「俺の人生は2番ばかり」そうボヤく野村克也が「王貞治がいてよかった」と話すワケ

「俺の人生は2番ばかり」そうボヤく野村克也が「王貞治がいてよかった」と話すワケ

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2020/09/15

今年2月に逝去した野球評論家・野村克也氏は、“歴代2位”の記録が多い。通算出場試合数、捕手出場試合数、通算安打、本塁打、打点。特に本塁打の記録は、打ち立てた翌年に王貞治氏に抜かれた。野村氏は「冷静を装っていたが、心の中は嫉妬の嵐で荒れ狂っていた。それでもライバルの王がいたからこそ、日々努力を重ねることができた」という――。

※本稿は、野村克也『老いのボヤキ 人生9回裏の過ごし方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/cmannphoto※写真はイメージです - 写真=iStock.com/cmannphoto

王に本塁打記録を塗り替えられ、嫉妬の嵐だった

27年のプロ野球人生で、それなりに記録を残してきた。ただ、どうも“歴代2位”の記録が多い。通算出場試合数3017試合、捕手出場試合数2921試合、通算2901安打、657本塁打、1988打点――。いずれも2位の記録だ。

引退後に塗り替えられた記録はさておき、現役中、1位を目指した記録の前に立ちはだかったのは、たいてい王貞治だった。

52本のホームランを打って初の本塁打王を獲得した1963年、「これで10年、俺の記録が破られることはないはずや」と思っていた。私の前の本塁打王は小鶴誠さんで、10年以上その記録は破られていなかったからだ。

しかし翌1964年、その記録はあっさり抜かれてしまう。それが55本を打った王貞治だった。記録を超されたことについて表向きは冷静を装っていたが、心の中では「この野郎!」とそれはもう嫉妬の嵐で荒れ狂っていた。

俺の人生は2番ばかり。でもそれでいい

今となっては思う。「2番ばかりでもいい、知る人ぞ知るでいい」と。若い頃には「なんだかなぁ」とボヤくこともあったが、自分らしいと言えば自分らしい記録じゃないか。

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野村克也『老いのボヤキ 人生9回裏の過ごし方』(KADOKAWA)

地味で目立たない、誰にも興味を持ってもらえない記録、それが2番だ。誰もが知るナンバー1ではなく、知る人ぞ知るナンバー2。それでいいんだ。

そもそも私は“月見草”だ。ご存じの方も多いかもしれないが、「王・長嶋はひまわり、自分は夜の日本海の海辺に咲く月見草です」と、通算600号本塁打を記録したときの記者会見でコメントした。1975年のことだが、その前年に史上初の600号本塁打を記録したのが王だった。3万3000人の観客が見守ったそうだ。

人気のセ・リーグで輝く王貞治・長嶋茂雄に比べ、当時まだ注目度の低かったパ・リーグでプレーしていた私は、記録を打ち立てても日陰の存在と感じることがたびたびあった。特に王・長嶋のいる読売ジャイアンツ=巨人軍の人気は非常に高く、日本中にファンがいる圧倒的人気球団だった。

そんな2人と比べたとき、自分のあるがままの姿を言葉にしたのが“月見草”だ。王の600号を見守ったのが3万3000人だったのに対し、私の600号を見守ったのはたった7000人。やっぱり“月見草”だ。

人目につかないところでひっそりと咲いている黄色い小さな花は、私のふるさと、京都の家の近くで夕方になるとたくさん見かけた。

「キレイだけど地味だな、夜に咲いても誰も見ないのに……」と、学生時代のアルバイトの帰り道にぼんやりと思っていた。その姿が自分に重なった。

華々しいセ・リーグではなく、人目に触れないパ・リーグで頑張る自分。自己満足かもしれないが、そういう花もあっていいんじゃないか。数は少なくても、見に来てくれるお客さんのために咲く花があってもいい。

この思いが、私のプロ野球人生を支えてきたと思っている。

キャッチャーマスクの下で話していたこと

若い方はご存じないかもしれないが、現役時代の私は「ボヤキの野村」ではなく「ささやきの野村」と呼ばれていた。何がどうして「ささやき」なのか?

それは、バッターに対してキャッチャーマスク越しに話しかけていたからだ。

バッターボックスに選手がやって来ると、キャッチャーの私は独り言のようにささやく。相手選手がドキッとするような、私生活の秘密を言ったりするわけだ。

ONにはバッターボックスでの「ささやき」も通用せず

私が飲み屋や夜の街に繰り出した際には、そういった他球団の選手たちの情報収集に余念がなかった。あの選手がどこのお店のお姉ちゃんに入れあげているとか、誰と恋仲だとか、そういった噂話を耳に入れておく。

そこで仕入れた情報を次に対戦するときにポロっとささやく。相手は不意を突かれて驚き、集中力を切らす。積極性もそがれて凡退だ。

もちろん、戦術的なささやきをすることもあった。当時、大物ルーキーだった田淵幸一に、「新人やな。打たせてやるよ」とささやいた。これを聞いた田淵はストレートが飛んでくるものと思い、ストレートの球を待っていたが、私がピッチャーに指示したのは変化球。

あえなく三振となった田淵は、のちに「あのとき野村さんからプロの厳しさを教えられましたよ」と話してくれた。

こうしたささやき戦術によって打者を惑わしていたことから、「ささやきの野村」と言われるようになったのだ。これが結構効果てきめんだったので、多くの選手にささやいてきた。

当然、王や長嶋にもささやいた。ただ、この2人はやはり特別だ。

王はささやきに対してきちんと会話をしてくれたが、いざ投手がセットポジションに入るとスッと集中力を高めてバットを振り、ヒットを放っていた。

一方の長嶋は、何をささやいても私の予想の範疇を超えた反応を返してくることが多く、さっぱり心が読めなかった。

2人にはささやき戦術は通用しなかったのだ。つくづく嫌になっちゃうよなぁ。

選手へのボヤキは、発奮させたかったから

そんなわけで、かつては「ささやきの野村」だったが、ヤクルト監督時代から「ボヤキの野村」と呼ばれるようになった。マスコミを通してボヤくようになったからだ。新聞の見出しに私のボヤキが掲載されることが増え、いつしか「ボヤキ=野村」がすっかり定着した。

マスコミに対してボヤき続けてきた理由は2つある。ひとつはチームのファンの方たちに話題を提供するためのファンサービスだ。それと同時に、チームに関心がなかった人、野球に関心がなかった人に少しでも興味を持ってもらえる可能性があると考えていた。

もうひとつの理由は、選手を発奮させたかったからだ。ボヤキは「理想の表れ」なので、「あの選手ならもっとできるはずだ」という思いがあってボヤいていたのだ。

求められなくてもボヤきたくなることは出てくる

直接説教されるより、間接的に伝えたいことをボヤいたほうが、「二度とボヤかれないようにするぞ」と素直に思えるだろう。

ボヤキがマスコミを通じて全国に広がると、自分の失敗が知れ渡ることになる。恥ずかしいやら悔しいやらで、「次こそは!」と気合いが入るはずだ。

監督を辞めた今でも私が野球についてボヤき続けているのは、やはりそれを楽しみにしている人がいるから、ということもある。「今度は何をボヤいてくれるのか?」「あの選手に対するボヤキ、聞いてみたい」、そんな声を小耳に挟むこともある。

まあ、わざわざ求められなくても、試合を見ていればボヤきたくなることがいくらでも出てくるわけだがな。

ライバルの存在なくして、人としての成長なし

「アイツにだけは絶対に負けたくない」

そう思える人物が、あなたのまわりにはいるだろうか。ライバルの存在は非常に重要だ。つくろうと思ってつくれるものでもない。お互いに切磋琢磨できる関係であることが、ライバルと言えるのではないだろうか。

私にとってのライバルは、王貞治だった。「長嶋は?」と聞かれることもあるが、長嶋茂雄はライバルではない。彼は天才で、私が努力してもかなう相手ではないからだ。実際に同時代にプロ野球選手として戦っていたからこそ、身に染みてわかっている。長嶋は天才、彼に勝てなくても悔しいといった感情は湧いてこなかった。

そんなわけで、私のライバルは王だ。王がどう思っているかは知らない。意に介していないかもしれないが、私はずっとライバル視してやってきた。「王の記録を抜きたい」「王がこれだけホームランを打ったなら、俺だって負けん!」「絶対にノーヒットにしてやる!」などと意気込んでいたことを昨日のことのように覚えている。

王がいなければこんなに頑張らなかったかもしれない

もし他に競うような相手がいなかったら、私はこれだけ頑張って野球をしていなかったかもしれない。一度記録を打ち立てたらそれっきり、その記録にあぐらをかいて努力を続けていなかった可能性もある。

誰かに追い抜かれるような恐れがないのであれば、必死になることもない。気ままなプロ生活を送っていただろう。

だが、ライバルがいたら、自分が抜かれないように努力を重ねる。気を抜いているとあっという間に差がついてしまい、もう追いつけないほどずっと先まで行ってしまうかもしれない。そうならないように、自分がライバルより少しでも先に行けるように、日々努力を続ける。

同時代にライバルと呼べる存在がいるというのは、競技の発展のためにも大切だろう。競技全体の底上げには、たったひとりの大天才より、競い合えるライバルが高い次元で争うことのほうが絶対にプラスの影響が大きいと私は思っている。

孤独な戦いより、競い合う相手がいるほうが成長できる

誰に負けたくないか、それを目標にして仕事だって何だって頑張ればいい。負けたくないと思って努力していけば、そこから必ず成長していける。そういう存在がいないと、モチベーションを維持するのはなかなか難しい。

「アイツもやってるから負けられない」と思うことで、つらいときにも頑張れるのだ。

ライバルの存在なくして、人としての成長なし。孤独な戦いより、競い合う相手がいるからこそ成長できる。

それにしても、王にはやられっぱなしだったなぁ。王の苦手なコースを知っていたから、そこを攻めて、オールスター戦では25打席連続ノーヒットという不名誉な記録もつくって仕返ししてやったが、それでもやっぱり王は輝いていた。

ライバルのひまわりには、月見草もなかなか勝てなかったというわけだ。

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野村 克也(のむら・かつや)
野球評論家
1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へテスト生として入団。MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、ベストナイン19回などの成績を残す。65年には戦後初の三冠王にも輝いた。70年、捕手兼任で監督に就任。73年のパ・リーグ優勝に導く。後にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズでプレー。80年に現役引退。通算成績は、2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。90~98年、ヤクルトスワローズ監督、4回優勝。99~2001年、阪神タイガース監督。06~09年、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。
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野村 克也

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