ダイオキシン問題から紐解く「リスクマネジメント」と「ゼロリスク」の大きな違い

ダイオキシン問題から紐解く「リスクマネジメント」と「ゼロリスク」の大きな違い

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2022/09/23
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世の中でリスクをゼロにするというのは不可能だ。歩いていたって転んでけがをする可能性はあるし、健康にいいものを食べてもそこでアナフィラキシーを起こさないとは限らない。「100%リスクはない」ことは存在しないともいえる。
それでもなぜ「100%安全でないと嫌」というゼロリスク信仰が蔓延しているのか。ジャーナリストの佐々木俊尚さんが分析する短期集中連載1回の前編では、ゼロリスク信仰とは何か、具体例を挙げてお伝えした。日本をパニックに陥れた狂牛病でも、その被害の実態の少なさに比べての肉食への風評被害は記憶に新しい人もいることだろう。後編では、さらに大きな問題となったダイオキシン問題と、80年代からの日本社会の変化について詳しくお伝えする。

前編「狂牛病は18万頭で被害者200人弱…「ゼロリスク」騒動は無限に繰り返されるのか」はこちら

「青酸カリやサリンより毒性が強い」?

まだ「ゼロリスク」という言葉があまり知られていなかった1980〜90年代にもうひとつの大きな騒動があった。ダイオキシン問題である。

ダイオキシンというのは、発がん性や催奇形性がある有機化合物の総称である。モノが燃焼すると発生したり、古い時代の農薬に不純物として含まれていたとされる。最近はすっかり話題にのぼらなくなっているが、20世紀末ごろまでの報道はすさまじかった。「猛毒」「青酸カリやサリンよりも毒性が強い」「1グラムで1万人が死亡する」などといった毒性の強さや、「ベトナム戦争で米軍が使った枯葉剤に含まれている」という話もあった。さらに人体や母乳から検出されたという研究結果などが出るとそのたびに大きく報じられ、当時の日本社会はダイオキシンへの恐怖につつまれていたのである。

その極めつけが、1999年の「所沢ダイオキシン」騒動だった。

これはテレビ朝日系のニュース番組「ニュースステーション」が、「所沢の野菜から高濃度のダイオキシンが検出された」と報じた騒動である。これもまた大騒ぎとなり、当然のように所沢付近でつくられた野菜はまったく売れなくなり、風評被害がまたたくまに広まった。

このダイオキシンは野菜ではなく実際には茶葉から検出されたもので、1グラム当たり最高3.8ピコグラム。都内にある民間の調査機関が調べたものだった。この分量はたしかに他の地域で検出されていたダイオキシン量より多かった。厚生省が1997年に調査した全国の野菜のダイオキシン最高濃度の9倍だったのである。

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独自取材でその「数値」が間違えていたわけではない。問題は「数字が危険否か」だ Photo by iStock

「この数字は本当に危険なのか」

しかしこの数字が本当に危険なものなのかについては、当時でも研究者や専門記者などから異論が出ていた。

たとえば環境リスク学の専門家である中西準子・横浜国立大学教授(現在は名誉教授)は当時、茨城県の焼却場の土壌データをもとに毎日新聞のインタビューに
こう答えている。

「40歳の人が30年間にわたって焼却炉から1キロ以内に住み、そこで取れた野菜を食べ続けるなど最悪と思われる生活をして、70歳の老人になったとします。この人は毎日247ピコグラムのダイオキシンを摂取したことに相当します。この発がんリスクは、普通の都市の空気中に含まれるディーゼル車からの排ガスのリスクよりかなり小さいんです」(「ダイオキシン汚染 横浜国立大学・中西準子教授に聞く」1999年2月10日)

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Photo by iStock

また毎日新聞の科学記者斗ヶ沢秀俊さんも当時、同紙「記者の目」で次のように指摘している。「青酸カリやサリンと違って、急性症状で死に至る量のダイオキシンを摂取することは現実にはない」「日本人の平均摂取量は4ピコグラムに満たないと推定されている。現時点では健康への影響はそれほどないと考えられる」

ダイオキシンのリスクは決してゼロではないが、リスクの大きさとしては比較的小さいものではないかという指摘である。斗ヶ沢さんはさらにこうも指摘している。

「がんの死者は年間約5万人に達する。喫煙者の私が言うのは気が引けるが、その主原因であるたばこは事実上、野放しになっている。ダイオキシンは急性の死者を出していないし、喫煙よりもがん死者を増やしているとは考えられない。有害物質の摂取量をできるだけ減らすことは重要だが、有害物質のリスクを正確に評価する必要がある」

この考えがまさに「リスクマネジメント」なのだが、残念なことにこうしたロジックを言う記者はマスメディアでは少数派だった。

「リスクマネジメント」とリスクゼロとの大きな違い

リスクマネジメントは、リスクをゼロにしようとする「ゼロリスク」ではなく、リスクを管理しようという考え方のことである。環境のリスクはどんなものもゼロにするのは不可能であり、リスクを減らすことによって得られる利益(ベネフィット)や、リスクを減らすのにかかるコストのバランスを考えていかなければいけない。リスクをゼロにしようと無理をして減らしても、それで得られる利益を超えてコストをかかってしまうこともあれば、あるリスクを減らした結果、連鎖的に他のリスクが逆に増えてしまうこともある。ゼロリスクを目指しても、永久にわれわれは安心して暮らせるようにはならないのである。

しかしこのようなリスクマネジメントの姿勢も、日本では定着しなかった。なぜ日本社会で、しかも1980〜90年代以降にこれほどまでにゼロリスク信仰が広まってしまったのだろうか?

そこには時代の空気感の変化があったのではないかと、わたしは考えている。

1980年代から90年代というのは、日本の戦後社会が完成した時代である。60年代までの高度成長でGDPは世界第2位になり、収入は増えたが、「豊かになった」という実感はまだ乏しかった。1991年に首相に就任した故宮沢喜一氏は80年代から「生活大国」を目標とする理念を掲げたが、この「生活の豊かさ」という実感はまさに80年代末のバブル期に実現していったと言える。

生活が豊かになり、余裕ができた。個人的な経験で言えば、1980年代初頭までは日本の街は汚く、公衆衛生観念も乏しくて、平気で駅のホームや道路に煙草の吸い殻やゴミを捨てる大人はたくさんいた。駅には「痰壺」などというおぞましいものまであった。そこらじゅうにみんな痰を吐いていたからである。

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昭和時代の渋谷の街並み Photo by Getty Images

しかしバブル時代の土地高騰とそれに伴う「地上げ」の影響もあって、古くてボロい街は都市から急速に姿を消し、ピカピカのビルへと変わった。私は当時20代の金のない貧乏青年だったが、それまで若者の多くが暮らしていた木造モルタル老朽アパートがどんどんなくなって、こぎれいなワンルームマンションへと変わっていったのを当時体感している。

健康的で生活で道徳的な社会の不自由さ

1976年生まれの精神科医で、ブロガーとしても知られる熊代亨さんは著書「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」(イースト・プレス、2020年)で、こう書いている。

「私が子どもだった昭和50〜60年代ごろの北陸地方では、新聞のおくやみ欄には50〜60代で亡くなる人の名前がざらにあり、それぐらいで人が死ぬことに誰も疑問を感じていなかった。(中略)健康リスクが広く知られる前の日本人、とりわけ医学的知識とは縁の乏しい、片田舎の非ーインテリな庶民が、タバコをはじめとする健康リスクに寛容、というより無頓着だったのは当然だろう。なぜなら、健康リスクという考え方を誰も知らず、健康リスクによって寿命が短くなるという実感も乏しく、人生は50〜60代で終わってもおかしくないという通念がまだ残っていたからだ」

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昭和のころまでは「不潔」がごく当たり前で、「ゼロリスク」などという信仰が育つはずもなかったということだ。しかし1980年代になって街が清潔になり、健康に気をつけるようになってきて、初めて人びとはリスクを強く意識するようになったのである。有名な「マズローの欲求5段階説」で言えば、豊かになって食べ物が困らなくなり、不慮の病気や事故で死ぬ危険が減ったことによって、われわれは逆にリスクを神経質なまでに過剰に見るようになったのではないか。

つまりわれわれの欲求段階が上がったことによって、ゼロリスク信仰は自然と発生してきたのではないか。しかしそうであるとするならば、この清潔な21世紀の社会からゼロリスク信仰をとりのぞくのは、けっこう厄介な課題であるということになるのかもしれない。

さてゼロリスク信仰がここまで蔓延したのには、この時代背景に加えてもうひとつの要素があると私は考えている。それはマスメディアが果たした大きな役割である。次回はそれについて分析していく。

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清潔で、豊かになり、より長生きもできるようになった現代。それはとても素晴らしいことだが、より神経質が過剰になってしまった面も Photo by iStock

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