
De La Soul『3 Feet High And Rising』
1988年に結成され、ジャズラップやオルタナティブヒップホップの発展にも大きく貢献した伝説のヒップホップグループ De La Soul。今年の2月にはメンバーの一人であるデヴィッド・“トゥルーゴイ・ザ・ダヴ”・ジョリクールが亡くなったと報じられ、多くのヒップホップアーティストたちが彼らの功績を讃えるコメントを寄せていた。
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54歳で亡くなったトゥルーゴイは、近年うっ血性心不全を患っていることを明かしており、ライブ活動からも遠ざかっていた。2月に行われた『第65回グラミー賞』のトリビュート・パフォーマンス「ヒップホップ50」にはDe La Soulも出演していたが、トゥルーゴイの姿は見られなかった。
ヒップホップファンたちがトゥルーゴイの訃報を悲しむなか、De La Soulの2004年以前の作品が正式にストリーミングサービスで解禁されたことも話題になっている。彼らは以前所属していたレーベル Tommy Boy Musicとの確執が原因で、2004年以前の楽曲がストリーミング配信されていなかった。
De La Soulの初期作品は2019年に一度ストリーミング配信されていたが、Tommy Boy Musicが収益の90%を得るという不当な条件で利益配分が行われていた。また、インディペンデントレーベルであるTommy Boy Musicは、「そこまで売れるとは思わなかったと」という理由で、当時サンプリングの許可を得ずにDe La Soulのアルバムをリリースしていたようで、もしサンプリングの使用権利を巡って訴えられた場合、収益の10%しか受け取っていないDe La Soul側にも金銭的な制裁が下る可能性もあるため、De La Soulはファンに「初期作品は再生しないでほしい」と勧告していた(※1)。
そこから取り下げられた2004年以前の作品であるが、デビューアルバム『3 Feet High And Rising』(1989年)がリリースされてからちょうど34年となる2023年3月3日、Reservoir MediaがTommy Boy Musicを買収したことにより、アイコニックなデビューアルバムだけではなく、『De La Soul Is Dead』(1991年)、『Buhloone Mindstate』(1993年)、『Stakes Is High』(1996年)、『Art Official Intelligence: Mosaic Thump』(2000年)、『Art Official Intelligence: Bionix』(2001年)などが正式にストリーミング解禁された。
1989年にリリースされた『3 Feet High And Rising』は、ヒップホップのランドスケープを変えた作品として今も讃えられている。当時、ヒップホップといえばRun-D.M.C.のような黒いレザージャケット、ビッグ・ダディ・ケインやN.W.A.のような金のチェーンというトレンドやイメージがあるなか、De La Soulは他とは全く違う存在であった。カラフルなヒナギクが施された『3 Feet High And Rising』のジャケットや服装もさることながら、サンプリングした楽曲やテーマもハードなイメージのヒップホップとは程遠いものであった。De La SoulはKraftwerk、スティーリー・ダン、Hall & Oatesなどの楽曲をサンプリングし、アルバムにはSkit(寸劇)を多数収録した。ヒップホップにおけるSkitの存在はDe La Soul以前にもあったが、バラエティ番組を模したアルバムイントロや、メンバーの散髪や“フケ事情”などを暴露したおふざけソング「Can U Keep a Secret」などを収録し、アルバムを通してシュールな世界観を作るという意味でも革新的であった。
そのような“変”な世界観を作る上で、大きな役割を担ったのがプロデューサーのプリンス・ポールだ。StetsasonicのDJとして知られていたプリンス・ポール曰く、De La Soulの3人は高校時代、いわゆる“ナード/おたく”のような存在だったようだが、メンバーが不思議なアイデアを出したとき、背中を後押しするような役目もプリンス・ポールだった(※2)。ハードなイメージだけではなく、等身大な素の姿もクールだと示した存在だったと言えるだろう。楽曲のコンセプトもそのような「見栄を張らないリアル」を表現したものも多く、Funkadelicの名曲「(Not Just) Knee Deep」をサンプリングした「Me, Myself & I」のMVでも彼らのメッセージを受け取ることができる。
『3 Feet High And Rising』が広まり、メディアによって平和を愛する「ヒップホップ界のヒッピー」というレッテルを貼られた彼らは、そのイメージを覆す『De La Soul Is Dead』というタイトルの2ndアルバムを1991年にリリースした。当時、写真撮影には大体フローリストが参加し、ヒナギクの花が置かれている現場が多かったと明かしており、『De La Soul Is Dead』のジャケットでは倒れたヒナギクの絵が描かれている(※2)。当アルバムと3rdアルバム『Buhloone Mindstate』では、成功を得てからの音楽業界での経験が反映されており、当時の派手なライフスタイルを押し出す流行りのヒップホップなども揶揄している。
そうしたテーマをさらに深掘りしていったのが、1996年にリリースされた4thアルバム『Stakes Is High』である。特にJ Dillaがプロデュースした、かの有名なタイトルトラック「Stakes Is High」では、銃規制やドラッグ、ハイブランドをひけらかすトレンド、人種差別などについてラップしており、名ビートだけではなく多くの名パンチラインを残した。『Stakes Is High』はDe La Soulにとって、プリンス・ポールがプロデューサーを務めていない初のアルバムとなり、ネオソウル色が強いサウンドとなった。
以前、筆者はDe La Soulの故トゥルーゴイと少しだけ会話をする機会があったのだが、彼は日本のヒップホップファンに対して、以下のように語っていた。
「私たちは1989年以来、何度も日本に来ているんだ。日本のファンは、愛したカルチャーを100%サポートしてくれる。だから日本は他のどの国よりもヒップホップやアーティストをリスペクトをしてくれているように感じる」
見栄を張らない、オルタナティブで不思議な要素をヒップホップにもたらし、“等身大の自分でもクールになれる”と後世のヒップホップアーティストに伝えたDe La Soul。彼らが存在していなければ、今のジャズヒップホップも、オルタナティブヒップホップも、アンダーグラウンドヒップホップも存在していないだろう。こうしてストリーミング上で正式に音源が解禁された今、De La Soulの功績を振り返り、亡きトゥルーゴイを想いながら、数々の名曲を聴き込んでみてほしい。
(※1)https://www.thefader.com/2019/08/08/de-la-soul-unable-to-reach-an-agreement-with-label-urge-fans-not-to-stream-their-tommy-boy-catalog
(※2)https://youtu.be/8i346sS-_8Q
(Kaz Skellington (Steezy, inc.))
Kaz Skellington (Steezy, inc.)