熊野の那智大社と那智の滝

熊野の那智大社と那智の滝

  • 日本実業出版社
  • 更新日:2023/11/21
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補陀洛寺のある那智駅からは、熊野那智大社行きのバスが出ている(紀伊勝浦発)。このバスにも外国人の姿が多い。驚くのはその中に一人旅が結構いることだ。英語のあまり通じない外国の田舎で、一人でバスに乗るというのはかなり旅慣れた人なのだろう。

さて、バスは那智駅を出ると那智川に沿って山の中に分け入っていく。牧野々、市野々など、「~のの」という独特の名のバス停を過ぎ、大門坂から那智の滝を通って終点の那智山まで40分ほどだ。

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那智大社参道

熊野那智大社の成立は、熊野三山の他の2社(本宮大社・速玉大社)よりは新しい。というのも、本来は那智の滝そのものが信仰の対象で、社殿は滝の前にあった。その後現在の場所に移されたわけだが、新しいとは言っても移転したのは仁徳天皇5年(317)で、今から1700年前のことである。

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やがて3社合わせて熊野三山とといわれるようになると、朝廷から厚い信仰を受けた。今のように電車やバスがない時代、京から紀伊半島の南部まで行き、さらに険しい山を登って3つの神社を詣でるのは苦行難行だったに違いない。にもかかわらず、平安時代後期、後白河院は34回、後鳥羽院は28回も熊野詣を行っている(天皇在位中の熊野詣は1度もない)。

鎌倉時代には道も整備されて庶民の間にも熊野詣が浸透し、「蟻の熊野詣」と言われるほどに各地から参詣者が集まった。こうした多くの参詣者を集めるのに活躍したのが「御師」と呼ばれる人達で、彼らが名乗った名字が「鈴木」である。

しかし室町時代になると伊勢参りが人気となり、江戸時代には下火となってしまった。

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