にまで昇格したのは吉野良彦ただ一人である。率にして、3%に満たない。単なる学校秀才では、三十数年間の出世レースを勝ち抜いて栄光の椅子に辿り着くのはやはり難しい。

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岸 宣仁(きし・のぶひと)
経済ジャーナリスト
1949(昭和24)年、埼玉県生まれ。ジャーナリスト。東京外国語大学卒。読売新聞経済部で大蔵省や日銀などを担当。財務省のパワハラ上司を相撲の番付風に並べた内部文書「恐竜番付」を公開したことで知られる。『財務官僚の出世と人事』『同期の人脈研究』など著書多数。
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岸 宣仁

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