【ベテラン記者コラム(94)】阪神淡路大震災から26年、平尾誠二氏を思い出す

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  • 更新日:2021/01/14

6400人余りの死者を出した阪神淡路大震災からもうすぐ26年になる。1995年1月17日午前5時46分。その4時間ほど前に大阪市内の会社から神戸市内の自宅に戻り、床に就いたのが午前3時過ぎだった。

突き上げるような強烈な縦揺れ、そしてすべてをなぎ倒すような横揺れに襲われた。「大変でしたね。どんな揺れでした?」と尋ねられると、こう答えていた。「シェーカーの中でガシャガシャと振られた感じだった。入ったことはないけど」

揺れが収まって、窓から外を見ると2カ所で火の手で上がっていた。瞬く間に火は燃え広がり、マンションの同じ階の2つ隣は全焼。我が家は幸いにも類焼は免れ、玄関のドアや外壁が焼けた程度で済んだ。その夜は近くの小学校の体育館に避難し、余震におびえながら不安な一夜を過ごした。

震災にまつわる取材は数多くしてきたが、今でも鮮明に覚えている景色がある。神戸製鋼ラグビー部の灘浜グラウンド。神戸製鋼コベルコスティーラーズのホームページによると、震災直後は液状化現象でグラウンドは使用不能になっていたから、しばらく時間は経過していたと思う。修復作業が終了後の練習再開。隣接する敷地は広大ながれき置き場になっていた。

放置されたままの大量のがれきに呆然となった。行く当てのないがれきの山からは絶えず粉塵が舞い上がる。とても練習できる環境ではなく、選手たちは分散練習を余儀なくされた。世の中の関心は、その年の3月に起きた地下鉄サリン事件に移っていたが、被災地はもがき苦しんでいた。

神戸製鋼は震災の直前に偉業を成し遂げた。1月8日の社会人大会決勝で東芝府中を破り、新日鉄釜石以来のV7を達成。震災の2日前の日本選手権決勝では大東文化大を大差で下し、7年連続日本一の座に就いた。その直後の悪夢。社員寮は1階がつぶれ、ミスターラグビーと呼ばれた故平尾誠二氏の自宅も大きな被害を受けた。まさに天国から地獄だった。

翌年の社会人大会決勝トーナメント1回戦で神戸製鋼はサントリーと17-17で引き分けた。トライ数で上回ったサントリーが準決勝に進出。V8への挑戦が終わったとき平尾氏は「震災のせいにするな」と選手たちを鼓舞したという。

コロナ禍の時代、平尾氏が存命だったら、どんなタクトをふるっていただろう。先行きは不透明…。強烈なキャプテンシーで日本を引っ張ってくれる指導者を切に望む。(臼杵孝志)

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