「痛感したのは、映画への敗北感」“体験型エンタメ”『劇場版スタァライト』古川知宏監督が明かす、シネスコ画面の裏側

「痛感したのは、映画への敗北感」“体験型エンタメ”『劇場版スタァライト』古川知宏監督が明かす、シネスコ画面の裏側

  • MOVIE WALKER PRESS
  • 更新日:2022/01/15
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『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の古川知宏監督に独占インタビューを敢行! [c]Project Revue Starlight

ミュージカルからアプリゲームまで様々なかたちでメディアミックス展開がされてきた「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」。2018年に放送されたテレビアニメシリーズと劇場版総集編を経て製作された、完全新作『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は2021年6月に公開されて以来、アニメファンはもちろんコアな映画ファンにも大きな反響を集め、年末に発売されたBlu-rayは好調なセールスを記録している。

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MOVIE WALKER PRESSではこの発売にあわせ、本作のメガホンをとった古川知宏監督にインタビューを敢行。いわゆる“劇場版”ではなく一本の“映画”として本作を制作した理由を尋ねていくなかで、古川監督自身が影響を受けた作品や映画人たちについての熱い想い、そして本作に感じている意外な敗北感まで浮かび上がってきた。

「最近のアニメ映画と比較したら“ズレている”映画かなと感じていました」

国内有数の演劇学校である聖翔音楽学園を舞台に、卒業後の進路に悩む99期生の舞台少女たちがキラめきを追い求める物語と聞けば、「ラブライブ!」シリーズに代表されるような少女たちの青春模様を描いたアニメーションを想像する人も少なくないだろう。しかし冒頭、観客の前に真っ先に現れるのは、シネマスコープの画面いっぱいに映しだされた巨大なトマト。そしてそのトマトが破裂し、血しぶきを上げるように果肉が弾け飛ぶ光景だ。オーケストラが奏でる劇伴が勇壮に鳴り響くなか始まる120分は、時間や空間を超越した展開、“レヴュー”と称される前衛的でメタフィクショナルな決闘シーン、先行作品からのある種の意図的なモチーフの引用…とノンストップで展開していき、一度観ただけでは到底咀嚼しきれない作品となった。

1981年生まれの古川監督は、アニメーターとしてキャリアをスタートさせ演出家に転向。「少女革命ウテナ」などの幾原邦彦監督のもとで、2011年のテレビアニメ「輪るピングドラム」では絵コンテ・原画や脚本で、2015年の「ユリ熊嵐」には副監督として参加。「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」で初監督を務め、本作が初めてのオリジナル長編映画監督作となった。

公開後口コミが広がったことで話題を呼び、数か月にわたり劇場を満員にするなど、ある種の現象と言える盛り上がりを見せた本作だが、古川監督自身はこの状況にも「自分のところにはあまり反響が届いていなくて、正直実感と呼べるものはないです」と冷静に向き合っている。「ただ、最近のアニメ映画や邦画と比較したら“ズレている”映画になるのかなと、作っている最中から感じていた部分はありました。それにみんな驚いてくれたのかもしれませんが、完成した作品に向き合った時、スタッフの力を引きだしきれなかった自分の未熟さ故に満足のいく仕上がりにならなかったというある種の“敗北感”も感じていました」。

「映画かテレビかを問わず、いまはアニメーションの作品数があまりにも多く、大きなスタジオの作品やネームバリューのある監督の作品ですら優秀なスタッフを集めるのは難しい現状があります。そのなかで、純粋な“クオリティを追求した映画”を作るのは物理的に難しい。テレビシリーズを単純に拡張したものにしないためには、映画の別の側面である“体験”に振り切るしかないと思った結果、このような作品になったのですが、その一方で普通の方が想像する“映画”としては、やり切れていないのではないかという想いはあります」。

「この映画ぐらいは、話の筋を追わない自由さを味わってほしい」

古川監督が本作で目指したものの一つには、本来映画ファンとは異なった層に向けたコンテンツである本作において、劇場でこそ味わえるカタルシスを感じてほしいという狙いがあったそうだ。「ユーザーが『レヴュースタァライト』というコンテンツに求めているものと映画というフォーマットの間には、隔たりがあると感じていました。ターゲットである若い人たちが慣れ親しんでいるスマホゲームやアニメには、話の筋と呼べるものがはっきりとあって、悪い奴を倒したり、最高のライブを目指したりする。だからこそ、この作品くらいは話の筋を追うこととは違う体験をしてもらってもいいのではないかと考えたのです。もっと自由でいいのだと、僕が観始めたころに味わった、映画ならではの“体験”の感覚に触れてほしいという想いがありました」。

そうして“体験”というかたちに振り切るために、制作の舞台裏でとくに注力したのは劇場の大きなスクリーン、大きな音を最大限活用して、なにを仕掛けられるのかということだ。その一つが先述したトマトの破裂だ。このシーンは、絵コンテの段階で付け加えたものだと明かしつつ、「画面を作りながら、脚本の良い所を生かしつつ時には“ジャンプ”して“変化”させていくのが僕のやり方です」と自らが実践した方法論を振り返っていく。

劇中、少女たちの前に野菜でできた(=食べ物でできた)キリンが立ちはだかる象徴的なシーンがある。本作において、キリンは“観客”を比喩的に表現した役割を担っているのだが、脚本上では“観客”を少女たちが咀嚼するため、キリンをステーキにして食べるというあまりにも直截的なシーンが検討されていたという。「直感として“食べた”ほうが良いとは思っていたのですが、その表現に悩みました。“食べるという行為”のほかの表現方法を検討していくなかで、アルチンボルドが人の顔を花や野菜で表現した複数の絵画にたどり着きました。見たことのないものにしてしまうと、お客さんは取り残されてしまう。でもアルチンボルドの絵は、名前は覚えていなくても誰もが一度は見たことがあり、記憶のなかに残っているはずです。野菜でできたキリンにしたことで、食べ物なんだと理解しやすくなり、“心臓であるトマト”を設定してモチーフとして引用することに決めました。自分のなかで探していた“作品を貫くモチーフ”に到達したわけですね。あとはそれを使って自分が楽しみつつ、作品を観る方にも楽しんで頂くだけです。映画の冒頭でトマトの大きな破裂音を味わってもらうことで、観客の方々に『映画館に来た!』と感じて頂けたのではないでしょうか」。

「シネスコの横長な画面とモチーフで、テレビとは違う広大さを目指しました」

本作で登場するモチーフのなかでも、トマト以外で脳裏に残るのが、“列車と線路”、“砂漠”だ。それらをより印象的に見せているのは、横長なシネマスコープの画面。「どうやったらテレビシリーズと差異化を図ることができるかと考えたことと、シンプルにシネスコが好きだからやってみたいという興味がこの画面サイズを選んだ理由です。それにキャラクターやストーリーの行く末や人生などを感じさせる“列車と線路”というモチーフは横長のシネスコと相性が良く、広大な感じを出したい“砂漠”も同様です。砂漠でも砂丘の無い砂漠を選んだのもそのためです。モチーフと画角サイズは不可分だと考えていて、横に広いシネスコ画面とスタジオPablo(背景美術会社)さまの背景美術を組み合わせれば、画面を持続させることができる。参考としてまず観なおしたのは、デヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』です」。

シネスコ画面の“横”のダイナミズムを重視する一方、本作にはそれとは真逆の“縦”のモチーフが頻繁に登場する。テレビシリーズから幾度も繰り返し登場する東京タワーは、クライマックスの舞台ともなっており、その最たるものだ。少女たちは、レヴューとして表現される一種の精神世界のなかで、何度も「落下」を繰り返していく。「テレビアニメ制作時に、第1話で白昼夢のような音楽と共に東京タワーから落下するカットをゆっくりと見せることで視聴者を驚かせたいということと、パース変動のない上下の動きがアニメの作画上難しいものではないことから取り入れたのが始まりでした。そうすることでこのアニメは『落下』のアニメとなり、髪飾りが落ちるような物理的な動きも含め様々な場所に引用できるようになります。本作には原作がないため、観てくれた方がひと言で『落下アニメ!』みたいな、作品を形容できるものを作劇上に組み込んでいくことが重要だと考えました」。

「旧作からの引用は、ある種のエンタテインメントと考えています」

劇中にはほかにも、突如として往時の「日活」を彷彿とさせるロゴが現れたり、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)を思わせるシーンが登場するなど、既存の実写作品からの引用が数多く見受けられる。それもまた映画ファンの心を掴んだ大きな要因といえよう。「アニメの監督も実写の監督たちと同じように、過去の作品から与えられた記憶を大いに引用していますが、ちょっと隠し気味なので僕は積極的に『ある種のエンタメとして』話していきたいと考えているんです」と声を弾ませる古川監督は、以前から北野武や鈴木清順、岡本喜八、実相寺昭雄、新藤兼人ら名匠からの影響を公言している。

「特に鈴木清順監督は、いまの若い観客の方にも『こんなにおもしろい監督がいるんだよ』と広めていきたいという気持ちが強くありました。ただしほとんどの場合は、印象や色合い、時間の取り方などを参考にさせてもらうという感じで、過去作の場面をそのまま再現することはあまりしていません。例えば学校の中庭をヒキで撮ったシーンから突然キリンのアップに切り替わるところの音楽の掛け方は、北野武監督作品の音楽の繋ぎ方を参考にさせて頂きました。ほかにも様々なシーンで参考にした作品があるのですが、あるレヴューのシーンで個人的には『ツッコミ待ち』としてあからさまに引用した映画についてはまだ誰からもツッコまれていません。気付いた方からのご指摘を楽しみに待っています!(笑)」。

「僕をアニメ業界に導いたのは、14歳で出会った『エヴァ』」

映画技法について前のめりに言葉を重ねていく古川監督は、まさに映画青年という佇まいで、ジャンルを問わず様々なコンテンツを咀嚼してきたことが、言葉の端々からも明確に伝わってくる。なかでも特に大きな影響を受けたというのが、庵野秀明監督だ。「小学生のころに『ふしぎの海のナディア』を観て、14歳で『新世紀エヴァンゲリオン』に出会い、遡るようにして『トップをねらえ!』を観たり、庵野さんが敬愛している岡本監督の作品をレンタルビデオで観て…とのめり込んでいきました」と振り返り、「『エヴァ』と出会っていなかったら、僕はアニメ業界に入っていなかったと思います」と断言。

2021年3月に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版』について尋ねると、複雑な表情を浮かべつつ、「自分のなかにずっといたエヴァに別れを言えてスッキリしましたが、まだ『シンエヴァ』を“映画”として受け止めきれてはいませんね…」としみじみ語る。「庵野さんから受けた影響は、作品づくりのうえでのカット割やリズムに表れているように自分では感じています。対照的に師匠の幾原さんからは、現場のスタッフやコストなどのリソースをコントロールする力、またそれ自体を作品のカラーに変換させる技術を勉強させてもらったので、自分が作品を作る時にはその両方を組み合わせている感じです」。

オリジナリティあふれる世界観で、常に新作が注目を集める幾原監督だが、その素顔を古川監督は「意外と他人の視点が入ってくるのを好む人」だと明かす。「映像の根源にあるリズムのようなものは僕と幾原さんでは全然違っていて、だからこそ僕を使ってくれていたのかもと感じています。それは誰がやっても幾原さんのフィルムに見えるような強固な世界観を作る力があるからなのでしょうね」と敬意をのぞかせる。「師匠にはまた劇場版『美少女戦士セーラームーン R』を超えるような、完全新作の映画を撮ってほしいですね」。

「次こそは、憧れていた“映画”にチャレンジ」

14歳で「エヴァ」に衝撃を受けた少年の衝動、恩師・幾原邦彦から得た学び、そしてなにより映画への深い畏敬の念が結実した『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は、単なる「テレビアニメの劇場版」の枠を超え、多くの映画ファンをスクリーンへといざなった。Blu-rayが発売されたいまなお上映館を増やし続けていることが、なによりの証だろう。

だが古川監督は、それでも“敗北感”を口にする。「自分が監督として映画を作っていくなかで、様々な制約のなかで本作を“体験”に振り切った作品にすることを選びました。でも、自分の未熟さゆえに憧れていた“映画”にはなりきらなかったのではないかという想いが、僕の感じている敗北感の正体かもしれません。本作が完成したあとで改めて自分の礎となった作品たちを辿ってみた時に感じたのは、自分はどうしようもなくただのファンなんだということでした」。

「ただ、」と古川監督は続ける。「自分が映画とどう向き合っていくか、どう作っていくかと試行錯誤していくなかで、やっぱり映画を好きでよかったなと実感したことが何度もありました。後悔が残った部分もありますが、チャンスをいただけるなら今後も映画作りにチャレンジしていきたいと願っています。次はもう少し別の意味で“映画らしい映画”を作ってみたいですね」と目を輝かせる。“敗北感”と、あふれんばかりの映画への愛を携えて、古川監督は次の舞台へ向かっていく。その先にある映画の“キラめき”を掴み取るために。

取材・文/久保田 和馬

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