
私は、東京でバラエティ番組を中心に活動している32歳平成生まれの放送作家だ。
上京したのは、23歳(2013年)の春のこと。あれから10年、憧れだったテレビを中心に企画・構成に勤しんできた。人のご縁にも恵まれ、それは多くの経験をさせてもらった方だと思う。
世間一般的にはあまり知られていないが、基本的に“放送作家”という仕事に“丸一日休み”という概念はないもので、会議して、書いて、呑んで、宿題をして、を繰り返すことが仕事のルーティンだ。
しかし、20代の自分のキャパシティは狭く、日々の課題に食らいつくことで精一杯。インプットする時間や余裕は1ミクロンもなかったが、2020年(令和2年)日本に到来したコロナウイルスを機に、私の生活環境はガラリと変わった。家族ができ、以前よりも心と時間に少し余裕が生まれてきたのだ。
そんな余白のあるタイミングに、一人の作家さんを知ることになる。それは、何気ない朝の一コマ。家人が、ベッドでスマホを触りながら「Amazonで本を買って欲しい」と珍しいことを言い出した。
「読みたい本があるんだけど…“大人の流儀”って本知ってる? 買ってもいいかな?」
ネットで調べてみると、累計200万部の売り上げを超す大ベストセラー本だった。
作者は“伊集院静”。もちろん、その名前は聞いたことがあった。しかし、地上波の番組でのアーカイブ映像で昭和の大女優・夏目雅子さんの元旦那の作家さんという認識くらいしかなかった。(お恥ずかしながら)
「なんで読みたいの?」
「昨日、林修先生の番組を観ていたら伊集院静さんの『大人の流儀』を紹介してて。凄くよかったのよ」
いつもはK-POPや料理にしか興味のない家人の口から書籍の名前が出てくることは非常に大きなギャップがあり……。気付けば、その放送(OA)を直ぐにチェックしていた。番組内では……林修先生と伊集院静さんの対談の企画が行われている。
その中で伊集院静さんの口から紡ぎ出される言葉に衝撃を覚えた。
■ここ危ないと思ったら“大逃げ”をしないとだめ
秀吉も家康も大逃げした。逃げることは恥ずかしいことじゃない。
遮二無二、懸命に逃げる。
■人と付き合うのに一番大事なのは距離感
聞く力というけど実は聞く姿勢。距離を詰めたときは小声で。
■向かい風になる道を選びなさい。そこで苦労をすれば苦労をしている人が見える。
ちょうどその少し前に、放送作家界の上下関係が嫌になり“大逃げ”を選択した直後だった。距離感に苦悩しての選択だった。自分にとっては後悔のない選択だと思ってたのだが、ふとした瞬間に果たして本当に良かったのか? と靄の中で見つめ直すことも多かった。そんな自分の心にしっとり浸透してきた。
視聴後早速“大人の流儀シリーズ”の1巻を即買い。
ついでに伊集院静さんの他の著書のラインナップも眺めていると、ある一冊が目に飛び込んできた。
『なぎさホテル』
巻頭にはこう書かれている。
“このホテルから私の小説がはじまりました。”
それは、伊集院静の“作家と“人間”としての原点”に迫った本だった。
私も作家という仕事をしているからなのか…直感的に、この本に興味を持った。
逗子なぎさホテルを舞台に綴った伊集院静さんの自伝的小説。
20代後半に広告制作会社を辞め、東京暮らしを諦め、故郷の山口県へ帰る束の間の時間、故郷に帰ろうとしていたら、ふとその前に関東の海が見たくなり、降り立ったのが逗子だった。
小説家志望の若者は海風に吹かれながらビールを飲んだ。
「こんな場所で、こうして居られたらいいだろうな」
ビールを飲みながら呟いた。
『昼間、海のそばで飲むビールは美味しいもんでしょう』
ぼんやり海を見ていたら、声をかけてくる1人のおじいさんがいた。
「うちの宿に泊まればいいですよ!」
「でもお金が…」
「1人くらい、そんなもの何とでもなります」
そのとき伊集院に語りかけた人こそ、その後7年にわたって逗留することになる
「逗子なぎさホテル」のI支配人だった。
本を読み進めていくと、伊集院さんが作家デビューをしていくまでに逗子の地で出逢った人々(Ⅰ支配人、なぎさホテルの仲間、街のお寿司屋さんの夫婦、当時交際中だった夏目雅子さん…)との心温まる交流に“人の生きる情景”が浮かび上がってくる。
一人の何者でもない青年を、逗子に住む人たちはどうしてここまで優しく包み込んでくれたのか?
伊集院さんの当時の人柄はどういう雰囲気だったのだろうか。
『タイムマシンがあればいつの時代に行きたい?』という質問がよくあるが、僕は迷わず、この時代の逗子海岸だと答えるだろう。
全てを静かに受け入れてくれるホテルを舞台に作家を生業としていくまでの青春の日々が綴られている。
彷徨しながらも大人の男へともがいて歩んでいく、“時間だけは有り余っているひとりの青年“の姿は見事に鮮やかで、昭和の香りもほんのりとしてくる。
最近、私は強く思うことがある。それは、“時間があること”の素晴らしさだ。
伊集院さんもこの時代、どうせ酒を飲んで失せる金なら本でも読んでみようかと、鎌倉の古本屋に行って日本文学全集を買った。(お金は、全てⅠ支配人が笑って立て替えてくれている)はじめての小説を書いたのが、時間があったこの時分なのだ。
私も20代の頃、精神的に結構きつい状況に陥った瞬間があり、今の仕事を続けるか悩んでしまう瞬間があった、そんなときに、帰る場所と仲間が存在していた。それは“西麻布ハウス”と呼ばれる港区のど真ん中にあるにも関わらず家賃が3万円程度で、芸人さんたちが集まるまるで漫画家が集まったトキワ荘のような場所だった。
岡田を追え‼️ の岡田康太さん、その岡田さんを慕って、売れる前のフワちゃん、四千頭身後藤くん、ヒコロヒーさん、Aマッソさん、かが屋の加賀くん……色々な人が入り浸っていた。
そこにいる人たちは時間だけしかなかったが、その時間を全て笑いに正面から向き合っていた。その「時間」は、とても輝かしくて、かけがえのないもので、彼らは……その「時間」を糧に瞬く間に世の中に見つかり、売れていった。
このときの芸人さんたちと夜な夜な過ごした時間とエピソードは、今の自分の核になっており、普段作家の活動をする上で欠かせない筋肉になっていることは確かだ。
逗子で過ごされた、「夢のような時間」の中で若き日の伊集院さんが感じたものは何だったのか? 実際にお会いしたら、聞いてみたいと思う。
今まで読書を日常化していなかった自分が伊集院さんの書籍となると……真夏の炎天下でゴクゴクと水分補給するように文字を「飲んで」いる。人生ではじめて本を一気読みできた運命の一冊、それが『なぎさホテル』になった。
そこから、“大人の流儀”を全巻購入し、一か月余りで一気読みしたことで、徐々に私の思考が伊集院静さんになっていく。
伊集院さんならこの難題にどう立ち向かわれるのか?
伊集院さんはこの道を歩いたことがあるのか?
伊集院さんなら、この瞬間何という言葉を紡ぎ出されるのか?
今では日常生活の中で、“伊集院静フィルター”を通さなければ思考ができないほどの身体(脳)になってしまった。
今後、エッセイを通して勝手ながら、伊集院静さんへの思いを書き綴っていきたい。
どこかでお会いできる日を夢見て、今日も伊集院さんの背中を追いかけている。
(イラスト=武山直生)
澤井直人