SNS全盛の今、プロ野球でメールやLINEを利用していない監督やコーチ、選手は、ほんの一握りになりました。コミュニケーションを円滑に図るためには必要なツールですが、それに頼り切ってしまうと予期せぬ落とし穴に入るかもしれません。「誇りある行動とプレー」携帯電話が世に出回り始めた頃、「自身の行動範囲を縛られる感覚が理解できない」と言って、持つことを拒否した首脳陣がいました。当時、西武ライオンズでコーチを務めていた伊原春樹さんです。この“伊原発言”を支持する球界関係者は少なくありませんでした。ある在京球団のコーチは、「あんなものを持つと仕事に集中できなくなる」と言って、球場内に携帯電話の呼び出し音が響くたびに怪訝な表情を浮かべていました。しかし、しばらくすると、そのコーチの手には携帯電話が握られていました。「あれっ、どうしたんですか?」と聞くと、「やっぱり、これは便利だよね」と言って苦笑を浮かべていました。伊原さんのその後は、どうだったのでしょう。SNS全盛の今だからこそ、アナログ的な伝達方法が力を発揮する時もあります。それを教えてくれたのがWBCでの栗山英樹監督でした。大会が始まる前、栗山監督が選手ひとりひとりに手紙を書いたというのは有名な話です。便箋2枚に、自らの思いを綴ったというのです。それについて本人は、こう語っていました。「選手たちに、一番伝えたかったのは、日本代表として誇りのある行動とプレーをしてください、ということ。仮に村上宗隆選手だったら、あなたは日本代表の一員ではなく、あなた自身が日本代表ですよ、と。選手たちがそういう考えになれば、変な行動やプレーはできないと思ったんです」「あなた自身が代表」栗山監督の指摘は、実に的を得たものでした。仮にチームに30人いたとしましょう。「チームの一員」なら、「30分の1の役割を果たせばいい」ということになります。チームへの誇りや忠誠心も、必然的に30分の1です。しかし、「あなた自身が代表」となった場合、もはや誰かの背中に隠れることはできません。チームのことは、全て自分のことです。責任逃れも言い逃れもできないのです。蛇足ですが、この国には「一所懸命」という言葉があります。これが後々、「一生懸命」に転じたと言われています。では「一所懸命」とは、どういう意味なのでしょう。中世において武士が領主から賜った土地を命がけで守ろうとした――。これが語源だというのが定説です。自分に与えられた土地、すなわち「一所」だけを命がけで守る。もう少し幅を広げても、守るべき対象は一族と所領のみ。当時、これは武士に課された最大のミッションでした。しかし、これはひとつ間違えると「自分のことさえやっていればいい」というセクショナリズムに堕しかねません。いわゆる部分最適です。地域社会全体の底上げ、すなわち全体最適を目指す上では、妨げになる考え方だったと言えるかもしれません。話を手紙に戻しましょう。プロ野球選手に限らず、近年、手紙を書かない若者が増えていると言われています。いや、これは若い人に限った傾向ではありません。メールやLINEで十分、という考え方の人もいるでしょう。だからこそ、ここぞという時の手紙は、自らの思いをダイレクトに相手に伝える上で、最も有効な伝達手段だということもできます。まずは真摯に自分に向き合う。手紙を書くという行為は、そこから始まります。二宮清純
二宮 清純