スコットランドの戦いの歴史が刻まれたエディンバラ

スコットランドの戦いの歴史が刻まれたエディンバラ

  • JBpress
  • 更新日:2021/02/22

文=鷹橋 忍

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エディンバラ城 写真:PantherMedia/イメージマート

スコットランドの戦いの歴史の証人

コロナ禍による緊急事態宣言や外出自粛要請により、海外はおろか、外出もはばかられる日々が続いている。せめて旅行気分を味わっていただけるよう、イギリス北東部スコットランドの首都エディンバラのエディンバラ城を、ご紹介したい。

エディンバラは、『シャーロック・ホームズ』の作者コナン・ドイルや、『ジキル博士とハイド氏』などを記したロバート・ルイス・スティーヴンソンなど、世界的な文学者を輩出した街である。近年では、空前の大ヒットシリーズ『ハリー・ポッター』の著者J.K.ローリングが執筆に利用したカフェ「ザ・エレファント・ハウス」があることでも知られる。

その街並みは、中世を思わせる旧市街と、都市計画に基づいて造られた新市街に分かれ、エディンバラ城とともに、「エディンバラの旧市街と新市街」として、世界遺産に登録されている。

そのエディンバラのランドマークと言われるのが、エディンバラ城だ。「キャッスル・ロック」と呼ばれる岩山の頂に堂々と聳え建ち、現在もスコットランドの民族衣装をまとった衛兵に守られている。

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エディンバラの街並み 写真:PantherMedia/イメージマート

城からはエディンバラの街が眼下に収まり、また、街のどこからでも城の姿を見上げることができる。ランドマークと称されるゆえんである。

数多くの歴史の舞台となった城であり、イングランドの女王エリザベス1世と王位継承権を争い、断頭台に散った悲劇のスコットランド女王メアリ・スチュアート(1542~1587)が、後にスコットランドとイングランドの両国の初の統一王となるジェイムズ6世(イングランドではジェイムズ1世)を産んだのも、この城である。

エディンバラ城は、「スコットランドの戦いの歴史の証人」ともいわれる。

後述するイングランドとの独立戦争を始め、宗教改革戦争(1559~1560)、女王党と国王党との内乱(1570年~1573年)、クロムウェルの占領(1650年)、革命戦争など、戦争の舞台となり、破壊と再建と増築が繰り返されてきた。そのため、城の創建は7世紀初めであるが、現存する建造物の多くは、18世紀後半以降に建築されたものである。

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大国イングランドとの抗争

スコットランドは現在、我々が「イギリス」と呼ぶ、英国(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)を構成するカントリーの一つであるが、かつては「スコットランド王国」として独立した国であった。

スコットランド王国は、6世紀にアイルランドから移住してきたスコット人の末裔が、周辺を併合して、1034年に統一王国を形成したものだとされる。

王国の歴史は、イングランドと激しい抗争の歴史でもある。建国当初から領土や覇権を巡る戦いが、数え切れないほど行われてきた。

大国イングランドより国力は劣っても、スコットランドの人々は不屈の精神で戦い抜いてきた。その戦いの厳しさは、「ベッドで安らかに死んだスコットランド王はいない」と称されたほどである。

イングランドとの国境となるトゥイード川からそれほど遠くなく、「エディンバラを制する者はスコットランドを制する」といわれた地に建つエディンバラ城も、抗争が激化した13世紀、イングランド軍に占領され、スコットランド勢が奪い返すという歴史を辿っている。

繰り返されるイングランドとの激しい戦いの中で、スコットランドには何人もの英雄が誕生した。そのなかでも、最も尊敬を受けているのは、次に述べるウィリアム・ウォレス(1272?~1305)と、スコットランド王ロバート・ブルース(1274~1329)だろう。

エディンバラ城を守る二人の守護神

城の大手門の城壁には、左右のそれぞれに男性の銅像がはめ込まれている。城の守護神のごとく飾られたこの二つの銅像は、スコットランドの独立の英雄、ウィリアム・ウォレスと、スコットランド王ロバート・ブルースを描いている。

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エディンバラ城の門 写真=PIXTA

1996年のアカデミー賞5部門を受賞した、メル・ギブソン監督・主演の映画『ブレイブハート』は、ウィリアム・ウォレスを主人公とし、ロバート・ブルースも重要な役柄で登場するので、二人の活躍はご存じのかたも多いだろう。また2018年には、Netflixオリジナルコンテンツとして、ロバート・ブルースが主人公の『アウトロー・キング スコットランドの英雄』が制作されている。

13世紀末、スコットランドはイングランド王エドワード1世に武力制圧され、圧政に苦しんでいた。そんななか、下層民や下級貴族層の支持を受けた一人の指導者が、イングランドに反旗を翻す。その指導者こそ、ウィリアム・ウォレスである。

1297年、志願兵を率いたウォレスは、「スターンリング・ブリッジの戦い」で、兵力に勝るイングランド軍を撃破、大勝利を収めた。

この勝利はスコットランド側に大いなる希望を与え、ウォレスはスコットランドの解放者としての期待をかけられたが、その快進撃は長くは続かなかった。

ウォレスは翌年の1298年に、「フォールカークの戦い」で、エドワード1世が直接指揮を執ったイングランド軍に大敗してしまう。

その後、ウォレスはかつての部下の裏切りにあい、イングランドに引き渡され、残虐な方法で処刑された。これは、スコットランドの反抗の意志を奪うための見せしめであったが、逆に反骨精神に火をつけることになった。スコットランドでは「ウォレスに続け」とばかりにイングランドに抵抗する者が次々と現れ、ロバート・ブルースの登場となる。

名門氏族のブルースは、ロバート1世として王位を継承し、イングランドに戦いを挑んでいく。1314年の「バノックバーンの戦い」では、兵力で劣りながらも、地の利を最大限に活かした巧妙な戦法で、イングランド軍を破った。

その後、イングランドの全軍をスコットランドから駆逐することに成功し、1328年には、スコットランドの独立および、自身の王位を承認させたのだ。ブルースは、スコットランドの独立の英雄として、現在も高い人気を誇る。

二人の英雄の彫像の他にも、城内には、エドワード1世によってイングランドに運び出され、1996年に返還された歴代スコットランドの戴冠石「スクーンの石」や、スコットランド王ジェイムズ4世(1473~1513)がイングランド方の城に放ったという大砲「モンズ・メグ」などが展示されており、スコットランドの動乱の歴史を今に伝えている。

エディンバラ城は、スコッツマンたちの不屈の精神の象徴なのだ。

鷹橋 忍

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