王貞治会長が弔辞「永遠に不滅である存在」宮井勝成氏しのぶ会に300人

王貞治会長が弔辞「永遠に不滅である存在」宮井勝成氏しのぶ会に300人

  • 日刊スポーツ
  • 更新日:2022/01/15
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「宮井勝成さんしのぶ会」で思い出の写真を手にするソフトバンクの王球団会長(撮影・保坂恭子)

早実野球部や中大野球部の監督を務め、20年8月7日に肺がんのため死去した宮井勝成氏(享年94)をしのぶ会が15日、都内のホテルで行われた。

中大野球部OB・OG会会長で、元巨人の末次利光氏(79)、早実野球部の山本重行OB会会長、早実での教え子となるソフトバンク王貞治球団会長兼特別チームアドバイザー(81)や、中大で指導を受けたヤクルト小川淳司GM(64)、巨人阿部慎之助作戦兼ディフェンスチーフコーチ(42)が発起人となった。

中大の清水達也監督(57)、元ザ・ドリフターズの高木ブー(88)、巨人の亀井善行外野守備兼走塁コーチ(39)ら約300人が出席した。

王球団会長は、弔辞で「私にとって、宮井勝成さんは永遠に不滅であるという存在でした。甲子園に4回も連れて行ってもらいました。1回は運良く優勝することができ、『(優勝旗が)箱根の山を越えた』と言われて、考えもしなかったようなことが、現実になりました。それだけ、宮井さんが我々の力を引き出してくれたとそのように思います」と振り返った。

ヤクルト小川GMは「打てないにも関わらず、外野手として使っていただいた。(指導者となり)成績が出ない選手を使い続けるということの大変さは、並大抵ではないと分かります。今も野球界に携わっていることは、宮井さんのおかげと感謝してもしきれません。ゆっくりお休みください。本当に、感謝感謝です」と話した。

宮井さんは、東京都出身。早実では41年センバツに控えでベンチ入り。卒業後、中大に進んだ。55年から早実の指揮を執り、春2回、夏2回、甲子園出場。57年春はエース王を擁し、チームを初優勝に導いた。59年から93年まで中大の指揮を執り、東都大学リーグ優勝8回、全日本大学選手権優勝3回。多くの教え子がプロで活躍した。

全日本大学野球連盟、全日本アマチュア野球連盟の役員も歴任。野球の国際化と競技力の向上、後進の育成に尽力した。早実や中大の試合を観戦する姿がよく見られ、中大のグラウンドにも定期的に足を運び、選手を激励していた。

参列した中大OBの巨人阿部作戦兼ディフェンスチーフコーチは「覚えているのは『ヒットは3人打っても1点入らない。あそこに見えている柵を越えれば1点なんだよ』という言葉。いきなり1年生で、自分の野球観を変えてくれた方です」としのんだ。

▽ヤクルト小川GM(中大で日本一)「大学4年の(大学)選手権で優勝したが、秋のリーグ戦は最下位で最後まで苦労をかけてしまった。自分の野球人生は、すべて宮井さんのおかげという思いは、他の人よりも強いと思います」

▽巨人阿部作戦兼ディフェンスチーフコーチ(中大OB)「覚えているのは『ヒットは3人打っても1点入らない。あそこに見えている柵を越えれば1点なんだよ』という言葉。いきなり1年生で、自分の野球観を変えてくれた方です」

▽巨人亀井外野守備兼走塁コーチ(中大OB)「『ヒットよりホームランを打て』という言葉を残してくれた。宮井さんが僕に対しそうだったように、(指導者として)分かりやすい一言をバンとぶつければ選手も考えると思う」

▽中大・清水監督「『中大なんだから、道路の真ん中を歩ける人間になれ』と言われていた。僕も生徒へその気持ちを教えているし、宮井イズムを伝えていきたい」

▽早実OB堀江康亘さん(57年センバツ初優勝時の主将。弔辞で)「早実での3年間は、指導者と仲間に恵まれました。おやじさん、ゆっくり天国で休んでください。出会えたことに感謝しています」

▽ヤクルト小川GM(中大で日本一)「大学4年の(大学)選手権で優勝したが、秋のリーグ戦は最下位で最後まで苦労をかけてしまった。自分の野球人生は、すべて宮井さんのおかげという思いは、他の人よりも強いと思います」

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