「宰相」菅義偉を戦後日本政治史上の類型で位置づけしてみる

「宰相」菅義偉を戦後日本政治史上の類型で位置づけしてみる

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/09/17
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「継承」だけで済むのだろうか

安倍晋三(前内閣総理大臣)の後継の座を占めたのは、菅義偉(前内閣官房長官)であった。安倍の執政が憲政史上最長の七年八ヵ月に及ぶものであったが故に、その後を承ける菅の立場は率直にいって難しいものになるかもしれない。

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photo by Gettyimages

菅は、自民党総裁選挙最中から、「安倍政治の継承」を一貫して唱えてきたわけであるけれども、実際の菅の政策展開は、単なる「継承」に止まるわけにはいかないであろう。

安倍執政下に片付かなかった諸々の政策課題の処理だけではなく、「安倍後」に浮上する政策課題への対応もまた、菅の手腕に委ねられることになる。しかも、菅は、その執政に際しては暫くの間、万事、安倍と比較されることになるのであろう。

菅は、どのような宰相になるのか。筆者は、菅の執政が始まるに臨んで、このことを展望する私見を披露することにしたい。

内閣官房長官職の意義

菅義偉という政治家を語る際に、判で押したように指摘されるのは、彼における「非世襲、無派閥」という側面である。

ただし、菅を宰相の座に押し上げた最たる要因は、安倍晋三の長期執政を内閣官房長官として一貫して支えたという事実に他ならない。宰相としての菅の執政を展望する際には、何よりも内閣官房長官職を経たという事実にこそ着目する意味があるのであろう。

第2次世界大戦後の歴代内閣総理大臣の中で、内閣官房長官という職務を政治上の「跳躍台」にした人物の事例は多い。

すなわち、佐藤栄作(第二次吉田茂内閣)、大平正芳(第一次池田勇人、第二次池田、第二次池田第一次改造各内閣)、鈴木善幸(第三次池田改造内閣)、竹下登(第三次佐藤改造、第二次田中角栄第二次改造各内閣)、宮澤喜一(鈴木善幸、鈴木改造各内閣)、小渕恵三(竹下登内閣)、福田康夫(第二次森喜朗改造、第一次小泉純一郎、第二次小泉各内閣)、安倍晋三(第三次小泉改造内閣)、菅義偉(第二次安倍晋三、第三次安倍、第四次安倍各内閣)である。

なお、羽田孜は、自らの内閣を発足させた際の一刻、内閣官房長官職を兼任したものの、その実態は皆無であった。

これに加え、宰相の座に就かなかった自民党総裁としての河野洋平も、内閣官房長官職(宮澤喜一内閣)を経ている。

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大平正芳 photo by Gettyimages

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宮澤喜一 photo by Gettyimages

そもそも、2度の下野期を除く自民党の政権運営の下では、内閣官房長官職に就く政治家に期待されたのは、概ね2つの「役割」であった。

1つは、「内閣の大番頭」としての役割である。政党を主体とした内閣制度の下では、行政官僚を差配するには相応の見識を持つ政治家が期待されるものであるけれども、その「見識」を期待されて任に就いたのが、その「番頭」としての役割を担った政治家である。

議席を持たないままに吉田茂に起用された佐藤栄作、岸信介と佐藤栄作の2人の宰相に仕えた愛知揆一、中曽根康弘内閣で「剃刀」と渾名された後藤田正晴、そして菅義偉は、その事例であろう。

2つは、「派閥の理念や大義」を継承する役割である。永き自民党の政権運営の中で、宰相の座に就くのがおおよそ派閥の領袖であった事実を踏まえ、そうした領袖は、自ら派閥の後継者と目した政治家を内閣官房長官職に起用した。この役割が鮮明に表れたのが、竹下登、宮澤喜一、小渕恵三、安倍晋三であったといえよう。

「自民党を壊す」と呼号した小泉純一郎が、自らの内閣官房長官に福田康夫と安倍晋三を起用したという事実は、この職位の「二面性」を表すとともに、小泉がその世に与えた印象とは裏腹に「派閥の論理」に忠実な自民党政治家であった事情を示唆する。

その後、「政治主導」を担保する仕組が整う中で、内閣官房長官職の持つ比重も顕著に高まった。安倍晋三が宰相就任以前に就いていた閣僚職が内閣官房長官を唯一としていたという事実は、この職位が現今に持つ意味を物語っている。

2つの範疇

内閣官房長官職を経た歴代宰相は、2つの「政治上の範疇」に分けられると考えられる。

第1は、「理念・構想型」と呼ぶべき範疇である。それは、政治家としての価値意識、理念、イデオロギー、構想が比較的に明確に現れるタイプである。

この「理念・構想型」宰相の事例として、大平正芳、宮澤喜一、安倍晋三が挙げられよう。

大平は、現在では「環太平洋連帯構想」や「田園都市構想」に名を残している。

宮澤は、政権掌握以前には永らく「ニュー・ライトの旗頭」として語られていた。

そして、安倍における理念先行の性向は、あえて指摘するまでもない。

第2は、「調整型」とも呼ばれる範疇である。それは、自ら明確な政治上の理念や構想を出さずに、省庁間の調整といった官房長官本来の職務を跳躍台にして名を挙げたタイプである。

それゆえ、菅義偉は、「調整型」の内閣官房長官歴任宰相として佐藤栄作、鈴木善幸、竹下登、小渕惠三、福田康夫の系譜に位置する政治家である。

菅は、前任宰相の「不測の事態」を受けて宰相の座に就いたという点で、鈴木善幸や福田康夫との共通項を観ることができる。

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鈴木善幸 photo by Gettyimages

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竹下登 photo by Gettyimages

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福田康夫 photo by Gettyimages

ただし、鈴木も福田も、宰相としては目立った対外政策上の業績を残したとは断じ難い。故に、彼らは、菅が今後の政権運営の参考とすべき事例ではないであろう。菅が参考とすべきは、多分に佐藤、竹下、小渕なのであろうと思われる。

菅は、政治キャリアの出発点を小渕派議員として始めているので、この系譜から彼が執政に際しての教訓を引き出そうとするのは、何ら不思議なことでもない。

特に、菅が参考とするに相応しいのは、佐藤と小渕の執政であろうと思われる。安倍晋三以前、憲政史上最長の執政期間を誇ったのは佐藤栄作であったけれども、菅の執政の始動に際しては、小渕恵三の執政を振り返る意義は確かにある。

小渕は、政権発足当初こそは「冷めたピザ」と酷評され、期待値が誠に低い宰相であったけれども、次第に手堅い政策実績を積み重ね、政権終盤には北野武(映画監督)が「青山の牛丼屋」と呼ぶまでに評価を上げた。

小渕は、突然の昏倒による退陣さえなければ、現在に語られる以上の業績を上げていたはずである。それは、「調整型」の宰相の成功事例として、小渕に着目すべき所以である。

小渕恵三に倣うべきこと

故に、「令和おじさん」と称される菅は、仮に「平成おじさん」と称された小渕から学ぶべきものを学べば、宰相の座に就いても、安倍ほどでなくとも比較的に長期の執政を期待できるかもしれない。

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小渕恵三 photo by Gettyimages

その条件の1つは、小渕にとっての川勝平太(経済学者)や秋野豊(国際政治学者)に類する人物を、迎え入れることができるかということである。

「調整型」として語られる政治家であればあるほど、自らの政策展開にヴィジョンや理念の上での裏付けを与える「知性」の協力が必要になってくる。そうしたヴィジョンや理念は、政治上の権限に拠って行政官僚層に命じれば即、捻出されるという類のものではないのである。

1998年8月、小渕が宰相就任直後に披露した所信表明演説の結びには、次のような文言がある。

「21世紀を目前に控え、私は、この国のあるべき姿として、経済的な繁栄にとどまらず国際社会の中で信頼されるような国、いわば『富国有徳』を目指すべきと考えます」。

この文言中にある「富国有徳」の概念が、川勝平太の持論から引かれたのは、周知の事実であったかもしれない。これに加えて、小渕は、川勝の「海洋文明」論に依拠する体裁で、外務大臣在任以降に「太平洋フロンティア外交」構想を展開した。

その具体的な事例が、2000年G8(主要8ヵ国首脳会議)の沖縄開催であり、PALM(太平洋・島サミット)の定期開催の決定であった。

また、小渕は、川勝と同様に稲門の同窓生であった秋野豊の知見を借りる体裁で、中央アジア諸国を念頭に置いた「シルクロード外交」構想を展開した。

こうした一連の構想は、小渕の突然の退陣に拠って未完のものに終わった。因みに、佐々木毅(政治学者)が読売論壇賞を受けた際の贈賞式の場には、小渕が自ら顔を出して祝福の言葉を述べていた。

筆者が記憶する限り、こうした小渕の振る舞いは、前にも後にも類例がない。これは、後でも触れる高坂正堯(国際政治学者)の佐藤栄作評と同様に、小渕が「学者・知識人を尊敬してくれていた」ことを如実に示す挿話である。

佐藤栄作の「知」の掬い上げ

因みに、佐藤栄作は、楠田實(当時、首相秘書官)の差配に拠って、高坂の他にも、永井陽之助(国際政治学者)、神谷不二(国際政治学者)、山崎正和(劇作家)といった当時第一線の「知性」を周りに迎えたことで知られる。沖縄返還交渉に際して、若泉敬(国際政治学者)を「密使」として任用したことは、後年に知られる事実となった。

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佐藤栄作 photo by Gettyimages

また、佐藤と交わった「才能」の中には、当時、サイケデリックな画風で一世を風靡した交楽龍弾(画家)がいた。

佐藤の周辺に集った「知性」の1人であった高坂は、佐藤に関して次のように書いている。「佐藤も、…学者・知識人を尊敬してくれていた―たとえ、そのことが学者・知識人に判ったのが後日のことであったとしてでもある。そして、そのことを私は感謝する。佐藤内閣は学者・知識人の言動を政治的説得の手段として利用するのではなく、好きなことをさせ、立派な出番を与え、政策に言葉と形を与えることで満足したように思われる」。これは、佐藤の長期執政に現われた「政治家と学者・知識人の『幸福な関係』」の風景である。

菅は、佐藤や小渕に倣って、各界の「知性」や「才能」との交流を通じた「『多様な知見』の掬い上げ」を意識的に行うのであろうか。そもそも、菅は、内閣官房長官としての永き在任期間中に、そのような「掬い上げ」の試みに手を付けたであろうか。

少なくとも、菅には、宰相の座に就いた以上、そのような「掬い上げ」の試みを今後は意識的に披露する必要があろう。しかも、その「掬い上げ」は、審議会や諮問会議のような何らかの行政権限に基づいた「フォーマルな場」で行うのは不適切なものである。

菅が佐藤や小渕に倣うべきは、それを「インフォーマルな場」で普段から行っていたという「統治の手法」にある。

問われるのは日本民主主義の成熟度

安倍晋三が日本近代史上、際立った対外「影響力」を保持できた所以の1つは、憲政史上最長の執政を維持できたことにある。

とはいえ、この7年8ヵ月の執政ですらも、米国で制度上、認められている大統領職の2期8年の任期に比べれば、明らかに短い。一九九〇年以降でも、ウイリアム・J・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、そしてバラク・H・オバマの大統領3代は、その2期8年の大統領任期を全うしているのである。

故に、少なくとも、安倍の長期執政を「日本憲政史上の例外事例」として位置付けるような議論が幅を利かせることは、日本の対外「影響力」に禍根を残す。そうした議論は、日本が「相応の対外影響力を発揮できるのも例外である」という状態を是認するようなものであるからである。

菅の執政もまた、予め暫定的な性格のものとして語るのではなく、長期のものとして可能にならしめる条件を考えることが重要になるのであろう。

安倍は、その執政に際して、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の民主党内閣3代を「悪夢の歳月」と表現してきた。

しかし、その「悪夢の歳月」を招いたのは、小泉純一郎退陣以降、安倍自身を含めて福田康夫、麻生太郎の短命内閣を次々に登場させた自民党の対応にこそ、その際たる理由があるということは指摘されなければならない。

故に、安倍晋三内閣の「隠れた教訓」の1つは、内閣を常に取り換え引き換えしてきた日本の政治風土の害悪が曝露されたことであろう。

菅内閣登場以降、そのような害悪が日本政治に再び出現する事態は、避けられるべきものである。

無論、これに際しては、政治に対して独特の「飽きっぽさ」の感情を持つ国民一般の意識も、問われなければならないであろう。政権を兎角、批判することだけが習い性になっているかのようなメディアの姿勢、そしてその姿勢が反映された「政治評論」もまた、然りである。

菅内閣が長期の執政を実現できるか、あるいは短命に終わるかは、日本の民主主義体制の「成熟性」を占う上で、重要な論点であるかもしれない。

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