美内すずえ、くらもちふさこ、山岸涼子... 元アシスタントが“少女漫画”のレジェンドと過ごした“青春”

美内すずえ、くらもちふさこ、山岸涼子... 元アシスタントが“少女漫画”のレジェンドと過ごした“青春”

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/07/21

『ガラスの仮面』の美内すずえさん、『天人唐草』『日出処の天子』の山岸凉子さんなど、レジェンドたちの若き日の姿や、名作が生まれた瞬間をユーモラスに描いた『薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―』(イースト・プレス)が話題だ。32年ぶりに漫画出版をされた作者の笹生那実さんに、制作秘話や今の漫画業界について、メールインタビューで聞いた。(全2回の1回目。後編を読む)

【写真】この記事の写真を見る(5枚)

No image

◆◆◆

【マンガ『薔薇はシュラバで生まれる』を読む】

32年ぶりに復帰して感じたデジタル化の波

──70年代は「少女漫画黄金期」と呼ばれる時代です。『薔薇はシュラバで生まれる』では、その黄金期の作品を生み出した漫画家たちを、アシスタントをされていた笹生さんの目を通して描いています。「漫画家」として作品を描かれたのは32年ぶりだそうですが、一番苦労されたのはどんな点でしたか。

笹生那実(以下、笹生) デッサンがとれなくて時間がかかるとか、構図がなかなか浮かばないとか、要するに絵が描けない苦労です。残念ながら体は覚えててくれませんでした(笑)。絵は常に描いていないと、どんどん腕が落ちてしまいますね。

──漫画家を辞めたあと、まったく漫画は描かれていなかったのですか。

笹生 40代から同人誌活動を始めたのですが、同人誌といっても文字の隙間に簡単な絵を挟むだけで、漫画とは言えないレポートみたいな本が多かったんです。長ページの漫画を描くのは掛け値なしに32年ぶりでした。

でも、雑誌では読まなくなっていましたが、好きな作品はコミックスで買っていましたし、知ってる先生方や友達の作品でも、完全に読者目線で読んでいましたので「漫画」から離れていたわけではありません。

──現役時代と比べて、いちばん驚いたのはどんなことでしたか。

笹生 スクリーントーンの興亡を目撃しました。私が12歳だった頃は1枚120円。売ってる場所も少なかったので、大事に大事に使ってました。その後は、独占企業だったから値上がり方がえげつなくて、値段のピークは1枚1000円かな。そんなに高価なのに、当時はあまりいい柄がありませんでした。

それが、競合メーカーが生まれてから、いい柄がたくさん出てきて、しかもどんどん安くなり、一時100均でも売られてたとか。

そして今はデジタル時代で、もはや使う人も激減。買い置いた大量のトーンの処分に困ってる漫画家さんは多いみたいですね。私もそういう漫画家さんから少女漫画っぽい柄のトーンを送っていただいたり、夫から使わなくなったトーンをもらったりしました。

──デジタルネイティブ世代は、「スクリーントーン」を知らない人もいるのでは。

笹生 以前「アナログ原稿ってトーンを手で貼るんでしょ。大変だな」というツイートを見かけてびっくり。柄の種類が少なかった頃は、点描でも集中線でもカケアミでも全部、手で描いてたんだよ!と言いたかったです。いい柄が増えてきた時「描かなくても貼るだけでいいんだ! なんて楽なんだ!」と感激しましたから。

で、そのいい柄っていうのは、どなたかとても技術の高いアシさんなどがバイトで、手描きして柄を作ってたんです。ほとんどのトーン柄はデジタル処理で作れますが、手描きでなければ作れない柄もある。それはいつか描ける人がいなくなれば、消えてしまうんでしょうねえ。残念。

デジタルは「進化」ですよね。残念ながら私は使えませんけど、目の老化に困る身としては、作画の時に拡大できるのは羨ましい。

ただ進化しすぎて「そこまで細かく描き込むの?」と驚くこともあります。

それぞれの絵柄でキャラを描き分けた理由

──笹生さんのご主人も「レジェンド」と呼ばれる漫画家です。『静かなるドン』の新田たつおさんからは、どのような感想をいただいたのですか。

笹生 夫はそれほど、人の漫画には興味がないらしいんです。だから私の漫画もあまり興味ないかなと思ったら「その俺が読んで面白かった。たいしたもんだよ」と言ってくれました。「読んだけどよくわからん」じゃなくてよかったな、と思いました(笑)。

──かつての漫画家仲間には事前告知されていたのでしょうか。エピソードを紹介した先生方からの反応はいかがでしたか。

笹生 友人たちには「今度こういう漫画を描くんだ」と、ネーム段階から教えてました。みんな楽しみだって、すごく応援してくれて、描く上でとても励みになりました。

先生方は、何を描かれるか不安だったと思いますが(笑)、完成した本には「面白かった」と言ってもらえてほっとしました。

──アシスタントをされた先生方は、それぞれの絵柄でキャラを描き分けておられます。なぜこのような構成にしようと思われたのですか。

笹生 私がアシをした頃の先生方のお顔を描かねばならない、さてどうしようと困りました。当時のお写真もないし。

それなら当時の先生方の絵柄を真似よう、と閃きました。写真を見ながらご本人に似せて描くよりも、「この絵柄は〇〇先生だ」と読者もすぐわかるからその方がいい、と。どの先生でも、目の描き方を真似れば、読む人にも模写してることがわかってもらえるだろうと思い、描きました。

──「目」がポイントなんですね。描きやすい先生や、描きにくい先生の違いはありましたか。

笹生 絵柄的には美内先生の絵柄を真似るのは得意です(笑)。ただし昔はもっと、描線まで似せて描けたのに、今は描線に限って言うとダメ、似てません。

美内先生の描線はもっと力強く太い線なのに、どうしても太く描けませんでした。まったく逆なのが山岸先生。絵柄を真似るのは難しい。でも細い描線を描くのは苦労しません。

──くらもちふさこさん、三原順さん、樹村みのりさんの模写のポイントも、ぜひ教えてください。

笹生 くらもちさんは「蘭丸団シリーズ」を描かれた頃の絵柄を模写したんですが、このシリーズは4年に渡って描かれたんです。すると年によって微妙に目の描き方が違ってて、どの時代を模写すれば……と悩んだりしました。

三原順さんの模写は、同人誌でよくやってるので、どうにか(笑)。細い線で繊細に描き込まれた目が特長です。樹村先生は、目の他に口の描き方にも特長があります。

「記録に残しておくこと」の大事さ

──今回この作品を描いたのは、「かつての貴重な体験を残したかった」という思いもあったからだとお聞きしました。プレッシャーや重責はなかったのでしょうか。また、記録の難しさはどこにあると思われますか。

笹生 公文書を書くわけじゃないので、プレッシャーは特には。

60年以上世の中を見ていると、昔あった事実でも、解釈が徐々に変化していって「あれれ?」と思うこともありますので、記録が埋もれずに広く知られていれば……と思います。また、記録が少ないどころか全く残っていなくて、歯痒い思いをすることもあります。

──笹生さんは漫画家の山下和美さんとともに、憲政の神様と言われた、かつての東京市長・尾崎行雄の旧宅といわれる洋館保全にも尽力されています。そこでも「記録に残しておくこと」の大事さに気がつかれたそうですね。

笹生 旧尾崎邸といわれている洋館の保全活動をしているのですが、明治40年代頃の所有者は誰だったか、公的な記録は見つかっていないんです。1888年(明治21年)の建築当初の記録は残っていて、尾崎三良という男爵が、英国人妻との間に生まれた娘テオドラのために建てたそうです。

そのテオドラが尾崎行雄と結婚した1905年、洋館の所有者は男爵から行雄夫妻へと移ったんじゃないかな、と想像します。なぜなら夫妻と交流のあった伊佐秀雄という人の著作に、尾崎行雄は結婚後「家庭生活が大体洋式に改められた」という、ほんの短い記述があるので。

あの洋館はテオドラ夫人が亡くなってすぐ後の1933年に、尾崎行雄と親交のあった英文学者の所有になり、文学者の子孫には「尾崎行雄から譲られた」と伝わっています。ちなみに男爵は1933年より前の1918年に亡くなっています。

そういう状況から考えても、洋館は尾崎行雄の旧宅だったと言って差し支えないと思います。でも尾崎行雄の住居として公的な記録が残ってるのは品川にあったという日本家屋。この洋館の記録はない。そんな中で公的な記録ではないにせよ、何気ない短い記述を残してくれた人には感謝したいです。

当事者にとっては何気ないことでも、記憶を記録に変えて残しておくことは、後に何かの役に立つこともあるかもしれないと思うんですよ。

こんなことからも、記録は多い方がいいと思っているのです。他の方も貴重なエピソード、面白いエピソード、残してほしいですね。

(取材・構成:相澤洋美)

【後編に続く 「夫の新田たつおは、さっさと描いて人気もある。やる気なくします…」 出産で漫画家を引退した60代の笹生那実が、20歳の自分にかけたい言葉    】

「夫の新田たつおは、さっさと描いて人気もある。やる気なくします…」 出産で漫画家を引退した60代の笹生那実が、20歳の自分にかけたい言葉へ続く

(笹生 那実)

笹生 那実

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加