「研究に没頭する女性教授がいてもいい」 新発見を重ねる女性植物科学者(73)を支えた父の教え

「研究に没頭する女性教授がいてもいい」 新発見を重ねる女性植物科学者(73)を支えた父の教え

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  • 更新日:2023/09/19
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西村いくこさん

「研究生」として学費を払って研究をする生活を12年続けたあと、41歳で国立研究所の助手となり、助教授を経て49歳で京都大学教授となった西村いくこさんは、植物学の世界で新発見をいくつも成し遂げてきた。どんなふうに家庭と両立させてきたのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)

――ご両親が動物学者だったから、学者以外の道は考えなかったということですか?

考えなかった。父は「何をやってもいいけれど、プロになれ」と言っていました。また、「研究者は自分の好きなことをして給料をもらえる。贅沢だ」なんていうようなこともよく言っていました。

――大阪大学に入学されたのはなぜ?

近いから(笑)。もう一つはねえ、京大から阪大に移籍した父が「旧態依然としていた京大の生物学とは異なった生物学科が阪大に誕生した」ということをよく話していたからですね。私が入学する当時、阪大は生化学の中心地と言われていたんです。当時の生物学は観察が中心でしたが、阪大はそうではなかった。生物学が、観察から分子を見る科学に変わりつつあった時代です。

それで私はカボチャの種の研究をしたわけですが、もともと研究したいのは生物だったので、学位を取得したあとは動物の研究に宗旨変えしようと、岡山大学の臨海実験所に行って研究生になったんです。でも、そこは2カ月で辞めて阪大に戻って、しばらく技術補佐員を務めました。名古屋大学農学部の助手をしていた西村と知り合ったからです。

■第一印象は「優秀な人やなあ」

――どういうきっかけで?

双方の指導教官が知り合いだった。当時ですら時代錯誤でしたが、見合いに近い形で、名古屋で開催された研究会で紹介されました。

――へえ、どんな第一印象でしたか?

「なかなか優秀な人やなあ」と(笑)。それで、博士号を取った翌年に結婚して、4月から名大の研究生になりました。阪大でのカボチャの研究は生化学でしたが、夫は「細胞生物学がいい」とアドバイスしてくれた。モノを見るのではなく、モノが働いている現場を見る。まさに生物らしい研究です。農学部だから圃場を使えたのが良かった。しかも、研究生は、ポスドクとは違って、学費を払っている身分ですから(笑)、好きなことができるわけです。

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フランスの国立科学研究所で研究する西村いくこさん=1985年、パリ

1981年に長男、84年に長女が生まれたときも、研究生だから、誰に迷惑をかけることもなく自由に休めた。夫がオーストラリアとフランスに留学したときは、私も子連れで一緒に行きました。フランスには0歳児と3歳児を連れて半年滞在した。フランスの国立科学研究所は私も研究員として雇ってくれました。それで日本で保母さんを雇い、同行してもらった。パリとグルノーブルの2カ所に滞在して、思う存分研究もでき、楽しい半年間でした。

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ひな祭りで一家4人の記念写真=1985年、パリ

日本に帰れば、私は研究生で、子どもたちは保育所です。そこで、夫は父親教育されたと思います。奥さんの尻に敷かれているように思われるのは好まなかったと思うのですが、保育所でほかのお父さんたちからダメ出しをされたりして、当時の保育所は、親も育ててくれましたね。

毎週のように土日は、保育所仲間の誰かの家に集まって一緒にごはんを食べた。私が保育所に子どもを迎えに行けないときは、誰かがうちの子を連れて帰ってきてくれて、私もよその子を連れて帰ることもある。保育所の資金集めのために廃品回収や古本・古着販売などもして、本当に家族ぐるみの付き合いでした。

ただ、学童保育はなかったので、小学校に上がったあとは「かぎっ子」になりました。下の娘が中3の秋から私は京都に行ってしまい、そのときは上の息子も大学受験の時期でしたし、子どもたちにもう少しやってやればよかったという後悔は自分の中にありますね。

――京都に行くときは、お子さんたちに説明されたんですか?

記憶は定かではありませんが、子どもたちが反対することはなかった。保育所育ちの子なんで、「いつも一緒にいることが普通」という感覚ではなかったのかも。

私は京都行きが決まってからすぐに運転免許を取って、毎週末、京都から岡崎に帰りました。でも、ウィークデーは夫にお任せです。もともと朝ごはんは夫が作っていたのですが、それに加えて、晩ごはんも、娘のお弁当も作った。高校生の女の子は、父親と距離を取りたがる時期だと思うのですが、仲良くやってくれたのはありがたかった。

ちょうど科学研究費制度の大改革があったときで、まず勉強から始まりましたけれど、やりがいがありました。前年から、神戸市の甲南大の理工学部教授も務めていたので、月曜から水曜は神戸市の甲南大に行き、木曜と金曜は東京の学振に行くという生活が3年ほど続きました。その間、母の介護もありました。

■現在は動物学者の妹と研究

西村は基生研を退職したあと、甲南大学でペルオキシソームという細胞内小器官の研究を続けています。昨年も面白い論文を出したところです。およそ20年の岡崎との2拠点生活も終わって、京都で一緒に暮らしています。子どもたちはそれぞれ独立しました。

奈良女子大学と奈良教育大学が2022年4月に法人統合して奈良国立大学機構ができましたが、その教育・研究担当の理事にというお誘いは、本当に思いがけないことでした。お引き受けした動機の一つが、妹との共同研究です。妹は動物学者で、味覚や嗅覚の研究をしていて、神戸大学を定年退職してから奈良女子大で研究スペースを借りて仕事をしていました。その場所が、奈良国立大学機構の本部棟の隣だったんです。私たちはいまもそこで一緒に研究しています。

これが面白くて、実はシロイヌナズナはワサビの仲間なんです。ワサビの匂いで私たちは食欲を増すじゃないですか。でも、ハエは食欲をなくす(笑)。本当に面白い。いま論文を書きつつあります。

――研究が心底お好きなんですね。

私は、会議で皆さんの意見をまとめるようなことは苦手なんです。だから、実は教授になりたいと思ったことはなかった。京大に行ってからも役職はやりたくないと、最初は何もやらなかった。でも、60歳を過ぎたころから、学生や若者のためになることならやってみようと思い始めました。

いま、女性をもっと意思決定の場に、とよく言われます。確かに女性教員の割合が低いので、底上げももちろん大事ですが、研究が好きで、ずっと研究に没頭していたいという女性教授がいてもええんちゃうかな、と思うんですよ。女の人自身が選べるのがいいですね。

西村いくこ(にしむら・いくこ)/1950年京都市生まれ。大阪大学理学部生物学科卒、同大学院博士課程修了、理学博士。1980年以降、名古屋大学、神戸大学の研究生。1985年2~7月フランス国立科学研究所研究員。1991年11月~1997年10月岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所助手、1997年10月~1999年9月同助教授、1999年10月~2016年3月京都大学大学院理学研究科教授。2016年4月同名誉教授。2016年4月~2019年3月甲南大学理工学部教授、2019年4月~2021年3月同特別客員教授、2022年4月同名誉教授。2017年4月~2021年3月日本学術振興会学術システム研究センター副所長、2022年4月~奈良国立大学機構理事(非常勤)、2023年4月~奈良先端科学技術大学院大学理事(非常勤)。2014年11月紫綬褒章。

高橋真理子

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