ホークス一筋・藤原満さん聞き書き「ぶれない」9本職コンバートで打撃向上

ホークス一筋・藤原満さん聞き書き「ぶれない」9本職コンバートで打撃向上

  • 西日本スポーツ
  • 更新日:2022/01/15
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ソフトバンクの前身である南海で一時代を築いたプレーヤーがいた。ガッツあふれるプレーでファンを魅了した藤原満さん(75)=西日本スポーツ評論家=だ。一昨年に亡くなった野村克也監督の下でチームプレーに徹し、低迷するホークスの中でいぶし銀の活躍を見せた。太いグリップが特徴の「ツチノコバット」を短く持って安打を量産したレジェンドの半生を聞き書き「ぶれない」でお届けする。

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1973年、パ・リーグは前期後期の2シーズン制度を導入しました。69年に発覚した「黒い霧事件」以来、パの観客動員数が激減したことで、人気回復策として実施されたのです。

この年、南海が快進撃を見せました。原動力は野村克也監督が巨人から獲得した山内新一、松原明夫(のちに福士敬章)両投手と、相羽欣厚外野手。それに、前年に東映から移籍した江本孟紀投手らです。

未勝利だった江本は、移籍した72年に16勝。この年も12勝をマークします。山内は巨人の4年間で14勝だったのが、移籍して20勝と大ブレーク。巨人3年間で0勝だった松原も7勝を挙げ、控えだった相羽さんもキャリアハイの打率2割8分7厘をマークしました。他球団でくすぶっていた選手に「シンキング・ベースボール」を注入して活躍させるこの方法は、のちに「野村再生工場」と呼ばれますが、これが最初の成功例でした。

そして、このトレードは私にも大きな転機となります。巨人との交換要員の一人が、同期でサードを守っていた富田勝だったのです。巨人は長嶋茂雄さんが翌74年に引退しますが、長嶋さんの後釜として富田を獲得したのですね。おかげで私は苦手だったショートから本職のサードにコンバートされたのです。

守備の負担が少なくなり、打撃が向上しました。初めて規定打席に到達し、113安打で打率2割6分3厘をマーク。本塁打も10本かっ飛ばしました。主に8番を打ってましたから「恐怖の8番打者」ですよね。

4年目の門田博光、野村さん、ジョーンズさんの破壊力のあるクリーンアップが機能し、リリーフエースの佐藤道郎の活躍もあって、南海は前期優勝を果たします。ところが、後期は3位。後期を制した西本幸雄監督が率いる阪急には0勝12敗1分けと歯が立たなかったです。

野村監督は「死んだふりですよ」とマスコミには言っていましたがうそですよ。福本豊、加藤秀司(のちに英司)、長池徳二(のちに徳士)さんのいる打線と、山田久志、米田哲也さんの両エースで72年までリーグ2連覇していた阪急は本当に強かった。

プレーオフ(5試合制)でも勝てる自信はなかった。しかし、第1戦に私の適時打などで4-2と勝利して、レギュラーシーズンからの連敗を止めることができました。王手をかけて臨んだ第4戦は1-13と大敗。嫌なムードが漂いましたが、最終決戦は0-0の9回、山田からスミスさんと広瀬叔功さんが連続アーチ! 7年ぶりのリーグ制覇でしたが、これが南海球団として最後の優勝となってしまいます。(聞き手・野口智弘)

西日本スポーツ

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