
【前回の記事を読む】病室のメンバーは同志!「パジャマがない」仲間のピンチに一致団結…
第1章 左乳房 ~33歳、乳がんになりました~
採血の達人
入院中は毎朝、食事の前に必ず採血をする。注射器を持つ人は3~4名のローテーションのようだが、そのうちの一人に採血の達人がいる。注射が大の苦手の私は祈る気持ちで腕を出すが、針先は絶対に見ない。いや、怖くて見ることができないのだ。鼻ひげの30歳過ぎのひょろ男さんが採血に来た。
「ちょっと痛いですよ」
と言うので手をグーにしてギュッと握りしめて、同時に目もギュッとつむり心の準備はオーケー。しかし、針先のチックンを全く感じない。
「ハイ、手を開いていいですよ」
の言葉でグーの手を開きながら目を開けて針先を見ると、それはしっかり腕に刺さっている。
「いつの間に?」
と思いすべてが終わって話しかけた。
「あの~~、全く痛くなかったです」
「そうですか、痛点が外れたのですね」
とニヤリとするだけ。これぞプロである。
「明日も来てね」
と祈る気持ちになる。3名のローテーションでやっているようだ。
優しい顔をした人が来るが期待を裏切られる。
「ちょっと痛いですよ」
「ウッ」
本当に痛い。
「顔ではない腕なのだ」
と思ってしまう。鼻ひげの30歳過ぎのひょろ男さんは「採血の達人」と、心の中で密かに認定した。
その後も職場の健康診断など毎年、採血をしているが「ちくん」を感じない達人には中々出会えないが、一度だけ若手の女性検査員の達人がいた。腕をアルコールで拭く時に針を刺す血管を確認しているのだろう。ギュッギュッと強めに拭かれたが、針先の「ちくん」は全く感じることなく終了。「ラッキー」と心中で叫ぶ。針を刺す前に
「ちょっと痛いですよ」
と声をかけてくれたので
「チクンもなかったです」
と伝えると
「それは良かったです」
と爽やかな笑顔の挨拶が返ってきた。そして、淡々と業務を進めているが、こちらとしては数々の注射体験の中、めったに出会えない達人レベルの人物に
「ありがとう」
と挨拶をして次へ進んだ。
以後の健診で達人には、まだ出会っていない。専属として雇いた~い。
人は辛いことを覚えている
病院生活が10日間も過ぎると自分の病室の廊下を挟んで向かいの部屋にも気心の合うおばさんができた。
「どうぞこちらにもいらっしゃいよ」
と呼び込んでくれた。すると病室の中には子ザルのMチッチ人形のようにかわいいおばあちゃんがいた。その気心合うおばさんは病室のメンバーを紹介してくれた。
なんとMチッチおばあちゃんは88歳で、ベッドの上にちょこんと正座をして周りのみんなの会話をニコニコ聞いている。ピーチクパーチク雑談の合間に時々Mチッチおばあちゃんの経験談が入ってくる。
外科の病室は2~3週間で退院する人が多い。盲腸なども当時は1週間ほどだったと記憶している。そのうちに気心合うおばさんが退院するとその後はMチッチおばあちゃんと二人きりの会話を楽しむようになった。体験談には戦争の話もあったが、とびきり覚えているのは「嫁いびりをされた」という話だ。
「人はね良いことより辛いことの方が覚えているんだよ」
「ほうほう……」
33歳の私は心の中では逆ではないかと思った。
「嫁入りしたらお姑さんがね、何もしてないのにイライラするからと竿で私を突くんだよ」
「えええー、ほんとですか?」
強烈な話だ。いじめとかのレベルではない。
「洗濯物を干す、物干し竿があるでしょ。あの長ーい竿で『エイッ、エイッ』って何回も突くんだよ」
ジェスチャーつきで話すが理解不能。きっと私の表情は「???」顔だ。
「人はね楽しいことや良いことよりも、辛いことや嫌だったことの方が忘れないで覚えているもんなんだよ」
とMチッチおばあちゃんはニコニコして笑い話のように話してくれた。もう昔むかし過ぎるのか、憎しみも何の一感情もない。ただ出来事を普通に笑顔で話している。笑顔というより恵比寿顔だ。聞いている私も、もらい笑顔になるが……。
「はぁー、そうなんですか~」
ともらい笑顔は微妙な苦笑いになる。自分の嫌だったことがすぐ頭に浮かんだ。
小学生の時に服や靴を隠されていじめられたことを、確かに忘れずに覚えている。しかし、その時に助けてくれた子がいて、その子の名前は今でもフルネームで覚えている。正義の味方を絵にかいたような子である。「今頃どうしているかな」と考えながら話を聞いていた。
Mチッチおばあちゃんは何てったって「88歳」、長い月日色んなことを経験してきたんだろう。自分の親の戦争体験や幼い頃の苦労話は耳にタコであるが、母親もおばあちゃんも当時を振り返って話す表情は温かい。遠い昔を懐しんで微笑んでいる。過ぎれば辛いことも一つの思い出に変わるのだ。
牧 柚花