
【前回の記事を読む】「ナシつけてったる」ヤクザと乱闘をしていた叔父に思わず…
第三章 兄弟分
八草組の事務所は布施駅南口のショッピングビルの裏筋にあり、遊興街に隣接している。四階建ての間口六、七メートルほどの小さなビル一棟が事務所だった。
私たちは万一のことを考えて一ブロック先の離れた路上に車を停めた。表通りから少し入った昼下りの狭い裏筋は、まったくといって人通りがない。
相撲部屋のような分厚い板の組看板を前に、進と私は心細く顔を見合い、金属製の頑丈な扉の横のインターフォンを押したが、返事がない。
汗で饐(す)えた暑苦しい学ランが重い。時間が無性に永く感じる。それにつれ心臓が高鳴り、脈拍が上がる。一旦引いた汗がより増して流れ出てきた。頭上のカメラが気になり、車内の二人の勢いは完全に失せていた。
どちらかが帰ろうと言い出せば一目散で退散する。どっちからともなく顔を見合わせた、そのとたん、
「なんでっか?」
インターフォンから拍子抜けた男の声がした。ビクッとして、また向き合った。進の顔は蒼ざめていた。たぶん私も同じだろう。
「野村というもんですが、伊達さんにお目にかかりたいのですが、お取次をお願いします」
私は縺れた口で、できる限りていねいに言った。
数分して、カチン、カチンと複数の錠を外す音が響いたかと思うと、入道のような形相の男が、内から玄関の扉を開けた。
中に入ると窓のない薄暗い廊下の右奥に階段があり、雪駄の音を響かせていかにも人相の悪い二人の男が下りてきた。そして左側の部屋に私たちを押し込むように入れた。
部屋中央に置かれた応接用のソファーに座らされ、威圧するようにその男たちは私らの背後で黙って立っている。殺風景な部屋の正面の壁には大きな代紋の額が掛けられていた。
室内は冷凍室のように冷房がきいていて、一挙に私の体は冷え背筋の汗は冷汗になって腰に伝った。少し開いた奥のドアの隙間から祀られた神棚と多くの名札が壁の上段に並べられている。そこにも数人の男の気配がした。
「おぉ、こないだの学生さんか」
伊達さんが奥の部屋から他の男とまったく違うオーラを放って出てきた。オールバックの細面の風貌に黒い長袖のシャツの前を開けて、そこから覗く入れ墨に進の視線が釘づけになっていた。
「なんやオマエら? もうええ」
と、後ろに立っている男たちを部屋の外に出した。
「先日はありがとうございました!」
私はすかさず、直角に腰を折り、進も同様に手を指先まで伸ばし挨拶をした。
「おう、さすがに応援団やのう、野村やったなぁ、まぁ座れや。ほんで今日はなんや?」
伊達さんは深々と椅子に腰を落として言った。
「はい、伊達さんにお願いがありまして」
私は懐から先ほどのナイフを取り出し、テーブルの上に静かに置いた。
「なんや、物騒なもん出しよって」
眉を顰(ひそ)め表情が一変した。そのナイフを手にした左手の薬指には重そうな大粒のダイヤをはめ込んだ指輪が光っていたが、それよりも先端が欠けている小指のほうに目がいった。
再び入道のような男が部屋に入ってきて、冷えた麦茶をテーブルの上に置こうとしたとき、伊達さんが手にしたナイフを見て、一瞬動きが止まり険悪な気を放った。
伊達さんはそれを感じ、黙って右手をそっと立ててその男を制し、二度振ると、男は黙って会釈をして、安っぽいガラスコップを不器用に置いて部屋の外に戻った。
古いクーラーの音が室内に響いている。
「それでっ?」
凍りついた沈黙を破って伊達さんが発すると、私たちは反射的に垂れた頭をあげたが、言葉が出てこない。進が私に目くばせする。
「はっ、はい、俺、いや、私の従妹に清子という高校生の娘がおりまして、こちらの浅井さんといろいろあるようで、その娘の父親、私のおっさんですけど、さっき小阪でちょっとしたいざこざがありまして、そんで」
緊張のあまり、しどろもどろでうまく説明ができない。
「でっ、オマエらはどないしたいねん?」
伊達さんは前屈みになって鋭い眼光を私たちに突き刺している。言葉は優しいが威圧感から私はすぐに返事ができなかった。
「まぁええわ、事情は察しがつく。でもな、ヤクザは看板張っている以上、若いもんに示しがつくようにせなあかん、そやろ」
伊達さんは私たちの表情を探りながら、そう切り出した、
「頭ごなしに浅井の顔を潰すわけにもいかんし、さりとて浅井のドスをオマエラが持って来とる以上、場合によっちゃ落とし前もつけんとあかん。オマエらが考えとるようにことは簡単やないぞ」
確かに私は簡単に考えていたことを改めて反省した。
「おい、浅井は今どこにおる。呼んで来い!」
と、奥にいる若い衆に強い調子で言うと、奥から返事の声がして、数人裏口から出て行く音がした。
小山 昌孝