「ハーレーダビッドソン」はなぜ苦境に陥ったのか

「ハーレーダビッドソン」はなぜ苦境に陥ったのか

  • ダイヤモンド・オンライン
  • 更新日:2021/07/22
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野田一夫・ハーレーダビッドソンジャパン社長 Photo by Toshiaki Usami

コカ・コーラ、マクドナルド、リーバイスなどと並び米国を代表するブランドのハーレーダビッドソンが世界的に苦しんでいる。かつて80年代には経営危機に陥ったが、二輪車販売からハーレーの世界観を売るという「エンタメビジネス」へとモデルを変え、劇的に業績を回復させた取り組みは、ハーバード大学ビジネススクールのケーススタディーにもなった。だが、その成功モデルを他社が模倣する中、ハーレーの優位性は崩れ、守勢に立たされている。日本市場でいかに成長軌道へ乗せるのか。国内で英国の二輪車ブランド「トライアンフ」を急成長させた実績を買われ、昨年12月にライバルのハーレーダビッドソンジャパン社長に転じた野田一夫氏に話を聞いた。(聞き手・構成/ダイヤモンド編集部 松本裕樹)

自動車業界に約20年 40代で初めて二輪車業界へ

ハーレーダビッドソンジャパンの社長に就任したのは昨年12月。その前は英国の二輪車メーカーであるトライアンフモーターサイクルズジャパンで社長をしていました。

とはいえ、二輪車業界に身を置いたのは2013年からで、それまでは約20年間、自動車業界にいました。

最初に入社したのはマツダで、車両実験部に籍を置き、テストコースで燃費や加速性能などを実験する仕事をしていました。

しかし、バブル崩壊後の不況下で経営不振に陥る中、BMWジャパンに転職し、販売目標の設定や企画立案などを行う販売企画などに携わりました。マツダが競合評価するときのベンチマークがBMWでして、その走り感の良さを知っていましたし、プレミアムブランドのビジネスに携わってみたいを思ったからです。

その後、アウディジャパンの社長から、事業の立て直しのために販売部門責任者をやらないかと声を掛けられ、転職しました。

アウディでは新しいモデルを投入していこうとしている時期でして、このタイミングでブランドイメージを再び引き上げようとしていました。

私は販売企画部長や商品企画部長などを務め、在籍期間中に販売台数は倍増しました。

販売や商品企画、マーケティングなどのキャリアを重ねる中、もっとブランド全体を引っ張る総まとめのような仕事をしたいと思っていたときに、偶然、トライアンフから社長就任の話をもらい、40代にして初めて二輪車業界に移りました。

自動車も二輪車も基本的なビジネスモデルは同じです。また、BMWジャパンのかつての先輩がイタリアの二輪車メーカー「ドゥカティ」の日本法人社長に転身した先例もあったので、自分でもできるかなと思いました。

トライアンフ復活で 行った三つのこと

トライアンフに入社したのは2013年で、翌年11月に社長就任しました。

当時の業績はかなり厳しい状況でした。

モデルチェンジ前のタイミングということもありましたが、そもそもブランドの認知度やイメージが低く、また、販売店も販売台数が伸びないので疲弊し、古びた店舗が目立ちました。

トライアンフに在任中、さまざまな施策により年間販売台数を2.3倍に増やすことができました。

なぜこのような成果を上げることができたのか。それは基本を徹底したからだと思っています。

私が考える基本とは三つです。

まずはブランドの浸透です。

インポートブランドのビジネスにおいて、ブランド力を強化することはとても重要です。

トライアンフでは例えば、ブランドカラーを「青と白」から「黒と白」に変え、シックでプレミアムなブランドイメージに変更しました。

二つ目は良い商品です。私が社長就任後、新商品のラインアップを大幅に増やしたことは業績向上の大きな要因となりました。

そして三つ目は販売環境の改善です。

二輪車のビジネスで自動車と最も異なる点は、買ってもらった後に遊ぶ環境までケアすることです。

自動車であれば、顧客が販売店に来るのは車検や故障時ぐらいですが、二輪車は顧客と店員たちでツーリングに行ったり、カスタムの相談に応じたりと、顧客と販売店とのつながりが非常に重要となります。実際、顧客の評判が良い販売店では、クリスマスやバレンタインなどのイベントを頻繁に催しています。

国内販売店の数を 48から18へ縮小

私がトライアンフに入社時、国内には48の販売店がありましたが、その多くは町の自転車屋のような規模で、接客も十分とはいえない状況でした。

そこで、顧客対応の質の向上などの方針をお伝えし、遠くからでも顧客が足を運んでくれるような良い店への取り組みを強化してもらいました。その過程で残念ながらトライアンフの販売をやめる店も多く、結果、販売店は18となりました。

これらの販売店の中には、年間販売台数が10倍以上に増えたところもあります。成功事例が出始めると、他の販売店のモチベーションも上がりますし、業績が上がれば、社員の給料アップや店舗への投資も可能となり、さらなる集客につながる。こうして、本社、販売店ともに成長することができたのです。

販売店の改革にあたっては、輸入車シェアナンバーワンのハーレーダビッドソンの店に何度も訪れ、接客を学んだり、(ハーレーダビッドソンジャパンで約19年間社長を務めた)奥井俊史元社長にお話を伺ったりもしました。当時は、まさか将来、自分がハーレーダビッドソンジャパンの社長になるとは思っていませんでしたが。

トライアンフ社長から ハーレー社長になった理由

トライアンフの事業基盤がしっかりと出来上がり、コロナ禍でも販売台数が前年比25%増となり、一つの区切りはついたかなと思っていた昨夏ごろ、ハーレーダビッドソンジャパンの社長就任のお話をいただきました。ライバル会社のトップに転職するなんて全く考えていなかったのですが、ハーレーのブランドをもう一度復活させるというのはすごく魅力的に思いました。

ハーレーは他の輸入ブランドにシェアを食われている状況が続いています。

輸入小型二輪車の新規登録台数は2011年度に1万9315台でしたが、20年度には2万1789台へと1割以上増加しています。

しかし、同期間でのハーレーの台数は1万1609台から7846台へ減少。シェアも60.1%から36%にまで減少しました。

一方で、BMWやトライアンフなどがシェアを伸ばしています。

私がハーレーダビッドソンジャパンの社長に就任したのが20年12月ですが、この月の販売台数は(日本自動車輸入組合が統計を開始した10年7月以来)初めてBMWに抜かれ、ショックでした。

海外でもハーレーの業績が厳しい状況が続いていましたが、昨年5月に、ハーレーダビッドソンの米国本社では経営体制ががらりと変わりました。かつて経営危機にあったプーマを再建したヨッヘン・ツァイツ氏がCEOに就き、ハーレーの改革に乗り出しました。

(編集部注:ハーレーダビッドソンの業績は2018年12月期売上高57億1687万ドル、営業利益7億1352万ドル、19年12月期売上高53億6178万ドル、営業利益5億5560万ドル、20年12月期売上高40億5437万ドル、営業利益967万ドルと右肩下がりが続いている)

こうした中、ハーレーダビッドソンジャパンの社長に求められているのは、日本の二輪車市場に詳しく、日本人のメンタリティーを理解し、さらに日本のビジネスパートナーである販売店などと共に本当の変化を起こせる人でした。

それまでは外国人3人が計9年間、ハーレーダビッドソンジャパンの社長を務めましたが、こうした事情から日本人である私に社長就任の話が来ることになったのです。

野田一夫(のだ・かずお)/1969年3月6日生まれ。福岡県出身。93年マツダ入社、2001年BMWジャパン入社、06年BMWファイナンス入社、07年アウディジャパン入社、13年トライアンフジャパン入社、14年トライアンフモーターサイクルズジャパン代表取締役社長、20年12月ハーレーダビッドソンジャパン代表取締役社長。

>>後編に続く

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