「4歳児に滑り台を逆走させるママ友が許せない」母親 公園のマナーを息子にどう教えるべき?

「4歳児に滑り台を逆走させるママ友が許せない」母親 公園のマナーを息子にどう教えるべき?

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  • 更新日:2021/05/02
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山口謠司先生

NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主役である実業家・渋沢栄一が信奉していたことで、いまふたたび「論語」が注目されている。論語は、2500年前の思想家・孔子の教えをまとめた書物で、生き方の指針となる言葉の宝庫だ。「仁(=思いやり)」を理想の道徳とし、企業経営だけでなく、迷える現代の子育てにも役立つ言葉がたくさんちりばめられている。現代の親の悩みに対する処方箋として、「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、孔子の格言を選んで答える本連載。今回は、「4歳児に滑り台を逆走させるママ友が許せない」という母親へアドバイスを送る。

*  *  *

【相談者:4歳の息子を持つ30代の母親】

幼稚園年中の息子を持つ30代の母親です。公園でのマナーを守れないママ友にいら立ちます。彼女とは、子ども同士が同じクラスで同じグループ、降園後も一緒に遊ぶ仲です。そのママ友は、自分の子どもに滑り台を逆走させ、「いかにはやく駆け上がれるか」タイムを計って楽しそうにしています。「ほかに使っている子がいない時は構わない」というのが彼女の言い分なのですが、私はその行為を内心許せません。

私はこれまで、息子に「滑り台は滑るもの。逆走すると靴の底で滑る面を汚してしまうし、滑ってくる子とぶつかると危ないよ」と厳しく教え聞かせ、逆走したがっても我慢させてきました。たとえ誰もいない時でも守るべきルールだと思うのです。他人の教育方針に口を挟むべきではないと思いますが、彼女に対して黒い気持ちを抱えています。「お母さん、〇〇くん(ママ友の息子)は滑り台を上っているよ。ぼくもやりたいな」と言う息子。母親としてどうふるまえばいいでしょうか。

【論語パパが選んだ言葉は?】

・「已(や)んぬるかな。吾(わ)れ未だ能(よ)く其の過ちを見て、而(しか)も内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり」(公冶長第五)

・「子、大廟(たいびょう)に入(い)りて、事ごとに問う。或るひと曰(い)わく、孰(たれ)か、鄒人(すうひと)の子(こ)を、礼を知ると謂(い)うや。大廟に入りて、事ごとに問う。子之(こ)れを聞きて曰わく、是(こ)れ礼なり」(八イツ第三)

【現代語訳】

・「ああ、もうどうしようもない。自分でよく自分自身の悪いところを見て、内省する人を見たことがない」

・「孔子が魯の君主・周公旦を祭る神社に入られた時、祭祀の次第について、いちいちそばの者にたずねたうえで行動した。それを見てある人が言った。『誰があの鄒の町の役人の子(孔子)を、礼に達した人などとほめるのだろう。あんなふうに事ごとに質問するとは、あの男はまるで何も知らないようじゃないか』。孔子はこれを伝え聞いておっしゃった。『それこそが礼なのだ』」

【解説】

お答えします。

お母様の「いら立ち」、よく分かります。「ほかに使っている子がいないから」などという理由で、自分の子どもに滑り台を逆走させタイムを計って楽しむなんて!

「子どもは自分たちのアイデアで自由に遊具を使うものだ」という考え方もあるかもしれませんが、親が付き添って公園へいくような幼年期は、ケガをしてからでは遅いので、公共のマナー(=礼儀)を徹底的に教えるべきだと私は思います。

そして、「礼儀をわきまえない人」に対して、いら立ちや憤りを感じたのは、孔子も同じです。

「已んぬるかな、吾れ未だ能く其の過ちを見て、而も内に自ら訟むる者を見ざるなり(ああ、もうどうしようもない。自分でよく自分自身の悪いところを見て、内省する人を見たことがない)」(公冶長第五)と言っています。「訟」とは「自責」を意味します。

礼儀を知らない人が増えていると、私を含め、多くの人が感じています。電車でもエレベーターでも入り口で立ち止まって、後から乗る人降りる人の邪魔をする。道の真ん中を横に広がって歩いて、車が来てもよけようともしない。分別もしないでゴミを出す……など、言いはじめたらきりがありません。いら立ちを感じながら孔子のように「やんぬるかな」と言って、諦めるしかないのかなぁと思ってしまうのです。

ただ、同時に、振り返って、自分自身、もしかして孔子の「内に自ら訟むる者」であるかどうか、とも考えます。つまり、自分も人に迷惑を掛けるような行いをしていないかどうか。

もしも、人に迷惑を掛けるような行為を知らないうちにやっているとすれば、それはやはり、反省してそういうことをしないようにしないといけないと思います。

たとえば、それは「国」というレベルでも同じことが言えます。

日本は、石炭に依存する発電で、先進諸国のうち、二酸化炭素排出量が多い国だと何度も指摘されてきました。環境汚染大国です。世界各国から繰り返しそうした汚名を着せられているにもかかわらず、それを無視してこれまでと同じことを続けていたらどうでしょう。

「パリ協定」など、全世界で取り組まなければならない環境問題などに後れを取ってしまうと、国の尊厳が傷つくのみならず経済も立ちゆかなくなってしまうのです。

そう考えると、自分の普段の行いを自省すると同時に、人に聞いてみるということも大切なのではないかと思います。

孔子は、自分が正しいと思っていることでも、「これはどうすればいいでしょうか」と人に聞いています。とくに大きな決断をしないといけない時には、必ず周りの人に聞いたのでした。

「子、大廟に入りて、事ごとに問う」(八イツ第三)と、『論語』には記されています。

これに対して、孔子の急激な出世をそねむ人間であったと思われる「或るひと」は、孔子をバカにします。

「或るひと曰わく、孰か、鄒人の子を、礼を知ると謂うや(いったい誰があの鄒人の子を礼に達した人だと褒めるのか、あの男はまるで何も知らないようじゃないか)」

孔子の名前を口にするのをはばかって「鄒人の子」と呼んでいるのですが、事ごとに質問をする孔子を、揶揄するのです。

しかし、孔子は、この言葉を聞いて「是れ礼なり(それこそが礼なのだ)」と言います。

自分が行おうとすることが、正しいのか間違っているのか、それを人にたずねることこそが礼儀をわきまえることだと言うのです。

話を環境問題に戻しますと、環境国際会議が開かれるのは、こうしてそれぞれの国が力を合わせて社会をよりよいものにするためです。国家間の協調と明るい未来への模索は、つまるところ、一人ひとりの行動と無関係ではありません。

「滑り台の逆走」が我々の守るべき社会の規範に反するものなら、それは誰かが注意しなければならないことなのだと思います。お母様は「滑り台逆走はいけないこと」とママ友とその息子さんにも注意するべきだと思いますが、言えないのであれば、市町村の管理事務所を訪ねて、その是非を取り上げてもらうこともできるでしょう。そして、公園で楽しく遊ぶためのルールをみんなで決めてはいかがでしょうか。

社会は変わりつつあります。

これまでの日本社会は、「見て見ぬふりをする」あるいは「言わないこと」を美徳とするところがありましたが、是非を明確にする時代になったのです。孔子のように、分からないことはもちろん、分かっていることもあえて確かめるために、「尋ねる」ということはとても大切なことだと思います。子育て中の「細かいこと」も、みんなでルールを決めて、それを守ることが求められているのです。

【まとめ】

自分の普段の行いを自省すると同時に、人に「尋ねる」姿勢こそが、本当の「礼儀」。細かいことであっても、社会の規範に反するものがあれば、誰かが注意すべきだ

山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。

山口謠司

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