「常に夫の付属品のように感じた」キャリア絶頂期で専業主婦に...シンガポールに移住した鈴木ちなみ(33)が語る、“駐在妻の孤独”

「常に夫の付属品のように感じた」キャリア絶頂期で専業主婦に...シンガポールに移住した鈴木ちなみ(33)が語る、“駐在妻の孤独”

  • 文春オンライン
  • 更新日:2023/03/19

2022年6月、生後9ヶ月の赤ちゃんと共にシンガポールに移住したモデル・タレントの鈴木ちなみさん。キャリア絶頂期での出産、そして海外移住で感じた日本の子育ての不思議など、激動の日々の裏側を聞きました。(全2回の1回目/続きを読む)

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鈴木ちなみさん

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買い物も子育ても日本とは全く違う

――2022年6月にシンガポール移住を発表して9ヶ月が経ちました。生活には慣れましたか?

鈴木ちなみさん(以降、鈴木) 最初は何がどこに売ってるかわからなくて、暮らしを維持するための買い物とか食事の準備に苦労したんですけど、やっとなんとなくわかってきた感じです。

――日本とはいろいろと勝手が違いますか。

鈴木 スーパーも大きすぎて何がどこに置いてあるのか全然わからないし、シンガポールのモールってなぜかどこも、トイレの表示から実際の場所までがものすごく離れていて。

授乳室が併設されているから助かるんですけど、バックヤードに連れて行かれちゃうのかな? と不安になるような遠さで最初は本当にびっくりしました。それに、日中は暑いのであまり人が歩いてないんですよね。

――お買い物はどうされていますか?

鈴木 近くのスーパーに行ったり、野菜の配達サービスを使っています。スーパーに行って驚いたのが、お母さんじゃなくてナニーさん(乳幼児教育の専門家として家庭訪問型の保育サービスを提供する人)がいっぱいいたことです。日本とは全然環境が違うなと感じました。

――めざましテレビの「ココ調~TOP OF THE WORLD~」などで各国を旅してきた鈴木さんでも、移住生活のスタートには戸惑いがあったんですね。

鈴木 日本の床はフローリングや畳ですけど、シンガポールの住宅は大理石のフロアが普通なので、掃除の仕方もわからない。子どもをお風呂に入れるにしてもバスタブがないからどうやってお風呂に入れるんだ? とか、とにかく足元の「生活」がまず問題でした。「桶」がどこに売ってるかわからなくて探し歩いたことも記憶に残っています。

これまで30ヶ国に行きましたが、仕事だとコーディネーターさんがいてくださるから、わからないことがあれば全部、日本語で聞いて答えてもらえる環境がありました。恵まれていたんだなと改めて感じます。

シンガポール移住のきっかけ

――そもそも、シンガポール移住のきっかけはなんだったのでしょう?

鈴木 2020年に結婚したのですが、そのときからパートナーに「近い将来は海外で働きたい」と言われていました。で、翌年子どもが生まれたタイミングで「海外で仕事ができそうだ」と話があったんです。

――では鈴木さんとしては、いつか海外移住する心づもりがあったんですね。

鈴木 「早晩その日が来るだろう」と思っていました。ただ移住先は決まっていなくて、最初はインドという選択肢もあったんです。でも、シンガポールでもこんなに大変なので、一度も訪れたことのないインドに移住していたら今頃もう日本に帰っていたかもしれません(笑)。

――赤ちゃんを連れての海外移住、不安はなかったですか。

鈴木 正直、渡航前はシンガポールでの暮らしに想像がつかなすぎて、逆に不安はなかったんです。それより眼前の問題として、生後数ヶ月の赤ちゃんをほぼワンオペでみながら家族3人分の荷造りをしなくちゃいけないことが重荷で重荷で、出発前は連日徹夜でした。

そのストレスで口の中がずっとピリピリしてて、シンガポールに向かう飛行機に乗れたときは、「ああ、無事に出発できた」と安心感でいっぱいになったくらいでした。

――それまで第一線で活躍されていただけに、海外移住の決断は難しくなかったですか?

鈴木 友達からも「結婚してからもバリバリ働くと思っていた!」と言われるくらい仕事が好きなんですが、子どもが生まれてからは家族と一緒にいることの優先順位が高くなったので、移住はすんなり決断できました。

ただ、もし日本に住んでいたら、子育てをしながらもっと仕事ができていたのかもしれないと思うことは多々ありますよね。

――鈴木さんの中で「専業主婦」という選択はなかったですか。

鈴木 うちは母がずっと働いていたので、下の妹2人と「専業主婦には絶対ならないよね」と小さい頃から話していたくらい、仕事を続けることが当たり前という環境で育ってるんです。その代わり、共働きの我が家では習い事や学校の送り迎え含めてずっと祖父母がサポートしてくれていたので、寂しい思いをしないですんだんですよね。

そういった意味で言うと最近、外国人のお友だちが「日本のお母さんは本当にすごい」と言っていて。というのも、ナニーの手を借りることなくみんな家事をこなしているし、子どもを連れて遊んでいる、と。しかも、お母さんと子どものペアを見かけることが多いとも言っていて。

――それは、日本の家庭は、女の人ばかりに家事・育児の負担がかかっているということでしょうか。

鈴木 日本人以外の家庭は、ナニーやお父さんと子どもが一緒というケースも多いんでしょうね。日本の場合、家事・育児を誰かに頼む文化がまだまだ根付いていないですし、自分で何とかしなきゃいけない気持ちが強い女性って多いと思うんです。でも、シンガポールのように、もっと外に頼ることが普通になればいいのに、と感じます。

「夫の付属品」としての立場に悲しくなったことも

――鈴木さんも今まさに、仕事と家庭のバランスを取ろうとしている?

鈴木 まだまだ仕事と子育ての両立に関しては模索中で、霧の中にいる状態です。今33歳なんですけど、20代の頃はバリバリ働きながらやりたいように生きてきて、自分1人でできないことは何もない、そんな気持ちでした。でも、シンガポールに来てからは夫の付属品というか、常に彼に紐付けされないと生活できないことに悲しい気持ちになったことがあります。

――「夫の付属品」とは、たとえばどんな状況でしょうか。

鈴木 シンガポールで携帯電話の契約や銀行口座を開設した時、私のビザは夫の帯同ビザ(家族ビザ)ということもあって自分1人では契約できず、夫のパスポートが常に必要だったんです。だから、銀行や携帯会社にも夫と一緒に行ってもらって。しかも、私の場合ですが、携帯に関しては自分の名義で契約ができず、夫名義で私の回線も契約してもらう必要がありました。

――自分の存在が揺らぐ体験ですね。

鈴木 結婚して名字が変わった時も「今までの自分ではなくなるんだ」という悲しさがありましたが、それ以上に、「私の人権って何だろう?」と考えてしまうくらい辛くて。「ああ、これが外国人として海外に住むということか、日本に住む外国人の方もこういう苦しい思いをしているんだな」と思い知らされました。

――YouTubeでは、移住直後は「鬱っぽかった」と吐露されていましたが。

鈴木 生活様式の違いなどで戸惑いだらけの中、子どもを1人でみなくちゃいけない。駐在でパートナーに帯同するお母さんの多くがそうだと思うんですけど、女性が1人で家のことを整える場合が多いんですよね。我が家は、夫が在宅で仕事をしていますが、忙しくしているし、こっちに来てすぐは知り合いもいないから、正直、最初の頃は気持ちが落ちていました。

駐在でいらっしゃる方は3、4年で赴任先が変わるため、シンガポールは常に新しい家族がやってくる場所なんですね。なので、毎日を不安に過ごしていたかつての自分がどこかに居ると思うんです。

――鈴木さんのもとにそういった相談がきますか。

鈴木 SNSを通じて連絡をいただくことがあります。私も来た直後は友だちもいないし、自分と同じように小さな子どもを連れて移住してきたという、同じ境遇の人と出会えるチャンスがなかなかなくて不安でした。パートナーと2人で来たのか、子どもの年齢によっても皆さん本当に悩みがバラバラです。

かつての自分のような孤独を抱えた人が日々やって来る場所だからこそ、今後はそういうお母さんに寄り添うサポートができたらいいなと思っています。

夫に「仕事があるから子守をお願いね」と伝えても…シンガポールに移住した鈴木ちなみ(33)が語る、“駐在妻”の子育てのリアルへ続く

(小泉 なつみ)

小泉 なつみ

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