松岡弘さん、“盟友”安田猛さんの早すぎる死に悲痛「お互い切磋琢磨...一番の思い出は78年日本一」

松岡弘さん、“盟友”安田猛さんの早すぎる死に悲痛「お互い切磋琢磨...一番の思い出は78年日本一」

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  • 更新日:2021/02/22

元ヤクルト投手の安田猛さんが死去したことを受け、現役時代の盟友で右のエースとして通算191勝を挙げた松岡弘氏(73)が21日、本紙の取材に応じ、故人との思い出を明かした。

安田さんと松岡氏は1947年生まれの同い年。入団年は68年のドラフト5位だった松岡氏が4年先だったが、左右の両輪として、78年のリーグ初優勝、初の日本一を支えた。

「一番の思い出はやはりあの一年。78年の日本一です。お互いに切磋琢磨をして優勝できたことがよかった」

右の本格派で、186センチの長身から投げ下ろす松岡氏と技巧派左腕の安田さん。78年は松岡氏がシーズン16勝、安田さんが15勝を挙げた。

阪急と対戦した同年の日本シリーズで、第1戦は安田さんが先発して、5-6で惜敗。第2戦は松岡氏が勝利投手となった。3勝3敗までもつれ込み、10月22日の第7戦は松岡氏は完封勝利。ベンチから飛び出してきた安田さんと熱い抱擁を交わした。

訃報は20日夕に届いた。以前から、本人に「がん、だから」と聞いてはいたが…。

「律義で、とにかく曲がったことが大嫌いな奴でした」

引退後も、顔を合わせては当時の話で盛り上がった。最後に2人が会ったのは、昨年1月のヤクルト球団の新年会。盟友の早過ぎる死に、普段は快活な松岡氏も言葉少なだった。

安田猛さんについてヤクルト・小川ゼネラルマネジャー「ヤクルトの一時代を築いた左腕。ちぎっては投げ、ちぎっては投げという小気味いい投球をしていたという印象が強い」

ヤクルト・伊東編成部長「さまざまな方法で打者のタイミングを崩す投球を考えられていた。若い頃には直球でどんどん押せと背中を押してくれた」

小倉高の後輩のヤクルト・木谷打撃投手「『球団のために何ができるかを考えて行動すれば、見てくれる人がいる』と話してもらった。自分がプロでやってみて、安田さんのすごさを感じた」

安田 猛(やすだ・たけし)

1947(昭和22)年4月25日生まれ。福岡県出身。小倉高、早大、大昭和製紙を経て72年ドラフト6位でヤクルト入団。同年に新人王。最優秀防御率2度、75年から4年連続で2桁勝利。通算成績は358試合登板、93勝80敗17セーブ、防御率3・26。81年に引退後はヤクルトの投手コーチ、スコアラー、編成部長などを歴任。現役時代のサイズは173センチ、72キロ。左投げ左打ち。いしいひさいちの人気漫画『がんばれ!! タブチくん!!』では、ヤスダ投手として登場。超スローボールなど「新魔球」の使い手として描かれた。

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1978年10月4日、リーグ優勝の祝勝会で松岡弘投手(右)にビールをかけられる安田猛さん。左右のエースとして活躍した

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