食の王国・北海道十勝、広尾町に意識の高い若者が集まる理由は何か

食の王国・北海道十勝、広尾町に意識の高い若者が集まる理由は何か

  • JBpress
  • 更新日:2023/09/19

生産者と消費者を結ぶ「食の熱中小学校」(1)

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猟師の中村麻矢さん。手に持っているのは害獣駆除に使うワナ(撮影は地域おこし協力隊の神部葵さん)

8月10日午前7時、朝シャワーを浴びたばかりだった中村麻矢さんの携帯が鳴った。

「まやちゃんかい。ヒグマが獲れたよ。解体をお願いしてもいいかなぁ」

猟師仲間からの連絡だった。

「分かりました。すぐ行きます。場所はえぇっと・・・」

北海道での狩猟について知りたいという東京からのお客さんの世話もあって、大変忙しくしていた中村さんだったが、二つ返事で引き受けた。

すぐにクルマを回し、手際よくヒグマの皮を剥ぐ。皮はレザーにお肉は料理に。獲れた命をできるだけムダにしたくない。

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今日は日曜日だったのか・・・

解体が一通り終わるともう昼近くになっていた。9月に入ったとはいえ昼間は30度前後まで気温が上がるなかで体は汗びっしょり。

朝シャワーは何のためだったんだろうと思いながら、中村さんは急いでゲストたちが待つ広尾町の菊地ファームに向かった。

広尾町は北海道の十勝地方南部にあり、南には日高山脈が走り、東は太平洋に面した人口6000人強の農業や酪農、漁業、林業が主な産業の町だ。

十勝を代表する都市、帯広からクルマで1時間強。路線バスだと約3時間かかる。

中村麻矢さんが向かった菊地ファームは、オーナーの菊地亜希さんが広尾町の良さを情報発信している「ピロロ推進協議会(ピロロ)」の代表で、中村さんのお姉さん的存在だ。

ピロロ推進協議会は、広尾町と熱中小学校*1が共催している地域活性化を目指す取り組み。ちなみにピロロとは、広尾町の名前の由来とも言われているアイヌ語のピロロ(陰のところ)という意味だという。

*1=熱中小学校は、廃校となった校舎などを利用して都会から講師招聘したその道のプロによる講義や交流会を通じて、大人が今一度小学生の視点で学び直し、地域活性化につなげようというプロジェクト。これまでJBpressでも何度か取り上げてきた。

菊地ファームで会った中村さんに「休みの日なのに朝から大変な仕事でしたね」と言うと、中村さんは首をやや傾げて「何を聞くんだこいつは」という表情。

「あぁぁ、そうだったんだ。今日は日曜日だったんですね。完全に忘れてました」

懸念が解けたのか、晴れやかな笑顔を返してきた。

「1年365日、働いていますけど、そんなことどうでもいい。仕事、いや、ここで生活していることすべてが楽しいんです」と、その笑顔には書いてあった。

人生が最も輝いている時期はわき目もふらずまっしぐら、忙しくて辛いなどと考えている暇もない。何かをなす人には必ず訪れる大切な時が今なのかもしれない。

中村さんは広尾町に30人前後いる猟師の中で最年少、唯一の女性猟師だ。

猟師になる前は、東京で「ヒトサラ」というグルメサイトの編集部で日本全国の食材や食にまつわる記事を企画・編集していた。

それがきっかけで猟師という職業に興味を持ち、27歳の時狩猟免許を取得した。

鹿女まやもんの愛称で親しまれる

狩猟免許を取得した中村さんは、猟が解禁される秋から冬になるとよく北海道に遠征していた。

北海道での狩猟はダイナミックだ。それに惚れ込んだ中村さんは、狩猟期以外の「有害駆除」にも参加したいと思うようになっていった。

そして思い切って、広尾町への移住を決めた。

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鹿の肉を骨から剥がす中村麻矢さん(食の熱中小学校実習、筆者撮影)

中村麻矢さんの猟師としての特徴は、単に狩りをするだけでなく、獲物をさばいて精肉とし、その肉を自分なりのアイデアで美味しい料理に変えてしまうこと。

また、角や皮も革製品などに加工してムダのない狩猟を心がけているという。

駆除したら終わりという考え方が多いなかで、そこまで一貫して行う猟師は珍しい。そのため地元の猟師からも親しまれ頼りにされている。

彼らからは「鹿女まやもん」の愛称で呼ばれている。

「おいしくジビエをいただくために、どのようにさばき、料理するかを考えるのは本当に楽しいですね。猟師の一番の楽しみだと思っています」

その姿勢が謙虚でまた可愛らしく地元の猟師には映るのだろう。中村さんが都会から来た「よそ者」扱いされずに地元に溶け込んでいる大きな理由と言えそうだ。

実は、中村さんの姉貴的存在である菊地ファームの菊地さんも、いわゆる「よそ者」である。

千葉県出身の菊地さんは千葉県の有名進学校から帯広畜産大学に進み、酪農を学んだ。その時、やはり千葉県出身の2年先輩だった現在の旦那さんと、アメリカンフットボール部を通じて知り合った。

「初めは獣医になりたくて大学を選んだんですけど、そのうち酪農の魅力に惹かれるようになりました」と菊地さんは言う。

新規酪農家の条件は夫婦であること

卒業後は北海道で酪農家を営むことを2人で決め、先に卒業した旦那さんが広尾町の応募をみつけて、酪農で起業するための準備を進めた。

酪農で起業するといっても行政に対するだけでも手続きは山のようにあり、準備には1年以上かかりましたと旦那さんは言う。

また、1頭の牛を飼えば酪農家が始められるというようなものではなく、最低でも45頭以上飼わなければ、牧草地の刈り取りや搾乳機などの設備投資に見合う収入が得られない。

そのため、牧草地の購入などを含めて初期投資で軽く1億円を超えてしまう。

設備や土地を担保に公庫や金融機関から借り入れすることは可能だったが、そのためには夫婦で起業する必要があった。

地元に定着して長く生活することを「夫婦という形」で宣言しろというわけである。

こうして菊地ファームは45頭の牛と夫婦2人で2009年にスタートした。菊地夫妻にとって念願だった北海道で牧場を手にすることができた。

ところが、いざ始めてみると、新規酪農家の熱意は冷や水を浴びせられることも少なくなかった。

例えば、搾った牛乳の販売。

十勝では農協が地域ごとに酪農家の搾乳を集めて特定の乳業メーカーに卸している。酪農家にすれば販路を開拓する手間が省け、売れないリスクもないので有難い話である。

しかし、引き取りの乳価は市況次第。市況が悪くなれば経営は一気に悪化する。

大規模化でコストを削減する余力があるメガファームなら乗り切れる程度でも、新規酪農家にとっては死活問題となる場合がある。

北海道で酪農家を始めたとはいえ、明るい道ばかりではないのだ。

牛乳の高付加価値化やブランド化を目指そうにも、1リットル当たり決まった価格で引き取られるので、簡単ではない。

そうした中で菊地さんは、酪農家を目指した時の初心を思い出した。

「そうだ、私は酪農を多くの人に知ってもらい、触れてもらい、身近に感じてもらいたかったんだ」

酪農の6次産業化を目指す瞬間だった。

酪農の6次産業化こそ生きる道

生産した牛乳の一部を自ら加工して販売できれば、頭の中にあるアイデアをいくつも具体化できる。もちろん失敗はつきものだが、失敗を糧としてさらなる挑戦につなげるのが改革者というものだ。

2018年に牛乳の加工設備と作った製品を販売するカフェを立ち上げた。カフェでは自分自身で飲みたいと思う牛乳を販売し、アイスクリームやジェラート、肉料理も提供している。

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菊地亜希さんと菊地ファームのアイスクリーム(亀井秀樹・食の熱中小学校事務局長撮影)

「始めて5年、まだ手探りの状態ですが、私たちの未来はこちら(6次産業化)の方にあると確信しました。いずれは大都市へも出店したい」

菊地さんはこう話す。では、6次産業化をどう成功に導くか。

そのカギを握るのは情報とネットワークである。お客のニーズを的確に汲み取り、製品開発につなげる必要があるからだ。

2021年、菊地さんは広尾町で活躍する人たちの情報を発信するピロロを設立した。酪農だけでなく、農業や漁業、林業、そしてサーフィンなどのスポーツまで取り上げる。

冒頭に紹介した「鹿女まやもん」こと中村麻矢さんも大事なメンバーの一人である。

ピロロのメンバーは定期的に集まり、意見交換したり食事会を開いたり、様々なイベントを企画したりして、今や広尾町に移住した人たちにとって欠かせない存在となっている。

広尾町も物心両面で支援している。広尾町水産商工観光課の山田雅樹課長補佐は言う。

「彼らが積極的に活動してくれるから広尾町に移住したいという人が増え、企画するイベントも盛り上がっています。熱心な活動に頭が上がりません」

9月8日から、食の熱中小学校(詳細は後述)とピロロが共同企画したイベントが開催された

首都圏から十勝や広尾町が生産する「食」に関心のある人が集まり、昆布漁の見学や中村麻矢さんによる鹿の解体実演と実習、林業体験、酪農体験などを通じて、生産者と消費者の距離を縮めようという企画だ。

少数の密度あるイベントにしようということで、参加者の定員は6人ほど。小規模なイベントにもかかわらず、9月8日夜のネットワーキングには、村瀬優・広尾町長も駆けつけた。

「広尾町には豊かな自然があり、大地や海の恵みも盛りだくさん。でも酪農や漁業の担い手が年々高齢化して、後継ぎがなくやめていく生産者も多い」

「そんな中で、外から来てくれた人たちがアイデアを凝らして町を活性化させようと努力してくれている。町としても全面的にバックアップしていくつもりです」

ピロロで活動する人たちは移住者ばかりではない。

地元の漁師にも革命家がいた

地元で何代にもわたって猟師を続けてきた家の若い担い手もいるし、林業の作業を機械化して効率を高め、衰退を止めるだけでなく新しい付加価値をもたらそうと意気込む地元の若者も参加している。

都会からの移住者と、地元の意識の高い若者の集まり。それがピロロの魅力であり活動の原動力となっている。

移住者がよそ者扱いされてしまえば、地元の人との小さなトラブルがいつしか取り返しのつかない溝に発展してしまう危険性がある。

そうした実例は今や日本中に見られる。

地元と移住して来る人との密接なコミュニケーションは何を置いても最も大切だ。ピロロは広尾町でその役割を担っている。

ピロロで地元代表とも言える存在が地元で漁師を3代続けて営んできた保志弘一さんだ。1985年生まれの38歳。

高校を卒業すると、すぐに父親の漁を手伝った。

「苦労してきた父親の背中をずっと見てきたので、18歳で高校を卒業したら手伝おうと決めていました。ほかの進路なんか考えたこともなかった」

「とにかく一生懸命働いて、少しでも親父を楽にしてやろうと思いました。遊びたい盛りとか言われましたが、僕には遊ぶより稼ぎたいという気持ちしかなかった」

酒は体質的に受け付けないそうだが、大人びたくて興味半分に手を出す人も多いタバコも一切やらなかったという。また、どこまで本当かは分からないが、女っけもなかったそうである。

漁師の醍醐味には、稼げるときには一気に稼いで、大きなお金を手にしたら遊びまくるというのもあるだろう。人生は一回切りだし、それはそれで楽しい人生だ。

しかし、保志さんは稼いだお金をどう生かすかに頭をフル回転させた。今使って消費してしまうより、何にどう投資して何を生み出すか。

従来の漁師というイメージとはかなりかけ離れた考え方を持つ。

実際、雄弁な語り口から、きめ細かいお金の投資方法とそれによるリターン、投資効率などの語彙がポンポン飛び出す。

漁師の話というよりは、経営学者か経営コンサルタントの話を聞いているようだ。栴檀は双葉より芳し。漁師の家に生まれた根っからの経営者なのかもしれない。

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星屑昆布で漁師の生産性を格段に高めた保志弘一さん(筆者撮影、保志さんの昆布浜で)

その保志さんが今最も力を入れている製品がある。昆布を約1.5ミリ角に砕いた「星屑昆布」である。

ご飯やスパゲッティの上にかけて旨味を引き立てるふりかけとして、または短時間に出汁をとる「出汁の素」として、調理時間を節約したい主婦の間で静かな人気が出始めた製品だ。

星屑昆布が誕生するにはやや長いストーリーがある。

広尾町で昆布漁ができるのは3か月間。主に船で沖合に出て漁をするが、天候などによって実際に漁ができるのはわずか10日あまりしかないという。

船による漁ができない日には、浜辺に打ち上げられた昆布を回収するか、ロープのついた鉤を思いっきり遠くへ投げて海底に沈め、潮の流れを感じながらゆっくりと引っ張って、波で抜けて海中を漂っている昆布を引き寄せ浜に上げる。

浜に上げた昆布は一度に持ち運べるだけの量をまとめて縄で括る。

そうして、日高山脈の豊かな水源から流れ落ちる清流で汚れを洗い流し、トラックに積み込んで、「昆布浜」と呼ばれる場所に運ぶ。

昆布浜は川砂利と海砂利を適度に混ぜて敷き詰めた人工の浜で、ここに昆布を広げて天日で乾かす。色と艶を見て昆布を選別してまとめ、必要な大きさに切って出荷する。

これが昆布漁の概要だが、大変な重労働である。しかし、その割に見返りは少ないと保志さんは言う。

「作業時間当たりの収益を計算すると、どんなに一生懸命働いてもコンビニエンスストアのアルバイト店員なみの給料が精一杯」

「これでは漁師をやろうというモチベーションが上がりませんよね」

「雨の日なんかは、浜に大量の昆布が打ち上げられてくるので、漁をすれば比較的楽に収穫量を確保できるんです」

「でも、雨の日は昆布浜で天日干しができないので、回収した昆布の束に浮きをつけて港の中に浮かし、後日、晴天時に一気に天日干しをしなければならない」

「そこまで手間をかけても時給1000円もいかないなら、雨なんだから面倒くさい、やめとこう思うのは仕方ないんじゃないかなぁ」

目の前にある昆布を取らなくていいのか!

しかし、資源が枯渇しているならともかく、目の前に大量の昆布があるのに漁をしないというのは何とももったいない。何とかならないものか。

漁師の収入は働く時間に比例する。雨の日に休めばその分の収入はなし。そこで保志さんが考えたのが、灯油を使った乾燥施設の導入だった。

設備投資にいくら、運転費用にいくら、補助金がいくら、減価償却がいくら・・・と綿密に計算し、保志家の長である父親に提案した。

「お前がそこまで言うなら」と了解を取り付けたら、自分たちが所有する昆布浜の隣にすぐに建設にかかった。

結果は大幅な収量アップにつながったのだが、それでも限界はある。どんなに働いても1年365日を超えては働けない。

商品の付加価値を上げるか、商品にならない昆布のロスを減らすか――。

乾燥施設のおかげで今まで以上の昆布が扱えるようになり、実はその分だけ商品にならない昆布も増えた。乾燥や切断の過程で割れてしまう屑昆布だ。

普通の人なら「これくらいのロスは仕方ない」と思うに違いない。しかし、保志さんの目には磨く前のダイヤモンド鉱石に見えたようだ。

北海道は言わずと知れた昆布の名産地である。最高級のブランド品からコストパフォーマンスの高い昆布など、昆布のデパートと言っていい。

その中で、それほど名前を知られていない広尾町の昆布をどうしたら日本中の、さらには世界の消費者に知ってもらえるか。

廃棄処分前の屑昆布を前に、保志さんは来る日も来る日も頭を巡らした。そうした中で思いついたのが、「星屑昆布」だった。

昆布は主に出汁として使う。それならば、屑昆布をもっと小さく破砕して旨味成分を引き出しやすくすれば便利じゃないか――。

こう考えた保志さんは、屑昆布と格闘し始めた。

どのくらいの大きさに破砕したら最も使いやすくなり、えぐみを抑えられるか。成分分析機と格闘しながら、たどり着いた結論が、約1.5ミリ角に破砕することだった。

こうして「星屑昆布」は産声を上げた。保志さんは言う。

「十勝では昆布を13等級に分けていますが、1グラム当たりの単価で言えば、3等級の昆布に比べて星屑昆布は6~7倍の単価になります」

まだ販売は始まったばかりだが、星屑昆布は昆布漁師の経営を大きく改善する可能性を秘めている。それだけではない。

「今までは捨てていた屑昆布に光を当てたことで、地域の昆布漁師の仲間たちに大きな貢献ができる可能性がある。それが何より嬉しい」

第1次産業の生産性とブランド力を格段に向上させた典型例と言えるだろう。

星屑昆布の開発もあって、保志さんは2023年3月、「漁師の甲子園」とされる「全国青年・女性漁業者交流大会」で、最高位の農林水産大臣賞を受賞している。

英国のフィナンシャル・タイムズ(FT)紙は「カナダの謎、一体なぜ巨大な経済大国ではないのか?」という記事を最近配信した。

地下資源も農林水産業の資源も世界屈指にもかかわらず、また以前から経済大国になると期待されていたにもかかわらず、カナダがなかなか豊かになれないのはなぜだろうか、という記事である。

実は、この問いの答えを星屑昆布が示している。

都会からDX(デジタルトランスフォーメーション)など新しい息吹を持った人が集まり、地元の意識の高い人たちと交わることで、第1次産業に新たな成長の芽を作り出す。

それができなければ、世界屈指の資源を持つカナダであろうと、先進国の仲間から置いてきぼりを食らう危険性もあるのだ。

ピロロとは、そういう人たち、最近の欧米の流行言葉で言えば「ウォーク(Woke)=意識の高い人たち」の集まりだ。

ウォークという言葉は日本ではまだほとんど馴染みがないかもしれない。そのため、米国などで意識の低い一部の過激派が、意識の高い層を攻撃する際の「標語」として日本に伝わり、マイナスな印象を受ける人もいるようだ。

しかし、それこそ過激派の思う壺でもある。

日本のウォークたちは、食の王国・十勝で革新を起こし、農林水産業の生産性を格段に向上させようとしている。

食の熱中小学校とは

2023年9月に開校した、地方の生産者と大都市の消費者をつなぎ、新しい時代の農林水産業の形を模索・研究していくための学び舎。第1次産業の画期的生産性向上を導き、日本の食文化をさらに高度化させようという取り組み。

2023年9月8~10日、第1回の現地実習が北海道・広尾町で開催された。

以下は広尾町で開催された現地実習会に参加した人たち。

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撮影は地域おこし協力隊の神部葵さん

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イベント参加者は保志さんの昆布浜で約1時間のヨガも体験。講師は角畠あさみさん(筆者撮影)

川嶋 諭

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