超「研究者肌」アイドルだった野口五郎が65歳に アプリ開発、論文執筆、さらにはゴルフの研究レポートまで...

超「研究者肌」アイドルだった野口五郎が65歳に アプリ開発、論文執筆、さらにはゴルフの研究レポートまで...

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/02/23

もう30年近く前だと思うが、老後のための年金保険のCMで、歌手の野口五郎が現在の姿から老人へと変身したかと思うと、テロップの名前も「野口ごろう」の「ご」の字が移動して「野口ろうご」に変わるというのがあった。

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いまや企業の定年も従来の60歳から65歳、さらには70歳へと引き上げられるなど、社会全体で「老後」はどんどん先延ばしされつつある。野口五郎もきょう2月23日に65歳の誕生日を迎え、今年はデビュー50周年の節目でもあるが、まだ十分に現役として活躍し、老後と呼ぶには程遠い。

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©時事通信社

その野口の活躍は本業にとどまらず、昨夏には、新型コロナウイルス対策のスマホアプリ「テイクアウトライフ」を開発して注目された。ライブ観覧などの際、会場に掲示されたQRコードをこのアプリで読み取れば、感染者が発生した場合、緊急通知を受け取れる。政府の通知アプリ「COCOA」とは違い、接触した場所がわかるのが利点だ。すでに野口自身のディナーショーのほか、飲食店、大相撲初場所でも導入されている。

以前にもアプリ開発に携わっていた野口

じつはこれは、野口が以前開発した「テイクアウトライブ」というアプリを発展させたものだ。こちらは、QRコードが印字されたカードをライブ会場で購入してスマホで読み取ると、終演後にライブの映像が送られてきて、文字どおりライブを“お持ち帰り”できるサービスである。

テイクアウトライブは、DREAMS COME TRUEやAKB48などほかのアーティストのライブでも導入された。コロナ禍で公演の中止や延期が続くようになってからは、活路を開く手段として利用者はさらに拡大しているという(※1)。

もともと野口は若い頃から自分で音響機材を操ってレコーディングを行なうなど、技術的にもさまざまな挑戦をしてきた。だが、CDが登場してデジタル化が進むなかで、コンテンツをつくるアーティストと、そのコンテンツを売ってビジネスをする人たちとがはっきり分かれ、後者がイニシアティブを握るようになる。

野口はこうした状況に対し、不安を持ったという。音楽業界の将来を憂慮し、もっとアーティストが適切な利益を得たうえで、ファンとのつながりも深められる方法はないかと模索するうち、ひらめいたのがテイクアウトライブのアイデアだった。

開発後、特許も取り、アプリはさまざまな方面で使われるようになったが、それでも野口の目的はビジネスではなく、《僕は歌手であるからこそ、このアプリを作りました。あくまで歌うための一つの手段であり、特許を取ったのは着実に次に進むフックだからに過ぎません》と強調する(※1)。

歌うことを突き詰め、英科学誌に論文も発表

野口はかつて医師や学者らとともに音源の振動をめぐる論文をイギリスの科学誌に発表したこともあるが、この研究も「歌うこと」から発している。

彼は、歌できちんと思いを届けたいと追究していたところ、そもそもどうやったら届けられるのか気になり始めた。高音は遠くまで届かずに落ちてしまうのに対し、低い振動はゆっくり遠くに届くという。ここから、人間には聞き取れない20ヘルツ以下の深層振動に関心を持つようになった。研究は、深層振動は人間の健康面にもいい影響を与えているのではないかという仮説のもと、現在も続けている(※2)。

昨年にはデビュー50周年を記念して、コブクロの小渕健太郎作詞・作曲によるシングル「光の道」と、往年のヒット曲のリメイクなどを収めたアルバム『Goro Noguchi Debut 50th Anniversary ~since1971~』をリリース。アルバムのCDやテイクアウトライブで配信した「光の道」のミュージックビデオには、深層振動も入れた。

どうも野口には研究者肌のところがあるらしい。趣味のゴルフについても独自の理論をレポート用紙30枚くらいにびっしり書いたことがあるという。それを親しいプロに見せたところ、3行も読まずに「勘弁してくれ」と返されたとか(※3)。

ゴルフを始めたのは23歳のとき。トップアイドルとして同年代の西城秀樹・郷ひろみとともに「新御三家」ともてはやされ、多忙をきわめていた頃だ。当時すでに自宅にスタジオをつくり、24時間音楽浸けの生活を送っていた。そのため健康を心配したスタッフにある朝、強引に車で連れて行かれたゴルフ場で、思いがけずナイスショットを出したことから、すっかりハマってしまったという。

華やかな経歴の裏で、経験した挫折

バラエティや俳優としてドラマなどでも活躍し、私生活ではタレントの三井ゆりと結婚するなど、野口の経歴は一見すると華やかである。だが、これまでには挫折もたびたび経験してきた。

デビューする経緯からして波乱続きだった。中学時代、歌手を夢見て故郷の岐阜から上京、作曲家の米山正夫の門下に入り、デビューが決まりかけた。だが、直後に変声期が来て、自慢のボーイソプラノが出なくなってしまい、一旦はチャンスを逃す。その後、声が安定してから、1971年5月にようやくデビュー曲「博多みれん」をリリースするも、しばらくは鳴かず飛ばずで、売り込みのためドサ回りも経験した。

アイドルとして人気を集めたのち、20代後半には、所属事務所の倒産をきっかけに独立したが、芸能界の不文律でテレビ出演を自粛せざるをえなかった。それもあって30代半ばまでは舞台を中心に活動する。

過呼吸発作に苦しむ中で野口が考えたこととは…?

そんな時期、ミュージカル出演中に過呼吸症候群で倒れてしまう。以来、発作を何度も繰り返すようになり、一時は引退も考えたという。心をコントロールするヒントを求めて、本を読み漁ったり、さまざまな人に相談したりもしたが一向に改善しない。しかし、あるとき、「治そうとするから苦しむんだ」と気づくと、フッと楽になった。以来、病気にあらがうのをやめ、発作が起こりそうになっても冷静に受け止めるよう心がけたところ、症状が好転したという(※4)。

加齢に対しても同様、あらがうのではなく、むしろそれを受け入れて上手に付き合っていくほうがよほど建設的だと考えるようになった。1998年には『芸能人はなぜ老けない』(ぶんか社)という著書も出している。

そんな野口が2018年、食道がんが見つかり手術を受けた。ちょうど西城秀樹が亡くなって間もない時期で、父親もがんで亡くなっているだけに、告知を受けたときには落ち込んだ。だが、家族の支えにより安心感を抱くと、ある種の覚悟ができたという。昨年取材を受けた週刊誌の記事では、《以来、ステージに立つたびに『これが最後だ』という覚悟をもって、歌えるようになりました》と語っている(※2)。

そこへ来てのコロナ禍で、歌手活動も大きく制限された。アプリを開発したのには、そうした状況に対する危機感もあった。《このままでは芸術が滅んでしまう》と、国会議員や自治体の首長らをまわって、アプリの導入を訴えてもいる(※5)。

テイクアウトライブを開発したきっかけには、10数年前、冬空の下で若い路上ミュージシャンのライブをたまたま観て、彼らに未来を残したいと強く思ったこともあったという(※6)。野口がそんなふうに自分だけでなく、有名無名問わずほかのアーティストたちのことも考えて行動しているのも、やはり自分が幾度も挫折を経験してきたからだろう。彼のつくったアプリが、アーティストたちの、そして音楽の未来のためにも力を発揮することを願ってやまない。

※1 『毎日新聞』2020年12月9日付夕刊
※2 『女性自身』2020年5月12・19日号
※3 『文藝春秋』2012年5月号
※4 『ゆうゆう』2009年3月号
※5 『朝日新聞』2020年12月31日付朝刊
※6 『週刊文春』2018年6月7日号

(近藤 正高)

近藤 正高

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