「自分には優れたところがない」《無名の高校生》はなぜ「驚異の3球団から1位指名」を受けたのか...【2023西武ドラ1位】武内夏暉インタビュー

「自分には優れたところがない」《無名の高校生》はなぜ「驚異の3球団から1位指名」を受けたのか...【2023西武ドラ1位】武内夏暉インタビュー

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2023/11/21
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プロでも難しい技術に自信を持つ大型左腕

今年のプロ野球ドラフト会議にて最多となる3球団の一巡目指名を受けた國學院大の武内夏暉投手。当たりくじを引いた西武・松井稼頭央監督も「将来、日本を代表するピッチャーになる」と期待する185センチの長身サウスポーだが、高校までは無名の存在だった。大逆転でのナンバー1評価を勝ち取った武内が、その歩みを振り返る。

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甘いマスクでも注目を集めそう

マウンド上でのたたずまいは淡々としている。甘いマスクを崩さず、感情を見せようとはしない。だが、グラウンドの一番高い場所である、このマウンドという居場所こそ心地がいい。堂々と立っている。

「ピッチングで一番大事なのはコントロールだと思っていますが、コースへの投げ分け、インコースに投げるのは右バッター、左バッターどちらも得意です。そこはプロに入っても、さらに追求してやっていきたいです」

左ピッチャーが左バッターのインコースに投げ切るのはプロのピッチャーでも簡単ではないが、それをサラリと「得意」と言い切る。

「長いプロ野球人生を送りたいので、まずは怪我をしない体作りが一番ですが、1年目から即戦力として期待してもらっているので、先発ローテーションに入るというのを目標にやっていきます」

よどみのない口ぶりから漂う自信。気負いも感じられない。小さいころからエリート街道を進み、酸いも甘いも噛みわけて身についたかのような落ち着き。小さいころから身長が高く、中学3年のときには180センチに届いたのだから、早い時点から注目されてきたのかと思えば、そうではなかった。

自分には優れたところがない

野球を始めたのは小学3年。地元・北九州市の東筑ファイターズで軟式ボールを握った。ピッチャーだった。だが、すぐにマウンドに登れなくなる。

「投げ方が悪くて左肘を怪我して、そこから野手になって中学でも野手でしたが、そんなに才能がなくて。周りよりも自分が優れているなんて感じたことはないです。自分は体が大きいな、くらいでした」

それでも、野球少年なら誰もが憧れるように、漠然とだがプロ野球選手になりたいと考えていた。少しでもレベルの高い環境で励みたいと、小学校卒業後は私立の折尾愛真中学校に進学した。

「小学生のときに肘を痛めたので硬式はやめておいたほうがいいなと思ったんですが、地元の中学校の野球部があまり盛んではなかったんです。そのとき折尾愛真が強い野球部を作りたいということで1期生として生徒を集めていて、声を掛けてもらいました。ただ、スカウトされたといっても、だいたいが地元の子。チームとしては県大会3位になったこともありましたが、自分は肘がダメでピッチャーはできず、7番ファーストでした」

高校は県立八幡南へ進んだ。なぜ、甲子園出場こそなかったものの福岡県内では強豪として知られる付属の折尾愛真高校に内部進学しなかったのか。

「ピッチャーは一番、目立てる」

「中学から高校に野球で上がれるのは二人までだったんです。選ばれたのはピッチャーとキャッチャー。ただ折尾愛真高校は練習が本当に厳しかったので、正直行きたくなかったです」

その言葉に強がりは感じられない。高校2年の夏に折尾愛真が甲子園に初出場を決めたことにも「行っていたら甲子園に行けたんだなあと、ちょっと思いましたね」と笑う程度。その頃の武内は、マウンドで投げることからどんどんと遠ざかり、心を燃やすことが難しかったのかもしれない。

「中学のときはプロになりたいという気持ちはほとんどなくなっていましたし、甲子園に行きたいという思いも、それほどなかった。八幡南を選んだのは中学2年のときに夏の県大会でベスト4まで行っていて、文武両道の高校で、そういうところでやりたいなと思ったからです」

1年の秋からベンチ入りし、ファーストで試合に出るようになる。野球は好きだし、面白い。だが、満たされない。

「試合には出してもらっていましたけど、ピッチャーをやりたいという気持ちがずっと強くて。やっぱり抑えたら気持ちいいですし、一番、目立てるところなので」

肘の問題から解き放たれて、格別なポジションに帰ってこられたのは2年になってからだった。待ちに待ったピッチャー。胸が、躍った。

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ピッチャーこそ天職

「ピッチャーをやり始めてからは、野手のときとは比べものにならないくらいどんどん楽しくなって。段々と成長もできて。3年になると、『やっぱりプロに行きたい』と思うようになっていました」

しばらく色を失っていた夢が彩られ、鮮やかになった。

2つめの記事『「父が練習のアイデアを考えて、母が一緒に走ってくれた」「高校でも特段の実績なし」...普通の高校生はなぜプロ野球選手になれたのか?【西武ドラ1】武内夏暉が語ってくれた』では、高校時代は実績を残せなかったもののプロ野球選手になる夢を諦めなかった背景や最大の転機などについて詳述しています。

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