東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」

東浩紀「群集心理の暴走、隠されたヘイト、忘却。『普通の日本人』の残酷さ」

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  • 更新日:2023/09/19
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東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役

批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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森達也監督の映画「福田村事件」を観た。

表題は、関東大震災の5日後、千葉県の農村で起きた香川県出身の行商人虐殺事件を指す。虐殺は隣村住人を加えた村ぐるみで行われ、幼児・妊婦を含む9名が殺された。

関東大震災の直後には群集心理の暴走で多数の市民が殺された。主な標的となったのは朝鮮人だが、中国人や社会主義者も含み、福田村では行商人が犠牲になった。被害者は被差別部落出身で、背景に差別意識があったと言われる。虐殺の中心人物は一旦逮捕されたものの、数年後には恩赦されてしまう。長いあいだ忘れられていたが、郷土史家の努力でふたたび知られるようになった。

福田村事件は日本の暗部である。群集心理の暴走、隠されたヘイト、事件後の忘却など現在に通じる要素が多い。

日本ではこのような事件が映画になることはまずない。「普通の日本人」が加害者になる話は好まれない。資金も集まらない。そんな逆風のなか映画化を実現したスタッフの努力に敬意を表したい。作品は「普通の日本人」の残酷さを隠さずに描いている。温和な村民が殺戮者に一変する場面は目を覆いたくなる。コロナ禍が終わり、SNSでは再び移民・外国人批判が飛び交っている。そんないまだからこそ観るべき作品だ。

弱点もある。じつは本作の森監督は「A」などで知られる著名なドキュメンタリー作家。そんな監督がどのようなドラマを作るのか、注目が集まった。

その観点で観ると、作品はあまりに「エンタメ」に寄り添っていた。福田村事件の記録はほぼ残されていない。だからやむをえない部分はあるが、あまりに創作が多い。在郷軍人の描写も類型的だ。群集心理の怖さを伝えるためには、もっと淡々とした、それこそドキュメンタリー的な突き放したカメラのほうがよかったのではないか。実際パンフレットを読むと、スタッフ内で意見の齟齬があったことも窺える。

とはいえ繰り返すが、「福田村事件」が近代日本の闇を抉った重要な試みであり、必見であることは変わらない。本作に続き他の闇もどんどん映画化されるべきだと思う。

◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

AERA2023年9月25日号

東浩紀

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