《人々は地下へ逃げた》ウクライナに降った砲弾の雨がもたらした「ミサイル墓場」と「地下帝国」《不肖・宮嶋ウクライナ戦記》

《人々は地下へ逃げた》ウクライナに降った砲弾の雨がもたらした「ミサイル墓場」と「地下帝国」《不肖・宮嶋ウクライナ戦記》

  • 文春オンライン
  • 更新日:2023/03/20

《戦禍の中の日常》「岸田首相、ウクライナ来たらどや?」不肖・宮嶋が撮った、戦争にへこたれないウクライナ国民の「余裕」から続く

不肖・宮嶋、またもウクライナの土の上に立っている。

【画像】ロシア軍の砲撃を受けた高層団地。窓に注目! 半年前に訪れた時から変化が

一見日常を取り戻したかのようなウクライナだが、それでも戦時下である。ウクライナ全土がロシア軍のミサイルの射程内にあるのは変わりないし、ウクライナ南東部のバハムトで、いやウクライナ全土で毎日毎日民間人までもが殺されているのが現実である。目の前の巨大ショッピングモールの「ニコルスキー」かて空襲警報が鳴れば問答無用でたたきだされる。親しくなった同業者に前回の下宿先の人形劇団の家族や友人、知り合い、誰かが毎日殺され傷つけられ、誰かが入隊していく。(全3回の2回目/#1#3を読む)

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ロシア軍が目前まで迫ったハルキウ市は町中にバリケードが築かれていた。これが住民の早期帰還の妨げにもなった ©️宮嶋茂樹

ウクライナの余裕とも見える生活

それでも、この余裕のある暮らしぶりなんである。これこそがウクライナの民の強みではなかろうか? だいたい危なくなったら焦りだすのが当たり前や。この戦争をおっぱじめたロシアとて同様である。きのうまで銃を手にしたこともない男たちを駆り集めてはウクライナの前線に送り出し、死体の山を築いてるのである。そういうホンマの事を報道したら、「特別軍事作戦」に関するフェイクニュースを流したかどで最悪15年の刑を打てる法案も署名された。実に焦りたくっているのである。

しかしや、このウクライナの奮闘ぶりや余裕とも見える生活はどうしたことであろうか。この侵略戦争が始まった当初、ロシア軍は首都キーウを北西部から包囲しつつあった。爆発音と砲声が止むことはないそんな毎日でも、空爆現場近くのスーパーには新鮮な野菜や肉が並び、便乗値上げもなかったことを思い出す。

地下もすっかり日常を取り戻し

ハルキウの変わり映えは街中だけやないで。地下も激変というか、日常にもどりつつあった。地下鉄駅や車両も今は通常どおりに営業しとるし、一時700人いた地下への避難民も少しのコミュニティーを除き、地上の避難所や親戚や友人宅に身を寄せるようになっていた。このあたりもウクライナの余裕である。今もウクライナの人口4400万人のうち800万人以上が難民と化しているが、アフリカのルワンダ難民や中東のシリア難民のような生活環境劣悪で伝染病が蔓延する難民キャンプのような実態はない。コロナは蔓延しとったが。皆海外の親戚、友人宅に迎えいれられ、普通に生活できるようになったのである。

その地下都市の一つだったフロイフ・ブラッティ駅を訪ねることにした。下宿の最寄りの駅から乗り換えなしである。鉄道インフラが復旧したとはいえ、営業時間は短縮、本数も間引き中である。その代わり、運賃はただの乗り放題。しかし減便中やから肝心の電車を長時間待つはめになる。車のほうが早いのか乗客もまばらである。ホームで待つこと20分、すさまじい轟音と振動とともに列車がすべりこんできた。

むちゃくちゃ明るい、にぎやかな駅構内

隣の「ウニベルシチェット(大学)」駅のホームに列車が到着して目が点になった。地上の停電はどこ吹く風で、駅構内がむちゃくちゃ明るいのである。ただでさえ旧ソ連下の大都市の地下鉄は深く無駄に芸術的である。天井まで壁画が描かれていたり、石膏像がホームのそこかしこにそびえたりしとるが、この駅はそうやなく、キンキラピカピカに明るいのである。理由はすぐわかった。駅のホームでイベントやっとるのである。以前は暗く、難民がひしめき合って、すえた匂いが充満していた地下鉄ホームにクリスマスツリーがそびえているのである。星やトナカイのデコレーションがピカピカと点滅し、同じくホームに建てられたサンタクロースの家らしき小屋を照らしていた。

車中の乗客までもが窓の外のにぎやかな光景をスマホで撮影しはじめる。以前はカメラを見ただけで警官がすっとんできたが、今は警備員が黙って遠巻きに見ているだけである。ほんとにこの上では戦争やってるのであろうか? 市民はそれを忘れたいのかこの駅に集っているようであった。子供らがホームをはしゃぎながら走り回る。母親たちはそれをスマホ片手に追いかける。ここはロシア国境からわずか50km、ウクライナ第2の都市ハルキウの地下に広がる日常であった。

フロイフ・ブラッティ駅、地下と地上の落差

地下鉄1号線の終点がフロイフ・ブラッティ駅である。一時700人もの避難民が暮らしていた地下都市である。かつて多くの人が寝起きしていたホームにはだれも住んでいないように見える。ただホームの端の踊り場にはまだマットが敷かれ人が暮らしている形跡があり、それでもまだ10人ぐらいがこの地下で生活を余儀なくされとるという。その中にはなぜか日本人の中年男性が今も身を寄せていると聞き及び、なんどか通ったがお目通り叶わなかった。

普通の日常に見えたのは地下だけであった。フロイフ・ブラッティ駅の地上はハルキウ市東北部のサルトゥフカ地区にあたる。40万人が暮らすIT企業の城下町、多摩ニュータウン並みのヨーロッパ最大級の団地群である。首都キーウ同様、ハルキウにもロシア軍が迫りつつあり、東部や北部のツルクネ、デルガチ村等もロシア軍に一時占拠されるまでになった。国境に近いハルキウはロシア軍にとって格好の的である。特に市の東北部のに位置するサルトゥフカ団地はハルキウ侵攻の最初の標的となったのである。徹底的な攻撃を受け、40万人が住んだ団地群は、あっという間にゴーストタウンと化したのである。

無心に街を復興させる人々

高層団地は雨あられの砲撃を受け、一面まっ黒焦げ。その一部は崩落したままで、前に訪れたときとなんら変わらない……と思ったがなんか違う。そうや、窓や。爆風により吹き飛んだ団地の窓ガラスのかわりにベニヤ板が張ってあるのである。どうやら一部の住民はこのゴーストタウンに戻り生活を営み始めているようであった。電気もなく暖房もない環境に成り果てても、やっぱり我が家がええのである。

持ち出した家財道具や水などを運び上げ街を復興させようとしているのである。そんな住民の希望を吹き飛ばすかのように空襲警報が鳴り響く。ここらあたりは停電しているが、町の中心部から風に乗って聞こえてくる。しかしもはや手を止める人も、防空壕がわりの地下鉄駅に駆け込む住民もいない。

ミサイルの墓場

サルトゥフカ団地のみならずハルキウ州に降り注いだミサイル、砲弾の一部が保管されているのが、地元住民呼ぶところの「ミサイルの墓場」である。荒涼とした光景が広がるまさに人類の愚かさを体現した場所である。

立ち入りにはハルキウ州検事局の許可とエスコートが必要であった。また、周囲の建物が写り込むようなアングルや、ミサイルに貼られた住所などが書かれたステッカーのアップのカットはNGと通告された。立ち会った検事局の広報官の説明を聞くまでもない。ここの場所がロシア軍に知れると格好の攻撃目標になるからである。

ここだけで1000発以上、1億ドル分のミサイル砲弾が集められたのである。1億ドルもの金が人を救うためでもなく、人々の暮らしをよくするためでなく、人を殺すために使われたのである。1億ドルものロシア人が支払った税金が使われたのである。ウクライナ市民の家や子供らの通う学校を破壊するために。

よく見ると信管は抜かれているものの、弾頭が付いたままのもある。それらが枯草の間で卒塔婆のように転がり、まさに墓場の様相を呈していた。RPG7対戦車ロケット弾や157ミリ砲弾の不発弾から、9M27Kクラスター・ロケット弾、さらに立ち会った検事局広報官の話によると、ロシア軍の核弾頭も搭載できる最新式短距離弾道ミサイル「イスカンデル」やチタン製のミサイルの残骸まである。もうこのひと山1万円にもならんくなったチタンや金属のがれきも、もとは100万ドルの武器やったのである。(#3に続く)

「ロックとパンクの違いがわからん!」超還暦の不肖・宮嶋が飛び込んだ、戦時下ウクライナで鳴り響いたパンクバンドの「絶叫」と「轟音」へ続く

(宮嶋 茂樹/Webオリジナル(特集班))

宮嶋 茂樹

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