「自分はまだサッカーが好きなんだな、と思いました」
齋藤学(32歳)は感慨深げに言う。
【画像】識者が選んだ2022シーズンJリーグベストイレブン フォーメーション
「チームが決まらない間も、ずっと体を動かしていて、どうやったらパフォーマンスを上げられるか、もっとサッカーをうまくなりたくて、進化、変化を求める自分がいました」
齋藤は昨年末で韓国1部、Kリーグの水原三星を退団後、チームを探していた。そして今年1月、オーストラリア1部のAリーグ、ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFCのオファーを受け、入団を発表。自身、プロ6チーム目だ。
「自分を求めてくれるチームがあるのは、やっぱりうれしかったです。自分はもっとできる、もっとやれる、という思いも溢れていたので。自分のなかで、その思いを大事に......」
プロサッカー選手としての火は消えていない。

ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツ(オーストラリア)への移籍が発表された齋藤学
齋藤は横浜F・マリノスの生え抜き選手として、2008年に高3でトップデビューしている。2011年、期限付き移籍先のJ2愛媛FCで気鋭のドリブラーとして頭角を現し、2012年に横浜FMに戻ってロンドン五輪に出場。2013年には最後までリーグ優勝を争い、天皇杯優勝に貢献し、ナビスコ杯(現行のルヴァン杯)ニューヒーロー賞を受賞している。2014年にはアルベルト・ザッケローニ監督のブラジルW杯日本代表メンバーにも選ばれた。2016年にはエースとして10得点を記録し、Jリーグベストイレブンも受賞。ヴァイッド・ハリルホジッチ率いる日本代表にも選ばれている。
しかし2017年、右ひざ前十字靭帯断裂で長期離脱を余儀なくされることになり、シーズン後に川崎フロンターレへの移籍を決断した。
「あの時は、移籍しない、という選択肢はなかった。でも何か一個でも違ったら、チームに残っていたのかもしれません」
齋藤は、当時抱えていた事情をかみ殺すように言う。移籍を巡っては、ひどい誹謗中傷も受けた。
「マリノスに引き留めてもらったら、ケガをしていなかったら、今のような年齢だったら、あるいはもっと若かったら......とか、考えたことはありますね。結果的に、移籍は悪い見え方になってしまった。でも、今から戻っては変えられないんです。それに、あの移籍があったからこそ、出会えた人もたくさんいて、自分だけの経験だし、"これが自分の道なんだ"と思っています」
【昨季は韓国でチームの1部残留に貢献】
川崎では3シーズンを過ごし、2度のJリーグ優勝に貢献した。3年連続でカップ戦含めて20試合以上に出場。今や日本代表の顔となっている三笘薫とポジションを競い合った。
2021年には名古屋グランパスに新天地を求め、リーグ戦24試合に出場した。日本代表の相馬勇紀とも熾烈なポジション争いを演じ、2022年はシーズン途中で水原に完全移籍。19試合に出場し、チームを降格の危機から救った。
「名古屋では試合に出られていなかったので、自信を失っていました。でも韓国でチャレンジができて、プレーできる感触を再び確かめられて、"違いを作れる選手として、もう一回やりたい"って気持ちになりました」
齋藤は異国のピッチで、サッカーに夢中になった。
10月のリーグ戦、左サイドからドリブルで崩し、ひとり、ふたりと抜き去ったあとだった。相手に無理矢理に倒され、ポスト横で手を突いた時、手の甲を骨折していた。しかし、そのプレーができたことのほうがうれしかった。アドレナリンが出て、折れたままプレーした。その後も日常生活はギプスで固め、試合で取り外し、テーピングをぐるぐる巻きにし、ピッチに立った。最後は痛み止めを6錠も飲み、ピッチに立って残留を引き寄せた。
「学、お前のおかげで残留できた!」
チームメイトにそう言われると、心底、うれしかった。ピッチに立てることに感謝した。
昨年10月、東アジア選手権などをザックジャパンでともに戦った工藤壮人の早すぎる死を悼んでいる。同年代で、お互いに切磋琢磨した。頻繁に連絡を取っていたわけではなかったが、ショックは大きかった。ニューカッスルと契約にサインした日、代表時代に工藤とふたりで歩く姿を写した写真を関係者からもらっていた。
「まだ、サッカーを続けないと......」
巡り合わせを感じ、心に誓うものがあった。
ニューカッスルは、アンジェ・ポステコグルー監督時代の横浜FM元ヘッドコーチであるアーサー・パパスが監督を務め、攻撃色が強い。ポゼッション戦術を掲げ、60%以上のボール支配率を誇るという。ただ、崩しからゴールのところで課題があった。
そこで、齋藤に白羽の矢が立ったという。
「移籍は生き方すべてが変わるものですね」
齋藤はしみじみと言う
「住むところや食べるもの、チームメイトや監督、プレースタイルも、クラブのルールも......。一緒のことは何もありません。生き方が変わることだし、だから移籍のたびに生き方が増えるとも言える。オーストラリアも全然違うはずで、大変かもしれませんけど、それも楽しみです。今回は通訳がつかないので、英語も本気で勉強しないと」
彼が行く道は、どこにつながっているのか。
「カタールW杯では日本代表を見ながら、素直に応援する自分と、悔しがっている自分がいました。まだまだ負けているとは思っていないので。自分が変わってきているなか、今はサッカーを見せられるのが楽しみです!」
プロサッカー選手として、16年目になる。
小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki