
岡田麿里。『アリスとテレスのまぼろし工場』は丸の内ピカデリー他で公開中。(c)新見伏製鐵保存会 配給:ワーナー・ブラザース映画 MAPPA
埼玉県の秩父と東京の間には、山々があり、長いトンネルがある。西武鉄道は飯能からは単線となるので各駅停車に乗り換え、そのトンネルを抜ける。
執筆に疲れた日曜日などふらりと秩父に行くようになったのは、まだ私が編集者だった時代に、岡田麿里さんの本をつくってからのことだ。
『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』という長いタイトルの本で、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」や「心が叫びたがってるんだ。」などのヒットアニメのシナリオを書いていた岡田さんの自伝だ。
タイトルからわかるように、岡田さんは、学校へ行けなかった。小学校五年生のころから学校を休むようになり、中学・高校の間はほとんど行けず、5年半、秩父にあった実家の自分の部屋にひきこもっていた。
この本は、編集者だった私にとっては、脳梗塞で倒れたり、はては局長を解任されたりと会社をやめるきっかけとなった出来事が起こった時期につくった本だ。会社をやめるというのはやはり大変なことで、それまでの関係性を社外の人と維持するのは、難しいこともあるのだが、岡田さんは、事情をわかったうえでその後も自然につきあってくれた。
その岡田さんが脚本・監督のアニメ『アリスとテレスのまぼろし工場』が公開された。
これを観て衝撃をうけたこともあって書いているのがこの回。
物語の構造がこれまで見たどんな話とも違う世界観なのだ。
主人公は高校受験を控えた中学生たちなのだが、高校受験の日が来ることはない。山間にある大きな製鉄所に大人たちは働きに出かけるが、ここではもう鉄はつくっていない。黒々とした山々と海に囲まれたその街の外に出ることができない。
かつて都会に出て行く鉄道が走っていた山をくり抜いたトンネルは、閉鎖されている。主人公たちが高校受験の勉強をしていた深夜に、製鉄所で爆発事故が起こってから、そのトンネルをつたって外に出ることができなくなってしまったのだ。

『アリスとテレスのまぼろし工場』より。亀裂の入った冬空の向こうに、満天の星空が見える。それが現実の世界だ。(c)新見伏製鐵保存会 配給:ワーナー・ブラザース映画 MAPPA
そしてその街はずっと冬のまま、季節は固定され、主人公たちも成長せず、街の人々も同じだ。たとえば、事故の時に身重だった女性は、出産することなく、身重のままだ。
そして「変化」は悪いことだとされ、街の人々は、自分を忘れることのないよう自分確認票を書くことが義務づけられている。
というのは、「変化」しようとして夢を持ったりすると、その人間に亀裂が走り、消えてしまうからだ。亀裂はその人間だけでなく街にも走る、そしてその亀裂の向こう側に見える景色で次第に観客は気づいていくのだ。亀裂のむこう側に見える街こそが現実の世界で、そこには時間も流れ、人々も成長していっていることを。
そのまぼろしの街の製鉄所は、鉄をつくっているのではなく、その亀裂をふさぐ神機狼(しんきろう)という煙をつくっている。
その製鉄所の第五高炉は、神聖なる場所とされ立ち入りが禁止されているが、そこには、少女が囲われている。その少女だけには時間が流れ、成長していくというパラドックス。
そしてその少女はトンネルからやってきた。
これまでルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』やC・S・ルイスの『ナルニア国物語』の時代から、むこう側の世界がまぼろしの世界だった。ところが、『アリスとテレスのまぼろし工場』では、主人公たちがいる世界がまぼろしで、むこう側が現実なのだ。
それは不思議な映像で、亀裂がどんどんふさがれなくなってくると、こちら側が冬であるのに対して、同じ街の夏の光景が見えてくる。しんしんとふっていた静かな雪が、主人公とヒロインが初めて心を通わせる(これは変化だ)キスのシーンで、雨音も激しい夏の雨に変わっていく。
暗い冬の街と、夏祭の花火もあでやかな現実の街、それが重なる幻想的な光景。
岡田さんに、試写会のあと「向こう側が現実っていうのがすごい」とラインを送るとこんな答えがすぐに返ってきた。
「思い出したの、昔の気持ち」
「自分だけが皆から外れたとこにぽつんといる感じ」
「私は現実に参加できていないみたいな」
本をつくっていた時岡田さんがふとした話を思い出した。
学校にいけず、ずっと家にいると、自分は変化をしていないのに、たまに電話をしてきたり訪ねてくる友人の話がめまぐるしく未来に向かっていることにたじろいだ、と。前に話をした時あの子は、あの男子が好きで好きでしょうがなかったはずなのに、その人の話はまったく出てこず、別の人に夢中になっている、とか。
映画には武甲山とおぼしき山も出てくる。武甲山を始めとする秩父を囲む山々は、当時の岡田さんにとって、閉じ込められる「緑の檻」だった。
国語の女性教師が、「秩父のセメント業を身を削って支えてきた武甲山に感謝の作文を書きましょう」と言った武甲山を、岡田さんは爆破したいと真剣に思っていた。
本ができてサイン会を池袋の書店で開いたときのこと。そもそも知らない人に会うのが苦手な岡田さんをやっとのことで説得してサイン会をした。固い表情をした少女が「私もずっと学校に行けません」と言って震える手で本を差し出したときに、岡田さんはにこやかに笑ってサインをしたあとで、涙ぐんでいた。
岡田さんに変化が訪れたのは、高校卒業後、長いトンネルを通って東京に出て一人暮らしを始め、ゲームの専門学校に入ってからだ。
ここで、物語をつくる、シナリオを書くという生涯の仕事にめぐりあう。
『アリスとテレスのまぼろし工場』も、第五高炉に閉じ込めていたその少女をトンネルを使って現実の世界に返すというのがクライマックスだ。
現実の世界を汽車がひた走るラストの映像は、18歳の自分自身へのオマージュでもあるのだな、と思った。
29年前に一人の少女が、あの部屋を出て、トンネルを抜けて未来へ向かったのだ。
下山進(しもやま・すすむ)/ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文春文庫)など。
※AERA2023年9月25日号
下山進