山田哲人、村上宗隆、そして稲葉監督...スワローズとオリンピックの切っても切れない関係

山田哲人、村上宗隆、そして稲葉監督...スワローズとオリンピックの切っても切れない関係

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/07/22

侍ジャパンの中心選手となった山田と村上

オールスターゲームが終わった。メットライフドームと楽天生命パークで行われた2試合を見ていて気づいたのが山田哲人と村上宗隆の存在感の大きさだった。ともに侍ジャパンメンバーである両者の注目度や堂々たる立ち居振る舞いは、ひいき目抜きに見ても日本を代表するスーパースターなのだと再認識した。

今季、自らキャプテンに立候補した山田は体調が万全ではないのだろう。なかなか本来の成績を残すことができなかった。それでも、前半戦を終えて、巨人・岡本和真の27本、村上の26本に続く、リーグ3位の25ホームラン、リーグ2位の65打点を記録しているのはさすがだ。

一方の村上はホームランはリーグ2位、打点3位で、やはり存在感を発揮している。グラウンド内はもちろん、ベンチに控えているときでも、大きな声でチームメイトを鼓舞しながら、夢中で試合に臨んでいる姿は、見ていて本当に気持ちがいい。プロ4年目、順調すぎる成長曲線は彼の才能と努力と、ヤクルトというのびのびプレーできるチームカラーの幸福な化学反応の賜物だと改めて思う。

その山田と村上がついにオリンピックの晴れ舞台に立つ。もちろん、スコット・マクガフもアメリカ代表だということを忘れてはいけない。開催の是非についてはいろいろな意見がある。個人的な思いとしては「何が何でも五輪強行」の姿勢に対する違和感はある。コロナ禍における医療従事者の負担を思えば、積極的に「絶対に開催を」とは言い難い思いがある。神聖なる神宮球場が「資材置き場」となることには忸怩たる思いもある。

しかし、ひとまずそれは置いておいて、大会が行われるのであれば山田、村上が名を連ねる侍ジャパンメンバーには心からの声援を送りたい。たとえそれが、時の政府による「大会が開催されれば、世論は一気に好意的に転じるだろう」という思惑通りだとしても……。

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村上宗隆 ©時事通信社

ヤクルトとオリンピックの切っても切れない関係

以前、ある野球専門誌の編集部から「ヤクルトとオリンピックで原稿を!」という依頼を受けたことがある。その編集者によれば、「なぜかヤクルトにはオリンピック経験者が多いんですよね」とのことだった。なるほど、確かにすべてアマチュア選手でチーム編成されていた1984(昭和59)年のロス五輪から、続く88年ソウル五輪、92(平成4)年バルセロナ五輪と、後にヤクルトに在籍する選手が多い。まずは、以下のスターティングオーダーを見てほしい。

一番・飯田哲也(中)
二番・笘篠賢治(二)☆ソウル
三番・古田敦也(捕)☆ソウル
四番・広沢克己(一)☆ロス
五番・ハウエル(三)
六番・池山隆寛(遊)
七番・橋上秀樹(右)
八番・土橋勝征(左)
九番・荒木大輔(投)

これは、ヤクルトが78年以来、14年ぶりの優勝を決めた92年10月10日、甲子園球場で行われた対阪神タイガース26回戦のスタメンである。このうち、「☆」が付された3選手が五輪経験者だ。さらにこの試合ではロス五輪に出場した伊東昭光が胴上げ投手となっている。オールアマチュアでメンバー編成がなされていた84年ロスから、96年アトランタ五輪に限って言えば、以下の選手がヤクルト所属選手となる。

《84年ロス五輪》
伊東昭光(本田技研)/秦真司(法政大)/広沢克己(明治大)/荒井幸雄(日本石油)
《88年ソウル五輪》
古田敦也(トヨタ自動車)/笘篠賢治(中央大)
《92年バルセロナ五輪》
伊藤智仁(三菱自動車京都)/佐藤真一(たくぎん)※ダイエー入団後ヤクルトへ
《96年アトランタ五輪》
三沢興一(早稲田大)※巨人、近鉄、巨人からヤクルトへ

さらに、プロとアマが合同で出場した2000年シドニー五輪、オールプロとなった04年アテネ五輪、08年北京五輪のヤクルト関係者は次の通りだ。

《00年シドニー五輪》
石川雅規(青山学院大)
《04年アテネ五輪》
宮本慎也/石井弘寿/相川亮二(当時横浜)/藤本敦士(当時阪神)
《08年北京五輪》
宮本慎也/青木宣親/稲葉篤紀(当時日本ハム)

そして、13年ぶりの「野球復活」に沸く今大会では、冒頭に掲げた山田と村上、マクガフがヤクルトから代表入りを果たした。あっ、大事な人を忘れていた、そもそも、稲葉篤紀監督こそ、ヤクルト出身ではないか!

村上、山田の強い言葉。稲葉監督は「オリンピックの借りはオリンピックで返す」と

先日、村上にインタビューをした。その詳細は来週27日発売の『週刊SPA!』に掲載されるが、当然話題は東京五輪への意気込みが中心となった。村上の言葉は力強かった。プレッシャーや不安を感じつつも、「必ず金メダルを獲る」と断言した。また、20日付のサンケイスポーツで、山田哲人は「怖さ、不安の方が強い」と言いつつも、「絶対負けない」と言い切った。両雄の力強い言葉に期待したい。

01年、ヤクルトが日本一になったとき稲葉篤紀は驚異の3番打者として大活躍した。あれから20年のときが流れて、稲葉は「監督」となった。しかも、侍ジャパンの監督だ。17年の監督就任から、この大会に向けて着々と準備を整えてきた。僕はふと、4年前のあの日のことを思い出す。

その日、僕の目の前には日本代表監督を退任したばかりの小久保裕紀氏がいた。13年10月に常設化された侍ジャパン監督として1278日間にわたって日本代表チームを率いた心境を、この頃定期的にインタビューしていたのだ。取材途中、小久保氏の携帯が鳴った。いつもなら「このまま取材を続けましょう」と電話に出ないのだが、この日は違った。ふと、手元の携帯に目をやると、小久保さんは「あっ……」と小さくつぶやき、僕に向かって「ちょっといいですか?」と言うと、通話を始めたのだった。

「うん、そうか、決めたか。大丈夫。お前の好きなようにやればいいから。何か困ったことがあったら、いつでも連絡してくれ。何でも力になるから……」

そんなやり取りがしばらくの間続いた。その会話の内容から、次期監督候補とウワサされていた稲葉氏からの電話だとすぐにわかった。具体的な個人名や事例を挙げつつ、両氏のやり取りは続き、やがて「じゃあ、また電話するから」と小久保氏は電話を切った。

「稲葉からでした……」

そこからしばらくの間、稲葉新監督についての話題となり、小久保氏は「稲葉なら大丈夫」「稲葉はやりますよ」と何度も口にした。実際に19年のプレミア12では日本に10年ぶりの「世界一」の称号をもたらした。野村ID野球を学び、生前の野村克也氏も「稲葉は監督向きだ」と口にしていたこともある。最近の『週刊ベースボール』誌上において、稲葉監督は「オリンピックの借りは、オリンピックで返す」と発言。メダルを獲得できなかった北京五輪の雪辱を期している。

山田と村上が豪快な一打をかっ飛ばし、マクガフが(日本戦以外で!)快刀乱麻のピッチングを披露し、そして8月7日の決勝戦では稲葉監督が歓喜の胴上げを全世界に見せつける。これこそ、「ヤクルトファン的理想の東京五輪」ではないか。

グループステージ、ノックアウトステージと続く、実にわかりにくい大会レギュレーションではあるが、最短で5試合、最長で8試合5勝3敗で金メダルに手が届く。7月28日の大会初戦。山田はどこを守り、村上は何番を打ち、稲葉監督はどんな采配を見せるのか? 楽しみと期待と不安の入り混じった11日間が、いよいよ始まる――。

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(長谷川 晶一)

長谷川 晶一

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