65歳女性記者、2冊のノートに綴られていた母親介護「心温まる瞬間」の記録

65歳女性記者、2冊のノートに綴られていた母親介護「心温まる瞬間」の記録

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  • 更新日:2022/05/14
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介護の日々を綴ったノートを改めてじっくりと読み返したオバ記者

ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で母ちゃんの介護したオバ記者。その母ちゃんが亡くなって約2か月半、思い出したのは介護の日々を綴った2冊のノートのこと。最近になって初めてしっかり目を通したというそのノート。そこに綴られていたのは…。

* * *

母ちゃんを介護した日々を記した2冊のノート

今年の3月、93歳で亡くなった母ちゃんを、前年の夏から冬の初めまで自宅介護したあれこれは何度も書いたけれど、まだ一度も触れていないことがある。それは2冊のノートのこと。

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食事、トイレなど細かく記録

1冊は私と弟の連絡ノートで、これは最初の1か月で終わっている。もう1冊は介護ヘルパー会社のOさんが書いてくれた冬の初めに老健(介護老人保健施設)に入居するまでの4か月の記録だ。

そのノートはずっと私の手元にあったけれどちゃんと開いて読んだのは、つい最近のこと。あの介護の日々を思い出したくない気持ちが半分、母ちゃんの死を認めたくない気持ちが半分。

東京に戻ってきて前と同じように仕事したり、人と会ったり、法事に帰省したりして、母ちゃんのいない世界を普通の顔して歩き始めたんだから、後ろを振り向きたくないと無意識に思っていたんだと思う。

ノートを開いてみたら心温まる瞬間が

「長生きはするもんだね。残された家族は93歳まで生きたんだからってずいぶん慰めになるもの」と、人と会うと話していた。死んだ人は死んだ人。母ちゃんだって人類史上、海の砂粒ほどある人の死のひと粒で、何を騒ぐことがある、とかね。

そんなデカいことを自分に言い聞かせながらも、最後の日々を綴った2冊のノートを開けない。でも亡くなって2か月が過ぎた今、読み返してみたら、意外なことに心温まる芝居のような瞬間もあったんだよね。

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退院した当時の母ちゃん。危篤状態で弱弱しかった

たとえば退院して4日目、8月6日の午前3時半。母ちゃんの「マサコ、マサコぉ」という声で起こされて目が覚めたら、ベッドで上半身がはだけている。それまで寝返りを打つのがやっとだったのに、どうやってパジャマのボタンを開けたのか。

「マサコっちゃ誰だよ!」というと、黙る。マサコは東京に住む実の妹の名前だけど、夢でもみた?

で、オムツを交換して新しいパジャマとシャツを着替えさせると、母ちゃんがふいに「はぁ、病院には行きたぐねえよ」とハッキリした声で言ったんだわ。

それまで一方的に「水」とか「そっち(ポータブルトイレ)」とか言ったけど、まとまった会話をしたのはこの夜が初めてだ。鮮明にその時のことがよみがえってきた。

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「病院には行きたぐねえよ…」ハッキリとした口調で話した母ちゃん

思わずベッドのふちに腰掛けて、母ちゃんの手を取って甲をさすってやると、「オレも93だがんなぁ。年はとりだぐねぇなぁ」と天井を見ながら言う。

「でも母ちゃん、ずっと若いまんまだとそれはそれで大変だっぺ」というと、「そだなぁ」と否定しないの。けど、また「病院はやだよ」と言うから、「大丈夫だよ。私が世話すっから」と言って、母ちゃんの手を自分の太ももにポンポンと乗っけたわけ。

そうしたら母ちゃん、「そっかぁ。まだヒロコといられんだな~」だって。これ、殺し文句でしょ! 聞いた瞬間、やられた~、チクショーと思ったもんね。

その後で「トコロテン食いてえな」と言われた私は、飛び上がるような勢いで台所に行ったと記憶している。

母ちゃんとは価値観が違いすぎた

てかさ、そもそも母ちゃんは私と一緒に住みたいと思っていた?という疑問もある。少なくとも私はそうは思っていなかったの。そりゃあ、帰省して帰る時間になると、ちょっと寂しげに「帰んのが?」とは言ったし、もう一晩泊まるといえばきっと喜んだと思うよ。でもそれといっしょに住むのは別でしょ。

まず昭和3年生まれの母ちゃんと昭和32年生まれの私では、価値観が違いすぎて、話にならないもの。たとえばしばらく会わなかった私の友人が、高級メロンを持って母ちゃんの見舞いに来てくれた。そのお礼に行ってくるというと、「卵買って持っていってやれ」と言うの。卵が砂糖のときもあるんだけど、ワケわかんないでしょ?

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手土産は「卵」か「砂糖」と疑わない昭和3年生まれ

「ああ、昔の人はちょっとした手土産に卵とか砂糖を使ったんですよ」と、昭和6年、東京生まれの最年長のボーイフレンドは言うけれど、いったいいつの話よ。だけど母ちゃんは人は砂糖や卵をもらったら喜ぶと思って疑わないから、いったん口にすると絶対に引っ込めない。

それから出かけるときに家の鍵を閉めろとは言わないくせに、電気を消し忘れると大騒ぎする、とか。ひとつひとつは大したことじゃないけど、いっしょに住むとなるとすごいストレスだよ。

2人旅を母ちゃんが拒んだワケ

それだけじゃない。私は一度くらい母ちゃんとふたりで旅行をしたいと思って、誘ったことがあるの。珍しくフトコロがあったかかったから母ちゃんに贅沢をさせてやりたいと思ったんだよね。

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母ちゃんとのふたり旅行を計画したけど「ムリ」と断られたな(写真は義父と3人で温泉へ)

そうしたら、「それはムリだな」とキッパリ断られた。その口ぶりで母ちゃんの気持ちがわかった私は深追いせずに「ああ、そうか」で終わったんだわ。

もし次に言葉を続けるとしたら、「父ちゃんがひがむべな」に違いないんのよ。

“父ちゃん“は母ちゃんのニ度目の夫で、11歳年下の弟の実父だけど、私にとっては義父。私が母娘の旅に誘った時は、まだ義父ちゃんが母ちゃんを助手席に乗せて、関東一円の温泉地巡りをしていたころだったから、「なさぬ仲の自分を差し置いて」と、かなり面倒なことになると母ちゃんは気づかったんだね。

とまあ、そんな家庭の事情があったので母ちゃんと私は近いようで遠い、遠いようで近い関係だったの。それが変わったのは4年前に義父が亡くなってからで、もう誰を気遣うこともない。それで気が抜けた? 母ちゃんの体のあちこちに不具合が見つかりだしたんだわ。

そうそう。そういえば介護を始めてから亡くなった義父がニ度、現れたのよ。その話はまた改めて。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

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オバ記者ことライターの野原広子

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

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