「毎日のおかずにも事欠いて弁当が真っ白なんだ」西武グループ創業者の元に生まれた堤清二が送った“奇妙”な生活

「毎日のおかずにも事欠いて弁当が真っ白なんだ」西武グループ創業者の元に生まれた堤清二が送った“奇妙”な生活

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/06/10

1927年、西武グループの創業者堤康次郎と、愛人の青山操の間に生まれた堤清二は西武グループの中核企業の相続を許されず、事業を引き継いだのは異母弟の義明だった。清二は、場末だった西武を日本一の百貨店になるまで成長させ、ホテル経営やリゾート開発へも乗り出し、一代でセゾングループを育てていった。

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そんな清二が死の1年前、ノンフィクション作家・児玉博氏によるインタビューで家族について語った。母についての質問に言葉を見つけられず心の整理もままならぬ様子の清二。涙ながらに語った幼き日の母の姿とはーー。ノンフィクション作家・児玉博氏の『堤清二 罪と業 最後の「告白」』から一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/#2を読む)

1枚のモノクロ写真

不思議な時間が過ぎた。正面に座る私の存在を忘れたかのように自問自答を繰り返し、納得する答えを探そうともがいている。杖を頼りにする時があるとはいえ、眼光には強い意志を宿らせ、驚異的とも思える記憶力、理路整然とした語り口で時に私を圧倒する清二が、言葉を見つけられず心の整理もままならぬ様子を見て、私は1枚のモノクロの写真を思い出した。

それはいつだったか、清二が持参した操の茶巾袋のような袋とともに見せてくれた写真だった。清二が丁寧に取り出した写真には、康次郎、操、清二、1歳年下の妹・邦子の親子4人が写っていた。清二が東京府立第十中学(現・都立西高校)に入学した時に撮影された家族写真である。

説明の通りなら1939年(昭和14)4月のはずだ。真珠湾攻撃によって日米開戦の火蓋が切られる2年前。この写真を撮影した時も、すでに世上は緊迫の度を増していた時代だったろう。

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©iStock.com

胸に勲章をつけた礼服の康次郎は50歳。すでに衆議院議員当選6回を数え、民政党の誰もが認める大幹部であると同時に、実業家としては武蔵野鉄道(後の西武鉄道)の再建に目め処どをつけていた。自信に溢れる康次郎の左には、おかっぱ頭の邦子が、紋付を身につけた操は微笑を湛えて椅子に座り、その操の後ろに学生服を着た坊主頭の清二が立っている。

写真で見る31歳の操は細面の美しい女性だ。さながら細い彫刻刀で薄く削ったような顔立ちは、どこまでも端整さが漂う。その背後に立つ清二はまるで操の生き写しのようだ。操と同じように細くスッとした鼻筋、切れ長の目元。涼しげな白はく皙せきの少年がそこにいる。しかし、目を凝らしてその表情を見ると、目元に微かな煙が立つような鬱屈が影を落としている。

清二の生い立ち

この頃、操、清二、邦子の3人は、前年に康次郎が手に入れた、東京・麻布の3000坪を越える大邸宅「米荘閣」に引き取られていた。米荘閣とは、康次郎の出身地の滋賀県八木荘の地名から付けられた通称である。それまで親子3人が肩を寄せ合うようにして過ごしていた東京都下三鷹での質素な暮らしから生活は一変していた。しかし後に、1969年(昭和44)に発表した初の自伝的小説『彷徨の季節の中で』の扉で、辻井喬は次のように記している。

〈生い立ちについて、私が受けた侮蔑は、人間が生きながら味わわなければならない辛さの一つかもしれない。私にとっての懐かしい思い出も、それを時の経過に曝してみると、いつも人間関係の亀裂を含んでいた。子供の頃、私の心は災いの影を映していた。戦争は次第に拡がり、やがて世の中の変革があった。私は革命を志向したが、それは、外部の動乱ばかりが原因ではない。私のなかに、私の裏切りと私への裏切りについて、想いを巡らさなければならない部分があった〉

生い立ちについて、私が受けた侮蔑……。心の中を覗けば、そこに母操が、自分と妹の邦子の2人を抱きしめ、幼少の頃住んでいた三鷹市を流れる玉川上水のほとりに立っている姿があった。表情ははっきりと見えないが泣いているのか、それとも必死に涙をこらえているのか。強い風が吹いていたのか、母の髪の毛が乱れている。

またある時は、父康次郎の前で腕を組み、精一杯に足を踏ん張り、怒りの表情を隠さない邦子の顔が見える。父は許せないとはっきりと口にも態度にも示していた邦子。背負わされた父康次郎という宿命に翻弄されまいと戦い続けた女性だった。そんな、今思えば健気過ぎるほど健気な姿が、ありありと浮かんでくる。

辻井喬は、終生愛し続けた2人の女性、邦子と操をそれぞれモデルにした小説『いつもと同じ春』(83年)と『暗夜遍歴』(87年)を発表しているが、どちらの小説もその根底に流れる色調は重く暗い。康次郎という、他者の人生を巻き込まねば収まりがつかぬような人間に、自らの運命を翻弄され続けた家族の記録であり、抗しきれない運命を受け入れた者の肉声でもあった。

「哀れな姿だったな、とても、母は」

「お母さまや邦子さんのことを思うと、冷静ではいられないこともありますか」

私が訊ねると、

「うーん、そうね。冷静でね……、うん、そうね……」

しばし目を閉じて黙り込み、掌を何度も何度も組み替えた。

「いくつになってもね、やはり感情が高ぶるもんですよ。こんな老人になっても感情が高ぶる。でも、その宥め方も随分とうまくなった」

清二はふっと笑ったが、どこか自分の言葉を信じていない自嘲の響きがあった。

幼き日、康次郎の事業の先行きが定まらぬまま、操、清二、邦子の母子3人は、三鷹でひっそりと生活していた。二間しかない小さな小さな家だった。生活の唯一の拠り所である康次郎からの送金が途絶えることもあり、清二が毎日持って行く弁当のおかずにさえ事欠くことがあったほどだった。

「母を思い出す時、なぜだか三鷹に住んでいた頃の母ばかりなんですね。後年、生活も安定し、うち(西武百貨店)が独占契約を結んでいたから、本人は広告のつもりでシャネルのスーツなんかを着てくれていたけれど、不思議といつも浮かぶのは三鷹の頃の母なんです、不思議ですが。貧しかったのにね」

フッと息を吐くと、しばし惚けたような表情を見せた。いつもの鋭角的な眼光は消え鈍い黒さが逆に生々しかった。

「どんな姿のお母様なんですか?」

「そうね」

堤は再び右手でほおづえをつき、視線を合わそうとしない。

「そうね。こう」

ほおづえを解いて、両手で虚空をつかむように気ぜわしく動かした。

「こう。何と言うのか、ほつれているというか、ほったらかしの櫛も入れていないような……、身ぎれいな母だったのに……。可哀想に髪の手入れもできないような姿で……。哀れな姿だったな、とても、母は」

目から涙が溢れた。清二は泣いていた。静かに声も立てずに泣いていた。85歳の“子供”は流れる涙を拭うこともなかった。涙で潤んだ目がまっすぐにこちらを見つめていた。

仕送りを頼む母の姿

清二の細い指が白いコーヒーカップの縁をなぞる。ハンカチを取り出し涙をゆっくりと拭くと、冷たくなりかけていたコーヒーを一口すすった。

「私はめったに涙を見せたりはしないんです。今日はどうしたのかな? 許してくださいね、見苦しい老人を見せてしまって……、で、母のことでした。愛する母のことでした」

二間しかない家で、操を真ん中にして左右に清二と邦子が寝た。清二にとって、康次郎は思い出したように訪ねてきては、母を独占する略奪者のような、侵略者のような存在だった。家計の苦しさは幼い子供たちでもひしひしと感じていた。小学校から帰って、母の姿が見えないだけで清二はたまらなく不安になった。

「大人になって初めて幼子の不安は、生活に疲弊し自ら命を絶つのではないかという不安だったのだな、とわかるんですが、当時はわかる訳はない。ただ、無闇に不安で悲しかったのを覚えてますな。そうですな、悲しかったな」

母への悲しみは、父への憎しみと同量だった。

それはいつもの学校帰りだった。清二はこんな場面に出くわした。その光景は、生涯清二の脳裏から消え去ることはなかった。

ふと目をやると電話ボックスの中で、母が電話をかけていた。直感として父に仕送りを頼んでいるのだとわかった。小学生の清二はなぜか見てはいけないものを見てしまったと、後悔した。母のほつれた髪が悲しかった。

「子供心に見てはいけないものを見てしまったという感じはあったんだな。母の切羽詰まった感じが遠くからでもわかった。何とも言えない不安に襲われたのを、今でもありありと思い出すことができる。不思議だけれどね、もう70年以上も昔のことなのに……」

「お母様は見られたことに気づいていたんでしょうか?」

「母はどうだったんだろうか? 僕も家に帰ってそのことは口にしなかったし、母もしなかった。ええ、確かにしなかった。口にしてしまっていたら、何かが崩れてしまう感じがあったのかな?」

「崩れる?」

「そう。だってね、いまから考えても奇妙な生活をしていたんですよ、我々は。何度も言うようで申し訳ないけれども、とても貧しかったんですね。尋常高等小学校に通っていたけれど、毎日のおかずにも事欠いて弁当が真っ白なんだ。まだ真っ白なご飯ではあるんだけど、ご飯だけ」

終生変わらぬ最愛の人

こう話す清二は、しかし楽しそうだった。

「うちは貧乏でした」

何か宣言でもするように声を張り上げた。静かな涙を流した清二は今、童顔のような表情で笑っていた。

「それほど貧しかった。そんな中、妹の邦子と3人、まさに寄り添って生きていたんだ、僕らは」

一転笑顔が消え、どこか決然として何ものとも相容れない硬い表情になる。清二は思い出していたのだろう、母と妹との生活を。貧しいながらも操は幼い清二と邦子を慈しみ、その生活は清二にとって苦い、苦しいばかりのものではなかっただろう。しかし、親子3人の生活にはもう1人“部外者”が存在していた。康次郎である。康次郎の存在が当時を思い起こす清二から笑顔を奪い去る。

「お父様はたまに訪ねてくる存在だったわけですね?」

「そう。たまにね……」

清二の応答は実にそっけなく冷たかった。そこには、インタビューで何度となく康次郎から受けた愛情について語り、父への懺悔にも似た言葉を口にした慈悲深い表情は一片も見られなかった。その素っ気なさ、冷たさは、康次郎が母親にした仕打ちへの怒り、憎しみであることははっきりと見て取れた。老人といえる年齢になっても、清二は身の内に常に抑え難い情念を抱え込んでいた。この時も、生々しい怒りと悲しみを隠すことはできなかった。尋常高等小学校に通う少年は、母を奪う康次郎も許せなかったが、父に唯々諾々と従う母にも時として怒りの矛先が向かった。けれども、母は清二にとって終生変わらぬ最愛の人だった。

「土下座できないならば俺は会わない」西武グループの“異母兄弟”、堤清二・義明の“確執”へ続く

(児玉 博/文春文庫)

児玉 博

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