たくさんの「なんで」をぶつけられても、わたしがそうしたいことを選ぶ

たくさんの「なんで」をぶつけられても、わたしがそうしたいことを選ぶ

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2021/01/14
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「仕事辞めたの?夢追うんだ」

「良い歳してミニスカートはもうないんじゃない?」

「結婚したいとは思うんだね」

「この歳で貯金してないのは……」

「子ども欲しいよね」

上から順に、「ふつうじゃない」「ふつうじゃない」「ふつう」「ふつうじゃない」「ふつう」というレッテルを貼られているかのような反応だ。

人の反応が気になって無難な答えをしていた20代前半。それが煩わしくなってきた20代後半。無難をやめて本心を曝け出してみた時に当たったのは「ふつう」の壁だった。

仕事を辞めて27歳で夢を叶えようと決めた。ゼロからのスタート。本当に、地道に、小さなことからコツコツと、丁寧に、1番は楽しんで。忙しいけどなかなかお金に繋がらなくて、でもとても楽しくてやりがいがあって、今の生活がだいすきだ。

自分のやりたい仕事を始めたら、自分のいろんな気持ちにも素直になれた。嫌なことを嫌と言えたり、理不尽なことに異議を唱えたり、知らないことを知らないから教えてと言えたり。

気持ちを曝け出すことは怖かったけど、そして曝け出し方にも気を付けたけど、でもやっぱり素直になった方がよかった。モヤモヤを溜め込むことなく、人との程よい距離感を確かめることができ、何より心が穏やかな日が増えた。

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やりたいことを突き通したら、浴びせられたたくさんの「なんで」

やりたいことを突き通して、自分の気持ちに素直になる。簡単なようだけどなかなかできない。多分多くの人ができないことなんだと思う。

何故ならたくさんの「なんで?」を浴び続けたから。「なんで27歳なのに」「なんで仕事なのに」「なんで今まで言ってこなかったのに」「なんでみんなしているのに」いろんな「なんで」をぶつけられた。「なんで」の後ろに様々な言葉がくっついていたけど、要するにこの一言だ。

「なんであなたはふつうじゃないの?」

ふつうじゃない27歳の私は「ふつう」を超えたということなんだろうか。

でも私は「ふつう」を超えたかったわけじゃない。私は私のしたいことを選んで生きているだけだ。

仮にその行動そのものがふつうを超えたと言うのであれば、ふつうを超えた先にあるのは「ふつうじゃない」ではなくて「わたし」だ。

答えはシンプル。この選択肢を選んだのは「わたしがそうしたいから」

「ふつう」があるから生きづらい。「ふつう」ってなんだろう。人には人の選択がある。時代なんて関係ない。結婚したいし子供が欲しい。年齢なんて関係ない。貯金がなくなってもいいから夢を仕事にしたい。体型なんて関係ない。ミニスカートもショートパンツも履きたい。夫婦別姓でもいいし同姓でもいいんだ。納得して選んでいれば。彼氏に尽くしたっていいんだ、だって私がそうしたいんだもん。

可愛いと言われたい。綺麗と言われたい。この服を可愛く着こなすためにもやっぱり痩せたい。今の私を肯定して欲しい。でも嫌いなところは少しずつ直していきたい。

何度でも言う、これは、私がそうしたいからだ。

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「ふつう」なんてないんだよって言う人が、今まである選択肢を選ぶと「ふつうじゃなくていいんだよ」と言ってくる。私はただ私の意思に従って選択しただけ。

そこにあるのは「ふつう」でも「ふつうじゃない」でもなく、嘘偽りない「わたし」だ。

「ふつう」を超えたからえらいってことでもない。「ふつう」が足枷になる。

いろんな選択があるのに何故それを?って言われたら自信を持って答えたい。

「わたしがそうしたいから!」と。どんな選択をしてもあなたはあなた。わたしはわたし。それでいい。

ふつうを超えて、今日も明日もこれからも「わたし」でいよう。

はるはら

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