幕末の京都を震撼させた「人斬り」尊王攘夷派の志士達が起こした要人暗殺テロ【後編】

幕末の京都を震撼させた「人斬り」尊王攘夷派の志士達が起こした要人暗殺テロ【後編】

  • Japaaan
  • 更新日:2021/01/14
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幕末期の日本は、諸外国からの脅威に対抗する国防意識の高まりを引き金として、政権体制が大きく乱れた時期であった。国内は開国派と尊王攘夷派の思想が対立し、武力による暗殺事件が乱発する。

今回は【前編】に続き、幕末期に起こった尊王攘夷派志士たちによる暗殺事件をご紹介する。

前編はこちら

幕末の京都を震撼させた「人斬り」尊王攘夷派の志士達が起こした要人暗殺テロ【前編】

佐久間象山暗殺事件

犠牲者:佐久間象山
暗殺犯:河上彦斎、他数名
日時・場所:1864年7月11日、京都木屋町

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佐久間象山(wikipediaより)

日本を代表する幕末の思想家であり兵学者でもあった佐久間象山。開国論を唱え、西洋の兵学に精通した象山の元には、吉田松陰や勝海舟、坂本龍馬といった幕末の中心人物が知識を会得しに集まった。

しかし、象山の開国思想は攘夷派にとって西洋かぶれの腑抜けに写り、刺客によって命を狙われることとなった。

1864年7月11日。馬に乗った象山を複数の刺客が襲う。象山は2名の刺客から逃れたものの、待ち伏せていた河上彦斎らによって落馬させられ、複数の太刀を浴び絶命。遺体の首は持ち去られたという。享年54。

赤松小三郎暗殺事件

犠牲者:赤松小三郎
暗殺犯:中村半次郎・田代五郎左衛門
日時・場所:1867年9月30日、京都東洞院通り

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赤松小三郎(Wikipediaより)

兵学者であり思想家であった赤松小三郎は信濃国上田藩に生まれる。若くして江戸で学問を学び、勝海舟に従い長崎で測量や兵学、航海術の知識を得た。

上田藩で藩兵の訓練に従事した後、京都へ出た赤松は私塾を開き、薩摩藩の屋敷で西洋の兵法を教えたという。

対立を深める幕府と薩摩藩との間を取り持ち、国内融和に尽力する立場を取った赤松。しかし、当時の薩摩藩は武力による倒幕を目指しており、幕薩融和を唱える赤松の存在は次第に邪魔となった。

上田藩による召還命令によって帰国する直前の1867年9月30日。京都の東洞院通りで刺客に襲われ殺害される。暗殺犯の正体は長らく不明であったが、後に実行犯は薩摩藩士の中村半次郎であることが明らかとなった。

1868年。日本の元号は明治となる。近代化を果たした明治下においても要人の暗殺は続き、新政府樹立に尽力した中心人物の何名かは命を落としている。

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