「仕事は変えられるけど、家族はそうはいかない」  女性科学者(48)と研究者の夫の暮らしのルール

「仕事は変えられるけど、家族はそうはいかない」 女性科学者(48)と研究者の夫の暮らしのルール

  • AERA dot.
  • 更新日:2023/11/21
No image

JAXA宇宙科学研究所の玄関前に立つ鈴木志野さん=相模原市

夫婦で一緒に米国に渡り、リーマン・ショックで研究費がなくなるという逆境のなかで米国立科学財団(NSF)からの研究費獲得に成功、そのまま7年も滞在して夫とともに着々と研究成果を挙げた鈴木志野さん。結婚するまでの道筋も、結婚してから2人の間で繰り広げられた話し合いも、なんともユニークなものだった。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)

――教授の指示に従えなくなって、「研究者をやめてしまおう」と考えていたころに結婚された。お相手はどういう方だったのでしょう?

岩手の海洋バイオテクノロジー研に私の1年あとに入った東京工業大学出身の研究者です。第一印象は「生意気で、私とは気が合わなそう」だったんですが、テニスが上手で、私もテニスはちょっとやりたかったんで、研究所にあったコートでテニスを教えてもらっているうちに仲良くなったという感じですかね。私が東京に引っ越す1週間か2週間前ぐらいに「付き合ってほしい」みたいなことを言われた。

――へえ、どう反応したんですか?

驚きました。でも、私は研究所を辞めて東京に行くので、離れるわけじゃないですか。だったら、うまくいかなくても大したことないなと思って、気楽な感じでOKしました。同じ研究所にいたのは10カ月ぐらい。それから2年ほどたって彼はつくば(茨城県)の産業技術総合研究所のポスドクになり、まもなく一緒に米国に行ったわけです。

■万が一地球が滅びても

――離れている間は、いわゆる遠距離恋愛。

そうです。電話ですね。彼はすごく変わった人なんです。はたから見ると私のほうが変わっているんですよ、多分。だけど、彼は私の人生で本当に見たことのないタイプです。すっごく真面目で誠実で、絶対ウソをつかない。彼の兄弟も私も、彼が怒っているのを一回も見たことない。何だろう、人と比較するとか一切ないので、嫉妬とか妬みとかがない。だから、すごくラクというか。

義理のお母さんに「何で結婚したの?」って聞かれたときに、「万が一この地球が滅びて彼がたった1人になったとしても、ちゃんと朝昼晩食べて、健康に気をつかって、明日は少しでも良くなると信じて、寿命を全うしそうな人だから」って答えたんです。義理のお母さん、「は?」っていう顔をしてた(笑)。

No image

鈴木志野さん=相模原市のJAXA宇宙科学研究所

――アハハハ。想定の範囲をはるかに超えた方向から来た答えだったでしょうね。

私たち、結婚するときは「夫婦は別々に住まない」という約束をしたんです。

――それは研究者カップルとしては珍しいですね。

もし、夫婦が別々に住まなければならなくなったら私が仕事を辞める。その代わり、家族を路頭に迷わせない責任は夫が持つ。それが、結婚するときの最初の約束です。仕事は変えられるけど、家族はそうはいかない。家族になるなら一緒に積み上げていきたい、というのが私の考えなんです。夫には仕事でベストを尽くしてもらって、私はついていくと言ったら、夫も「それでいい」って。

■結婚して5年は子どもを産まない

ただ、私も心機一転して米国で研究するのだから、当面は研究に集中したいと思った。私はいろんなことを同時にはできないので、今は子どもを欲しくないと言いました。夫は絶対子どもが欲しいと言った。私は「そもそも結婚して3年以上たたないと本当にあなたとやっていけるかわからない」って……。

――へ? そんなこと言ったんですか?

はい。私は疑り深いんですよ。それに、子どもを産んだらすごく大事になっちゃうから、「ほかのことを失ってもいいと思えないと産めない」と言った。そのころはまだ「科学の本当の楽しさ」を体験できていなかったし、夫を本当に信じられるのかもわかんないし……。

――(笑)

お互いわかんないじゃないですか、そんなの(笑)。だから、「結婚して5年は子どもを産まない」と宣言したんです。ところが私が35歳になるとき、高齢出産になるからそろそろ真剣に考えるべきときだと夫が言って、話し合ったんですよ。彼は何も望まないタイプなのにこんなに子どもを望んでいるのはよっぽどのことなんだと思って、結婚4年目に「産むまではやるけど、あとはお願いね」って言って産みました。

彼はむしろ「そこから先は全部僕がやりたい」みたいな感じで、本当によくやりました。とくにウンチのオムツは夫が9割替えましたね。

――へえ~!

本当に分業です。料理は私、洗濯は夫、という感じ。子どもが少し大きくなってからは、ピアノは私が見て、勉強は夫が見る、とか。

No image

国際深海科学掘削計画による航海で同乗した女性研究者たちと。後列中央が鈴木志野さん=2016年

■1秒後に「日本に帰ろう」

――2人目はいつ?

2人目はアメリカでは産めないって私が言ったんです。給料は良かったんですけど、やっぱり家族の手伝いも得られないし、米国でベビーシッターを雇う勇気もなかったし。私もだんだん偉くなって予算の審査とかで出張も増えてきて。それにアメリカで子育てすると、私たちが「差別される側」になる可能性がある。親として2人の子どもを守り切れるかと考えると、子どもの教育は日本のほうがいいと思った。私が「2人目はアメリカでは無理」って言ったら、夫は1秒後ぐらいに「じゃあ日本に帰ろう」って。

日本を出たときは「帰ってくるところはないよ」といろんな人に言われたし、「日本は生え抜き主義だから、若いうちに入ったところで偉くならないと生き残れない」とも言われた。それでも米国のほうが楽しそうだからって渡米したわけですが、私たちが米国にいる間に「大学はグローバル化しないと」とか、「女性を増やさないと」とか、日本が急に変わったんですよ。それで、外国にいる私たちに「うちに応募しませんか」みたいな話が日本から来るようになった。

夫にはいくつか話があったんですけど、あんまり出世欲がないんでしょうね。私も一緒に就職できるJAMSTECの高知コア研究所を選んで応募し、夫婦そろって移りました。

――2人とも「研究員」ですか?

彼はそうですが、私のほうは任期付きでした。帰国したのが2015年春で、翌年1月に次女を産みました。夫はバイオインフォマティクス(遺伝子情報学)が専門なんですけど、大量の遺伝子データがあれば楽しいらしく、高知の家でオムツを替えながらデータ解析していました。

次女がおなかにいるとき、国際深海科学掘削計画(IODP)の掘削船に乗る研究提案を出していたら、出産して1週間後に「10カ月後に船に乗れます」という連絡が来たんです。生まれたばかりの赤ん坊を見ていたら「とても行けない」と思ったんですけど、2階に寝ていた夫が下りてきて、「乗るべきだ」って2時間ぐらいかけて説得した。私の母も「行けばいいじゃない」と言ってくれたので、2016年12月に米国グアムから乗船して、翌年の2月初めに香港で降りました。

娘の1歳の誕生日にそばにいてやることができず、歩き始める瞬間も見逃すことになってくやしかったんですけど、2カ月ぶりにだっこしたら、私の感覚を覚えていてくれた。子どもはめちゃめちゃかわいいです。家族が一番大事。夫には本当に感謝しかない。

No image

お散歩中の鈴木志野さんと娘たち=2017年、高知県ヤ・シィパーク

――2019年には任期の付かない研究員になったんですね。

はい。ただ、日本は女性研究者が少ないのでどうしても目立ってしまう。応援してくれる上司もいたんですけど、もともと任期付きだったので「次どうするか」は常に考えていて、やっぱり独立したポスト(PI=研究責任者)に就きたいと思ったころに宇宙研の准教授の公募が出たんです。私の両親も夫の両親もわりとこの近くに住んでいたので、関東に戻るちょうど良いタイミングだと思って応募したら、幸い、採用されました。

――夫は?

同じJAMSTECの中で横須賀本部(神奈川県)に異動させてもらいました。

――同じタイミングで?

はい。

――宇宙研のある相模原から横須賀まで、結構遠いですよね。

遠いですけど、一緒に住んでいます。私が宇宙研に移ったのは、生命の起源を知ろうと思ったら、地球の生命だけ調べていても限界があるからです。来年から、MMX(Martian Moons eXploration=火星衛星探査計画)っていう、世界で初めて火星の衛星からサンプルを採ってくるJAXAのミッションが予定されているんですけど、それを側面からですが、支えるような仕事もここでやっています。なので、来年の打ち上げはものすごく楽しみですし、その先にあるであろう火星探査や土星の衛星エンセラダスの探査を楽しみにしています。エンセラダスの地下には海があると考えられていて、その海底下ではおそらく北カリフォルニアの山奥の地下と同じような反応が起きているんですよ。

■すみやすい地球であってほしい

私の本業は、極限環境にいる微生物を調べることで、とくに今は炭素固定の多様性や起源を明らかにしたい。最初の生命はどうやって炭素固定していたのか。酸素がない環境では、一酸化炭素が大きな役割を果たしていたのではないかという仮説があり、そこを明らかにしていきたい。

一方、子どもを育てていると、人類にとってすみやすい地球であってほしいな、というような思いが出てくるんですよ。基礎研究で得られた知識を、増え続けるCO2の問題解決に役立てることはできないだろうか、というのが新たな目標の一つで、それを理研でやっていきたいと思っています。

鈴木志野(すずき・しの)/1975年東京生まれ。長崎で育ち、中3の9月に福岡へ引っ越す。東京理科大学基礎工学部卒、東京大学大学院農学生命科学研究科修了、農学博士。(株)海洋バイオテクノロジー研究所、東大生物生産工学研究センターを経て2008年から米国J・クレイグ・ベンター研究所。2015~2020年海洋研究開発機構(JAMSTEC)高知コア研究所。2020年11月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所准教授となり、JAMSTEC超先鋭研究開発部門招聘主任研究員も兼務。2023年8月から理化学研究所の主任研究員も兼務する。

高橋真理子

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加