社長就任直後にB3降格&借金1億円、岩手ビッグブルズ水野哲志社長が見据えるクラブの未来(前編)

社長就任直後にB3降格&借金1億円、岩手ビッグブルズ水野哲志社長が見据えるクラブの未来(前編)

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  • 更新日:2023/11/21
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今シーズンより6季ぶりにB2に復帰した岩手ビッグブルズは、水野哲志社長の下、家族的な雰囲気と地域に根差した活動を続けて集客を伸ばしている。社長就任直後にクラブはB3に降格し、運営会社は当時、1億円弱の負債を抱えていた。しかし、地元新聞社で記者として活躍していた水野社長は、取材を通じて感じ取ったスポーツの力を信じ、逆境から成長を続ける組織を構築。東日本大震災の被災者に寄り添い、復興にも尽力するビッグブルズは、岩手県を勇気づける存在になりつつある。

連敗しても「優しく温かい」県民性に励まされ

——社長就任までの経緯をお聞かせください。岩手県出身で、子供の頃からずっとサッカーをやっていました。バスケットボールは体育の授業や体育祭などで経験したぐらいで大きな接点はありませんでした。東京の大学に進学し、地元の新聞社に記者職として入社しました。10年ほどの在職中にいろいろな部署に携わらせてもらいましたが、大きな転機となったのは運動部に配属されたことでした。プロスポーツを担当させてもらう機会に恵まれ、ビッグブルズやサッカーのいわてグルージャ盛岡さん、大相撲の錦木関やプロ野球の大谷翔平選手、菊池雄星投手などを取材させてもらいました。スポーツの魅力ってすごいなと思っ ていた2016年に、「ビッグブルズを助けてくれないか」という話をいただいてこのチームに飛び込みました。1年ほど役員に就いて、そのあとは社長をやってくれないかということで2018年5月に33歳で社長を任されました。しかし、就任約1カ月後の同月28日にB3に降格し、会社としても大きな借金を抱えていました。期限までに債務超過を解消しないと勝ってもB2には行けないというルールだったこともあり、1億円弱の借金を2年で返そうというところからのスタートでした。——東北地方、岩手県でプロスポーツチームを営む魅力は何でしょう?自分が子どもの頃、岩手にはプロスポーツがなかったので、地元にプロスポーツチームがあればいいなと心から思っていました。関東や関西などの大都市には1つの都道府県に複数のチームや競技があったりしますが、岩手はプロスポーツチームがバスケとサッカーで一つずつということもあって、地元にすごく愛していただいている感覚はあります。例えば電話で「岩手ビッグブルズです」って言うと「バスケよね、応援しているよ」と声をかけてもらえる。日々の活力になりますね。

——県民性なのか、岩手の方は温かく優しそうな印象があります。ちょうど私が社長になった2018-19シーズンに14連敗を喫したことがありますが、それでも野次が飛びませんでした。心の中では、みなさん思う部分があったんでしょうけど、「次、頑張ってね」と声をかけられることの方が多かった。そういう県民性は大好きです。ちなみに、あまり目立ちたがらないのも県民性かなとも思います。──チームも家族的な雰囲気が強いイメージです。苦しい時は選手にもいろいろと我慢してもらわないといけないことも多かったですし、その中で選手やフロント、スタッフも手伝えることは手伝う。人数が多くなかったので、そこからスタートしているのは、1番のベースになるかなとは思います。事務所に選手がふらっと遊びに来ることもありますし、コーチ陣も事務所でミーティングして一緒にご飯を食べることも多いので、お互いをリスペクトして、お互いのためにやろうという思いが、そのファミリー感に繋がっているのかなと思います。

──スポーツのメディア側から経営側に回ると決断された時にプレッシャーはありませんでしたか。当然、新聞記者はお金を稼ぐことが目的ではなかったし、お金を稼ぐことにダイレクトに繋がる仕事ではなかったので、難しさしかなかったですね。決めたら動きたいタイプなので、お話をいただいてやってみようかなと思った時には、家族にも伝えましたし、家族もやりたいならやったらいいんじゃないと後押ししてくれました。経営を経験していなかったから、1億円弱の借金がどれほどのものかという感覚はなかったです。──代表を任されたやりがいは。他のチームよりも選手やフロント、スタッフの距離が割と近いので、勝った時はみ んなで喜びます。1勝ごとに一喜するのはあまり良くないかなとは思うんですけど、お客さんが笑顔で帰ってくれる瞬間が一番うれしいし、やりがいだと思っています。

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東日本大震災被災者の「一番楽しい日」に

──水野社長が思い描くチームの将来像は。地域により愛されて、地域により根差すというところが1番のウチの目標です。クラブの歴史は東日本大震災が起きる4カ月前に始まりました。当時私はいなかったのですが、バスケットをやっていていいのかという状況が社内にもあった中で、バスケットボールを通じて勇気や元気を届けましょう、とスタートした会社なんです。ベースに復興とか地域のためにという思いがすごく強い会社だと思います。企業理念にも「復興のシンボルになりましょう」と入れさせてもらっています。太平洋沿岸部でも毎年そういう試合をさせていただいていますし、バスケットボール教室も年間100回ぐらいやらせていただいて、より地域に根差せることはないかと活動しています。

──東日本大震災から12年半が過ぎました。発生当時に比べれば、もちろん復興は進んでいるとは思うんですけど、まだまだ心に傷がある方々は当然いらっしゃいます。震災から8年が経った2019年ぐらいに沿岸部で試合をして負けてしまったのですが、中学生ぐらいの男の子が私のところに来て、「震災後、今日が一番楽しい日でした」と言ってくれた子がいたんです。自分たちがやっている意義はなんだろうなとあらためて認識しましたし、元気を与えられるチームになりたいと思っています。

文=山根崇 取材・写真=古後登志夫

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