技術的に不可能?飛鳥時代の法隆寺再建期間「少なくとも数十年」に潜んだ齟齬

技術的に不可能?飛鳥時代の法隆寺再建期間「少なくとも数十年」に潜んだ齟齬

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  • 更新日:2022/08/06
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【前回の記事を読む】数十年も放置していた!? 衝撃事実が相次いだ法隆寺の解体作業

昭和大修理の科学的知見

五重塔側柱の風蝕

また、工事の再開に当たって心柱の根元の腐朽に気付き、出来上がっていた初層の仏壇や龕(ずし)を撤去し、心柱の補修を行ったうえで仏壇や龕を造り直し、ようやく壁や天井などの造作工事が始まったと推理しています。

浅野氏の観察は、『法隆寺国宝保存工事報告書 第十三冊』に示された心柱の腐朽発見と補強状況、並びに須彌檀の改変とも整合するものであり、法隆寺五重塔は建物の骨格が出来上がってから壁や天井などの造作工事が開始されるまでに少なく(・・・)とも(・・)数十年(・・・)の工事中断期間があったことは間違いないようです。

ところで、もし天智天皇九年(六七〇)四月三十日夜半に法隆寺が全焼したという天智紀の記述が正しいとすれば、『伽藍縁起』が伝える和銅四年(七一一)の五重塔や中門の完成まで四十一年ということになります。しかし、その再建には多くの困難が伴ううえに、再建期間中に少なく(・・・)とも(・・)数十年(・・・)に及ぶ中断があったとすれば、大火災から四十一年という期間で再建工事を完成させることは可能なのでしょうか。

たとえば、建物が一つ残らず焼失した後、寺を再建しようとすれば、まず再建のための財源を確保する必要があります。しかし、皇極二年(六四三)十一月に山背大兄王一族の自経によって上宮王家が滅びた後、法隆寺を再建するために必要な財源を提供してくれる有力なスポンサーは不在です。

また、大化年間から法隆寺は食封(じきふ)三百戸を賜っていましたが、その食封は三十年余り後の天武天皇八年(六七九)に停止されています。このため、三百戸の食封は天智天皇九年(六七〇)四月三十日に焼失した法隆寺の再建にはほとんど寄与していません。

一方、法隆寺の大火災は突然発生したわけですから、あらかじめ火災による焼失を見込んで、木材を用意しておくなどの準備が行われていたはずもありません。

また、すべてが焼失しましたので、再建のためにはゼロの状態から、計画を立て、再建場所を選定し、人手を集め、敷地を造成し、建物の設計を進めるとともに木材を調達し、木材の加工や現地での建て込みという一連の作業を手際よく行う必要があります。もちろん今日のような機械力はありませんので、これらすべてを人力で行うのです。

繰り返しますが、仮に作業が円滑に進んだとしても再建工事には相当な期間を要します。それにもかかわらず、五重塔の心柱の腐朽や側柱の風蝕の分析によって明らかになったとおり、再建の期間中に少なく(・・・)とも(・・)数十年(・・・)の工事の中断期間を確保しなければならないのです。

これだけ多くの工程を天智天皇九年(六七〇)四月の大火災から和銅四年(七一一)のわずか四十一年に収めることは可能なのでしょうか。

●論理的帰結

実は、浅野氏が右の五重塔の心柱や側柱の風蝕に関する見解を発表した後、「(放置されていた年数は)少なく(・・・)とも(・・)数十年(・・・)」とした部分について、『法隆寺西院伽藍』(岩波書店)の中で「かなりの程度(少なくとも十数年を超えると判断された)の風蝕が認められた」という新しい表現を追加しています(浅野氏が最初の表現を撤回したと確認できないので、あくまでも新しい表現の「追加」と理解)。

浅野氏が当初の表現に対して新しい表現を追加した詳しい事情は分かりませんが、その背景は次のようなものだったのではないかと推察します。天智紀の法隆寺大火災の記事が正しいと仮定した場合、法隆寺再建のための期間は最長でも四十一年しかありません。

この四十一年という期間の中に工事の中断期間として「(放置されていた年数は)少なく(・・・)とも(・・)数十年(・・・) 」を確保しなければならないのですが、仮に工事の中断期間を二十五年とした場合、残る期間は十六年しかありません。

一方、法隆寺の再建は、前述のとおり敷地選定から始めなくてはならず、敷地が決定すれば、次にその造成工事が必要になります。今日の法隆寺の敷地は北西方向から延びる小高い尾根裾(すそ)を削り取り、削り取った土砂で脇の谷を埋めて造成されています。

谷を埋めて盛土した場合、埋めた地盤を十分に固めてから基礎工事に取り掛かるという段取りになります。これら敷地選定から土地の造成と基礎工事、さらに金堂・五重塔・中門・回廊の建築と塑像の製作までを十六年で仕上げなくてはならないのですが、果たして当時の技術で可能でしょうか。

つまり、浅野氏が指摘した工事の中断期間をどれだけと見るかによって、物理的に天智紀の法隆寺大火災記事の真偽が決定されてしまうという不安定な立場に陥るのです。仮に工事中断期間を二十五年より短くして二十年とした場合、残された期間は二十一年となりますが、これでも和銅四年(七一一)までに新しい敷地で法隆寺を再建することは厳しいと想像されます。

中村 真弓

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